035 兄妹喧嘩


 家に着いてからというもの、真也とまひるは大喧嘩だった。


「駄目だ」

「入るもん!」


 リビングで騒がしく言い争う2人。近所迷惑になるなどお互い頭の中から抜け落ちていた。

 むしろ、家に着くまでお互いに無言で過ごせていたのが不思議なほど、大声をお互いにあげる。


 喧嘩の理由は、もちろん特別部隊への参加についてだった。


「絶対に参加しちゃだめだ!」


 真也は、まひるには死ぬ覚悟も、ましてや殺す覚悟もさせたくなかった。

 大切な妹が、犯罪者とはいえ人を殺す。そんなことはさせたくなかったし、それで心を病むようなことがあれば、レイラの話していた刑務所のような精神病院行き。

 2人目の兄として、到底許容できることではなかったのだ。


「やだ、入る!」


 しかしまひるは、頑なに参加すると言って聞かない。

 2人初の兄弟喧嘩は、帰ってからずっと平行線のやり取りを続けていた。


「まひる、なんで黙ってたんだよ!」

「だって機密扱いって言われたし…。

 っていうか、お兄ちゃんだって黙ってたじゃん!」

「それは、俺だって機密扱いって聞いてたから…って、もうそれはいい、とにかく参加はダメだ!」

「やだよ!」


 力押しでは、まひるは納得しない。

 そう思った真也は、諭す方向へとシフトチェンジする。


「…なあ、まひる。

 頼むからわがまま言わないで。まひるは俺にとって、大切な人なんだ」


 真也は本心を優しく言い聞かせながら、まひるを抱きしめる。

 まひるの事が大切なんだと行動と言葉で表した。

 真也の腕の中にすっぽりと入ったまひるは、先ほどまで苛烈に反発していたのが嘘のように大人しくなった。


「…うぅ…ほんと? お兄ちゃん、まひるの事、大切な人って思ってくれてる? まひるのこと、好き?」


 思ったより急な態度の変化に真也は戸惑ったが、うまく説得できそうだと安心し、まひるを抱きしめたまま、頭を撫でる。


「ああ、大好きだよ。そんなまひるを、危険な場所に行かせられないよ」

「…そう…なの?」


 まひるは頬を赤く染め、真也の顔を見上げる。その顔は、蕩けたような表情をしていた。

 真也は、トドメとばかりに言葉を続けた。


「…勿論だ。まひるは大切な妹だよ」


 その真也の言葉と同時に、まひるの眉が釣りあがり、真也は太ももに強い痛みを受けた。


「いって!」


 後ろを振り返ると、まひるのコピーが真也の太ももに蹴りを入れていた。


「「バカお兄ちゃん!」」

「なんでだよ!?」


 直前までうまくいっていたにも関わらず、急なローキックに真也も語気を荒げる。


 真也から離れたまひるたちは、リビングの中を縦横無尽に逃げまわり、距離を取る。


「こら、異能を使うな!」


 まひるを捕まえようと手を伸ばすが、その度にするりとまひるは逃れる。


「「「やーだー!」」」


 まひるは癇癪を起こしたのか、3人にまで増える。3人のまひるは入れ替わり立ち替わり、真也から離れたり、その動きを止めようとする。

 もはや話し合いどころではない、と真也は腰を掴んで真也の動きを封じているまひるの頭を掴んで、叱る。


「こら、まひる! いい加減にしろ!」


 すると、逃げ回っていた2人のまひるが、スッと消滅した。


「…うぅ。なんで分かるの?」

「そりゃ分かるよ」

「なんでぇ…?」


 まひるは真也の腰から腕を離し、自分の頭を掴んでいる真也の腕に力なく両手を添える。

 真也はまひるの頭から手を離し、まひるをソファへと座らせ、その横に自分も座る。


 まひるは、真也を恨めしそうに見ると、1つため息をつき、これまでになかった案を出す。


「…まひるが部隊入りに反対なら、お兄ちゃんも部隊入り、やめてよ。そしたらまひるも諦める」


 2人とも参加するか、2人とも参加しないか。まひるにとって、そこが最大の譲歩のようだった。


「…それは、できないよ」


 まひるを部隊に参加させたくないと言っていた真也は、しかしながらその譲歩に乗ることはできなかった。


「なんで、お兄ちゃんはあの部隊に入ろうと思うの? 死ぬかもしれないんだよ…?」

「俺は、オーバードとして、特別部隊に入って、その…社会貢献、しなくちゃ。なにせ、世界に13人しかいないハイエンドなんだから」

「お兄ちゃん…」


 社会貢献、と言葉を濁したが、真也の脳裏には津野崎が言っていた、世界の発展や、国際問題といった物騒な言葉が浮かんでいた。


 正月に見たトイボックスの特集以降、他のハイエンドオーバードの情報を知るたびに、自分もハイエンドとして、彼らと同じように戦うべきだろうと真也は言い知れぬ焦燥感を感じていたのだ。


 ほかのハイエンドたちは、その力を遺憾無く発揮してこの世界を守っている。その一員に自分も入りたいという英雄願望も、心のどこかに燻っていたのだろう。


「まあ、それに、津野崎さんにはいっぱい助けられた。その分の恩は返さなきゃいけないと思う」

「お兄ちゃん…そんなに恩を感じなくても…」

「いや、こればっかりはね。あの人がいなかったら、俺はどうなってたか分かんないよ。

 もしかしたら、まひるとも会えなかったかもしれない。

 …だからさ、頼むから…納得してくれないか?」


 まひるは思案し、そして、真也を真剣な目で見ると、言葉を発する。


「やだ。…まひるが、お兄ちゃんを守る」

「え?」

「まひるの異能って、索敵に向いてるんだよ。だから、お兄ちゃんが危険な目にあう前に、殻獣だって、わるいオーバードだって、気付けるもん。

 まひる、お兄ちゃんに守られてばっかりじゃないよ。

 まひる、東雲で何度も軍務に参加してきたんだよ?」


 まひるのその言葉は、今までと違い建設的であり、真也は頭から否定するのに躊躇した。


 まひるはソファーから立ち上がると真也の目の前に立ち、言葉を続ける。


「それにさ、どのみちあの部隊にいなくたって、死ぬかもしれないんだよ。

 オーバードって、東雲に…異能者士官学校にいるって、そういう事なんだよ」


 まひるは、両手を伸ばして真也に告げる。


「だからさ、お兄ちゃん。まひるを守って?」


 真也は、まひるの言葉に何か良い返さねばと思ったものの、言葉は出なかった。


「お兄ちゃんの手の届くところにいたら、絶対に守ってくれるでしょ?

 一緒の部隊で、お互いを守る。それがきっと、一番安全だよ。なにせ、お兄ちゃんは最強のオーバードだもん」


 まひるは、両手を伸ばしたまま、真也の胸に飛び込む。


 真也はまひるを受け止めると、やっと口を開くことができた。


「でも、オーバードと…人と戦わなきゃいけないかも知れないんだぞ? その…」


 人を、殺さなければいけないんだぞ。


 そのように続くはずだった言葉は、耳元から聞こえた、まひるの声に押し止められる。



「平気だよ。殺せる」



 平坦な声だった。


「お兄ちゃんを失うくらいなら、他の人くらい殺せる。もうお兄ちゃんを失いたくないから」


 真也にぴったりと抱きついているため、まひるの表情は窺えないが、その言葉には強い決意が感じられた。

 まひるは真也から上体を離すと、膝の上に乗ったまま真也へと質問を返す。


「むしろ、お兄ちゃんこそ、殺せるの?」

「それは…」


 真剣なまひるの表情に、真也は1度目を背けたが、向き直すと、まひるほどではないにしろ、決意を込めた言葉を返す。


「まひるを守るためなら、戦える」


 その答えを聞いたまひるは、しばらく黙っていたが、不意に真也の膝を降りて手を叩く。


「………なら、この話は終わり!」

「まひる!」

「お兄ちゃんがなんて言ったって、お兄ちゃんが参加するならまひるも絶対参加するから!

 言っとくけど、お兄ちゃんよりも戦闘経験とか、あるんだからね! 以上!」

「ちょっと、まひる!」

「あーあー! 聞こえなーい!」


 耳を塞ぎながらまひるはリビングから去ろうとする。真也は慌ててそれを追いかけた。


「まひる! どこ行くんだよ!」

「お風呂! ついてこないでよ! えろお兄ちゃん!」


 流石に風呂だと言われると、真也の足は止まらざるを得なかった。

 まだ廊下にいる真也をちら、と見たまひるは、脱衣所のドアを開けたまま洋服を脱ぎ始める。

 まひるは乱暴に上着を脱ぎ去り、パステルオレンジのブラ紐と背中に大きく描かれた『鏡』の意匠が真也の目に飛び込んでくる。


「ちょ、まひる、脱衣所のドアぐらい閉めろよ!」

「別にいいでしょ、えろお兄ちゃんは妹の裸を見れた方が嬉しいんじゃないの!」

「ば、馬鹿言うなよまひる!」

「ふんっ!」


 そっぽを向きながらも投げつけられた、まひるの部屋着に驚いた真也は、まひるの作戦通りにリビングまで追いやられたのだった。


 リビングのソファーに座る真也は、ちらりと見えたまひるの下着姿を思い出す。


「まひるも、もう子供じゃないんだな…」


 洗濯などで知ってはいたが、真也の知る幼いまひると違ってパステルオレンジの女性下着に身を包んだまひるに、真也は成長を感じた。

 いつまでも兄貴面でまひるを押さえつけるのも良くないのかもしれないという考えが頭をよぎり、まひるの出した案を思い出す。


「守る、か…」


 特別部隊にはレイラも参加する。

 真也は、この2人を守ることこそ、自分のハイエンドとしての始まりなのだろうと感じた。


 そう考えてしまった真也は、その後、まひるの言い分をはね返せず、間宮兄妹の特別部隊入りは決まったのだった。

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