017 面会(下)
ドアの向こうから、津野崎のどうぞ、という声が聞こえ、静かにドアがもう一度開く。
「失礼します」
透き通った高い音。それは、真也にとってはどこか懐かしい声だった。
「あ……まひる……」
真也は無意識にその名を口にしていた。
「お兄ちゃん……?」
首を傾げ、真也を見つめる少女の姿は、真也にとって衝撃だった。
似ているどころではない。
数年分は成長している姿ではあったが、過去自分を慕って、ずっと後ろをついてきていた可愛い妹、そのままの姿のように感じられた。
栗色の髪の毛はカールしており、サイドテールで右側に纏められている。その長さは、肩にかかるほど。
血色が良い肌と、13歳という年齢にしては少し小さな背丈。左腕には、黒色の腕輪が巻かれていた。
元からくりくりとしていそうな大きな瞳は驚愕に彩られ、さらに一回り大きくなっていた。
「まひる」
混乱しているまひるにレイラが声を掛ける。まひるは驚くと、レイラの方へ歩み寄り疑問を投げかけた。
「レイラさん。なぜここに?」
「面会」
「そう、なんだ。
……まひるね、お兄ちゃんが死んだって聞いて。
それで、お兄ちゃんの異能で、違う世界から来た人と面会する、って聞いたんだけど……でも、お兄ちゃん、生きてるじゃない」
まひるは、息を大きく吐き、緊張していた面持ちを崩す。
「はぁ……ビックリした。
レイラさんもいるし、なにかドッキリだったの……かな? だとしたら大成功だよ、もうっ」
可愛らしく怒るまひる。そんな彼女へと、静かにレイラが答える。
「まひる。彼は、まひるの兄では、ない」
その言葉に、まひるの動きが止まる。
「……レイラさん? どういうこと?」
レイラの言葉の意味を飲み込めていないまひるに対して、真也が意を決して口を開く。
「あの……初めまして。
俺は、その、君のお兄ちゃんと似ているかもしれないけど……。異世界から、来ました」
その言葉に、まひるの顔が青ざめる。
「え、じゃあ……その、じゃあ、お兄ちゃんが、異世界から呼んだのが……」
「彼。名前は……間宮真也」
「そんな……事って……」
まひるは驚き、真也の顔をじっと見て、そして、おずおずと口を開く。
「……あの、どうして、泣いてるんですか?」
真也は、自分でも気付かないうちに、涙を流していた。生きているまひるの姿、というのは、それほどまでに衝撃的だった。
真也は何をいうべきかと迷った挙句、口を突いて出たのは、謝罪だった。
「ごめん。泣きたいのは君の方だよね。ごめん」
その言葉に、レイラの方がぴくりと動く。
真也は、彼女の人生を大きく狂わせてしまった原因は、自分ではないとレイラと話していたにも関わらず、やはり謝罪しなければ真也の気が治まらなかったのだ。
「いえ、その、別にあなたのせいでは……ありません」
まひるはレイラの言った通りの性格だった。その優しさが、真也の胸をまた締め付ける。
自分の妹もたしかに優しい子だったと思い出し、涙がまた溢れる。
「そう言ってくれると、助かる……というか」
しばしの間、真也が鼻をすする音が病室に響いたが、落ち着きを取り戻した真也が口を開く。
「その……急に俺みたいなのが現れて、驚きだよね?」
「はい……。一応、兄から……兄の異能については聞いていたんですけど。
でもまさか……兄とそっくりだなんて。
兄もそんなこと言ってなくて。……びっくりしました」
まひるはレイラに勧められて彼女のすぐ横にあった丸イスに腰掛ける。
腰を下ろすとカバンを撫で、言葉を続けた。
「昨日、兄の遺書がこの研究所から届きました。
もし、自分が死んだら、呼ばれてくる人は被害者だって。だから、優しくしてあげて欲しいって」
おそらくカバンには、その遺書が入っているのであろう。今度は、まひるの目に涙が浮かぶ。
レイラは、何も言わずにまひるの肩を抱き、何度も頭を撫でた。
「でも、そんな、なんで……お兄ちゃんと……私、混乱してて。すいません」
涙を必死に堪えるまひる。レイラの方に顔を埋め、しばらくして涙を払い飛ばすかのように一度首を振ると、またもや話題を変える。
「……それで、なんで、あなたは泣いていたんですか?」
その言葉に、真也は少し間をおいて、静かに語り出した。
「いや、実はさ、俺にも妹がいてね」
その言葉にまひるは驚く。
「あなたにも?」
「ああ。それで、その……名前が同じなんだ。間宮まひる。昔の写真もある」
真也は残っていた数少ない自分の財産、財布の中にいつも仕舞っていた、真也の世界のまひるの写真を取り出し、この世界のまひるに手渡す。
「……そっくり……ですね」
「うん。だからさ、もしまひるが……あ、俺の妹の方のね、まひるが生きていたら、こんな感じなのかな、って」
「生きて、いたら……?」
「彼の妹、3年前、他界してる」
まひるの疑問にレイラが口を開く。
真也の表情から、これ以上彼に話させるのは酷だと感じたからだ。
「3年前……そう、なんだ」
レイラの言葉に、まひるは写真から目を離し、驚いた顔で真也を見つめる。
「……その、あなたの妹さんの、まひるさんは、どうして?」
「強盗にね。両親も一緒に」
「そうですか……。すいません、辛い思い出、ですよね。
実は、私と兄の両親も、3年前に他界してます。私の方は、殻獣事件ですけど……」
まひるはそこで一旦話を区切ると、無理やり笑顔を作る。
「なんていうか、そういうところまで一緒なんですね。不思議です」
笑顔の目尻には、未だ涙を溜めたままだった。
「そう……ですね」
真也もまた、歪ながらも笑顔を返した。
身内を失ったもの同士。
真也には『不思議な縁だ』と無理にでも笑うまひるの気持ちを理解できたし、その感情に自分の不安などを一緒に乗せてしまいたかった。
「そういえばレイラさん。この人がお兄ちゃんじゃないなら、なぜここに? どこかで知り合ったの?」
「彼がこの世界に来た時、近くにいた。
……詳しくは、機密。ごめん」
「ううん、大丈夫。でも、そっか……」
「それで、昨日、また会って、友人に、なった。彼は、ひとり。私も、そうだったから」
「そっか……」
まひるは、レイラの少ない口数から、何かを感じ取ったらしく、真也に向き直る。
「その……私、また来ます」
「え?」
まひるは丸イスから立ち上がると、カバンを肩に担ぎ直しながら。言葉を続ける。
「多分、間宮さん、心細いですよね。だから、私でよければ話し相手になりますよ。
お兄ちゃんの遺書にも、その、優しくしてあげて欲しい、って書いてありましたし……。
レイラさんとお友達なら、私も、きっと友達に、なれると思うから」
まひるは、真也の顔を、もう一度正面から見る。その目には、また、じんわりと涙が溢れてきていた。
「それに、間宮さん、仕草までお兄ちゃんにそっくりで……勝手なんですけど、なんか、まだ兄が死んでないような…そんな、気分にっ……」
まひるの目に涙が溜まっていく。
まひるは振り向くと、ドアの前まで一直線に歩き、ドアノブを握ったまま、立ち竦んだ。
まひるの喉から、嗚咽とともに言葉が漏れる。
「わたしっ……どう、したらっ……」
「……ごめん」
それが正しい答えでなくても、真也には、謝ることしかできなかった。
「……謝らないで、下さいっ……だって、間宮さんは、お兄ちゃんの力で……だから、なにも、悪くないのに……」
まひるがドアノブを握る力が強くなる。
思考が定まらない様子に、レイラがまひるの側へと走り寄る。
「まひる、大丈夫?」
「レイラさん、間宮さん、ごめんなさい……また、来ます」
部屋を出ようとするまひるに、真也が声を掛ける。
「あの! ……その、俺、待ってます」
まひるは驚いて振り返る。まひるの顔は涙で埋め尽くされていた。
真也の返答に、まひるは頷く。
「ありがとう……ございます」
まひるは耐えきれなかったのか、また大粒の涙をこぼして、そして、病室から去っていった。
レイラは、真也の方へ振り向く。
「まひる、送ってくる。
今日は、彼女に、付いていてあげたい。いい?」
「……うん。お願い」
「真也、またね」
レイラは短く別れの挨拶をすると、まひるの後を追って病室を後にする。
1人残された真也は、ただただ、病室の入り口を眺めていた。
翌日。
朝早、看護師から電話が来ていると伝えられ、真也はナースセンターに置かれている電話へと案内された。
相手は誰かと聞いたところ、看護師は外国人であるとだけ伝えてくる。
はやくスマホを手に入れたいな、と真也は文化的生活に想いを馳せると、受話器を取る。
「はい、間宮です」
『真也、レイラ』
真也、レイラ、では分かりにくいだろう。
しかし、なんとなく彼女の独特な喋り方を把握し始めた真也には、呼びかけと名乗りだと理解できた。
看護師が外国人であると言った時点で気づいたが、やはりレイラだった。
「あ、やっぱり。レイラおはよう」
『おはよう。言葉、通じなかった。焦った』
「そうだよね。レイラ、ロシアの人だもんね。
というか、電話でも言葉が通じるんだね」
『うん。理論は、知らない』
なんにせよ、この共通概念という会話法は便利だなと真也は思った。
『それより、ちょっと、大変』
「何?」
『まひる』
「……彼女が、どうかしたの」
『そっちに向かってる』
「今日も面会に来てくれるんだ。なんか、申し訳ないな……あれ、でも今日は平日じゃ?」
『メッセージ、来た。学校の前、病院へ行くと』
「そうなんだ……でもどうして?」
『多分、服とか、持って』
「え? それって」
『そう。彼の』
レイラの言う、『彼』とは、おそらくこの世界のシンヤのことだろう。真也は、流石にその服を着るのには抵抗がある。
レイラは、無言の真也に言葉を続ける。
『だって、シンヤだと、思ってるから』
真也は、その言葉にどこか違和感を覚えた。
「……レイラ、それって」
『まひる、真也を、シンヤだと思ってる』
「え?」
『あ、シンヤ、というのは、真也でなくて』
早口になるレイラに不安を感じるが、レイラの言葉は、病院に響く大声でかき消される。
「お兄ちゃーん!」
遠くから、昨日聞いた声が聞こえた。
しかし、その声が出した言葉は、真也の理解を一瞬遅らせた。
真也が声の方を向くと、エレベーターホールから小走りで向かってくるまひるがいた。
昨日とは一転、満面の笑顔。両手には大量の紙袋を持っている。昨日とは全く違うその様子。
そして、先程まひるが発した言葉。
唖然とする真也の耳に、受話器越しのレイラの声が飛び込む。
『まひる、昨日の夜から、真也を、兄と、思ってる』
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