015 オーバード(超越者)
殻獣の死体や事情聴取などの後処理に合流したレイラと別れ、真也は津野崎と共に研究所の建物内に戻り食事を取っていた。
メニューは、昨日と同じ売店のお弁当。
普段自炊する真也からすれば、栄養が偏りそうであるのと、いくら津野崎のお金であっても許されざる連続出費である。
明日からはお弁当でも作ろうかと真也が思案していると、食後のコーヒーを味わった津野崎が口を開く。
「さて、本来この後はオーバード能力の検査の予定だったんですが……」
「すいません、予定が狂ってしまって」
「いえいえ、元はと言えば殻獣が現れたせいですから、ハイ」
お気になさらず、とひらひらと手を振る津野崎に真也は疑問をぶつける。
「殻獣って、あんな風に頻繁に現れるものなんですか?」
「いえ、珍しいですよ。普通、殻獣災害なんて全国的に、数ヶ月に一度あるかないかくらいです。日本の営巣地は全て管理されてますから」
ただ、と前置きし、津野崎は言葉を続ける。
「昨日、大規模なバンがありましたから、その余波でこのようなことが起こることは、時折報告されています、ハイ。大規模なバン自体がまず珍しいんですがネ」
それはつまり、今後このように頻繁に殻獣が現れる可能性は否定できないということである。
真也は、恐ろしい世界だと驚愕した。
レイラが、津野崎が、病院の待合室で会った子供達が、いつあのような化け物に襲われるか分からない世界。
殻獣は犯罪者と違い、オーバードでなければ対抗すらできないのだ。
津野崎は真也が深刻そうな表情になったことを受けて話を変える。
「しかし……間宮さんの異能は本当に凄い力ですネ」
「そう……ですか?」
津野崎から最強のオーバードと宣言された真也であったが、先ほど見たレイラの異能もまた、非常に強力そうに見えた。
首をかしげる真也に、津野崎はこの後の予定を決定した。
「ふむ……これは先に、オーバードに関する授業をした方が良いかもしれませんネ。間宮さんの体力次第ですが」
「体力は問題ありません。よろしくお願いします」
真也にとっても、この世界について、しかもオーバードについて学ぶ事は目下の必要事項であった。
なぜなら、この世界に残るのであれば自身もオーバードであるから知っておきたい情報である。
また、元の世界への帰還を目指すのであれば、自身がこの世界に来たのはシンヤのオーバードとしての力なのだから、それを理解するのは大切だ。
つまり、まだどうするか考えられる状態ではないにしろ、どちらを選んでも無駄にならない知識だった。
「ハイ。では今日は簡単な検査の後、お勉強にしましょうか」
その後、真也は津野崎に連れられ、研究所内を歩く。
まずは真也の意匠の撮影。
担当したのは意匠研究の第一人者と紹介された男性であり、興奮気味であった。真也の意匠は、『棺』という意匠分類であると伝えられた。
アナザー間宮の『鍵』と同じく、非常に珍しい意匠であり、現在の日本では真也しか居ないとは意匠研究者の言である。
彼は、海外、もしくは過去の棺の意匠のオーバードの能力を調査しておいてくれるとのことだった。
次に、よく分からない機械に手のひらを乗せるように指示される。
乗せた後、数秒で津野崎が終了を告げる。
本日の検査は以上だった。
あまりの少なさに真也は肩透かしを受けるが、あとは異能を見てみないことには分からないとのことで、検査用のホールは今日と明日は使用できない。
他でもない、先ほどのアリの殻獣事件の後処理に利用しているのだ。
検査が終わり、真也は最初に通されたものとはまた別の会議室へと案内された。
津野崎は真也の前に本を置くと、ひとつ咳払いをし、自身も同じ本を開く。
本には『異能概論』と書かれており、著者は津野崎秀樹とある。
「この、津野崎秀樹さんというのは」
「父です、ハイ。うちは代々、異能学者の一家でしてネ」
「父はこの界隈ではわりと有名な学者なんですよ」
津野崎は演技ぶって眼鏡を持ち上げ、両腕を開く。
「では、異能概論の授業といきましょう。
本来なら専門機関や大学でしか受けられない、東異研の学者、しかも室長による授業です! ハイ」
その大仰な言い方と手振りに、真也は笑いをこぼす。
「ありがとうございます、津野崎さん」
「よろしい。では、間宮くん。異能概論の、15ページを開いてくださいネ」
「はい、先生」
真也は笑いながら言われた通りに本を開く。
学校での勉強は同世代と同じ程度には好きではなかった。
しかし、久々の『授業っぽさ』は、自分が日常を取り戻しているようであり、真也の望む知識であることも含めて、非常に心踊るものだった。
先生と呼ばれた津野崎もまんざらではなさそうに鼻を鳴らして笑っていた。
真也の開いた15ページには『異能の生い立ちについて』と書かれていた。
内容を津野崎が口頭で掻い摘んで説明する。
「まず、オーバードの歴史は100年以上に遡ります。
1914年、世界中に同時多発的に殻獣が現れました。基本的にはどの地域にも『空からの襲来』とされていますネ。
その後、地下より急に現れる個体も確認されますが……恐らくはこの時期に降りてきた殻獣が地下に潜んでいるのだと思われます、ハイ。
この頃はまだ宇宙に人間の目はありませんでしたし、対空網も貧弱でしたからネ」
津野崎の説明は続く。
「さて、殻獣は非常に堅固であり、強力です。一般人では簡単に殺されてしまいますし、当時の兵器では傷をつけることも困難だったそうでしてネ。
しかし、この殻獣と対峙した人間が超能力を得る事があると判明します、ハイ。
そして人類はこの能力を『異能』と名付けました。
異能は様々ですが、往々にして殻獣と戦うに足る力を保有していました。
その異能を持つ人間が、オーバードです。
そうして人類は大きな被害を出しながらも、殻獣を追いやることに成功しました。ハイ」
異能概論に挿し込まれた資料写真は中々にグロテスクだった。
白黒の、ぱっと見では大量の昆虫の死骸。
そして、写真の右下にはその昆虫が殻獣であると一目でわかる、昆虫の足ほどの身長の人間が写っていた。
「その後、このような論文が発表されます。
『殻獣ト
『オーバード』とは、殻獣の発生により、地球もしくは地球規模の共通的無意識から生まれた『防疫機能』である、というものです。
わかりやすく言えば、間宮さんの体の中には多くの免疫細胞と呼ばれる細菌を殺す細胞があります。
地球にとって殻獣が細菌です。ということは?」
津野崎からの問い。
その問いの答えは、真也にも導き出すことができた。
「免疫細胞が、オーバード」
真也の解答に津野崎が満足そうに頷く。
「その通りですネ。
この論文は、否定できる要素が無い、という事で今現在でも主流派となってます、ハイ」
「なるほど……」
真也は頷き、津野崎の次の言葉を待つ。
「さて次に……強度についてはこの前ご説明しましたネ。
これは、オーバードとしての強さであり、異能の強さとはまた違うのですが、往々にして強度の高いオーバードの異能は優秀です。
強度は私のような察知する異能でも感じ取れますし、それ用の機材もあります。さっき手を乗せてもらった機械がそうですネ。
オーバードの身体から発される微量の異能物質の濃度や種類を測定するんですが……。
ま、ここら辺は端折りますネ。一般教養から離れますので、ハイ」
真也はコクコクと頷く。
今のところですら付いていくのがギリギリの真也は、これ以上専門的になられても理解できる自信がなかった。
「あとは、カテゴリーですか。スペシャルとか、マテリアルとかですネ。
ここはちょっとややこしいですが、一般知識として扱われますので、がんばってついてきてくださいネ?」
「は、はい」
津野崎の話は変わったが、真也の頭が休まるのはまだ先らしい。
真也は聞き逃さないよう、姿勢を正して耳を傾ける。
「まずは、基礎カテゴリーからです。これは2種類。
オーバードとして覚醒してからの身体的特徴によって決まります。えーと、36ページに載ってますネ」
真也はその言葉に、自分の前にある本のページを捲る。
そこには、大きな見出しで基礎カテゴリー、と書かれていた。
基礎カテゴリー
エンハンスド……異能覚醒により、本人の筋力などに左右しない身体性の向上能力。肉体的変化を伴わないもの。他カテゴリーとの同時発現もあり得る。
エボルブド……異能覚醒により、身体能力の向上を伴い、肉体に付随した形で発現し、常に肉体に付随する能力。他カテゴリーとの同時発現もあり得る。
学術的な、独特の文法に真也の目が滑る。
「さらにここから、異能に応じて3種類の追加カテゴリーに分かれます。次のページです」
津野崎のその言葉に、真也はページを一枚捲るが、そこにも同様の文体で説明書きが連なる。
追加カテゴリー
マテリアル……主に、主な成分が、地球上の物質に該当しない、異能物質である物品を作り出すもの。
キネシス……主に、異能物質による物品を作り出さず、かつ、対外的な力場などの効力を及ぼすもの。
スペシャル……主に、上記に当てはまらず、かつ、基礎カテゴリーに無い異能を保持するもの。
「それぞれのカテゴリーの下に書かれているのが主な意匠ですが、主な意匠だけでも数十に及びます、ハイ」
真也は自身の意匠である『棺』を探したがやはり見つからなかった。
棺の意匠は、検査の時に立ち会った学者の言った通り、一般的なものではなかった。
「まあ、このカテゴリーは組織的に運用しやすくする為に設けられたものなので、大まかです。
今現在確認されているだけで何百という数のある意匠で分けてしまっては把握しきれませんから、ハイ。
なので、同じ意匠でも強度によって違うカテゴリーに属する人なんかも居たりして、とてもややこしいんですよネ」
「同じ意匠でも、違う能力になるんですか?」
真也の疑問に、津野崎は例えを出して答える。
「ええ。例えば炎の意匠。
これは熱に関する異能なんですが、炎を出すオーバードと、熱源を探知するオーバード、さらには強度が低すぎるために、そういった異能を発現しないオーバードもいます」
「それぞれカテゴリーは、基礎カテゴリーをエンハンスドとした場合、エンハンスドキネシス、エンハンスドスペシャル、エンハンスドのみ、と変わります」
たしかにややこしいな、と真也は唸る。
「健康診断の結果からも、間宮さんに肉体的な変化はありませんので、エンハンスドタイプ。
さらに追加で、棺の……蓋ですかネ? 盾の様なものを作り出す能力ですネ。
先ほどの戦闘での様子や特徴から、あの盾は異能物質であると結論付けられるかと。
ですから、マテリアルですネ、ハイ。
更に、検査や私の異能で把握した強度を合わせ、間宮さんのオーバードとしての表記は……『エンハンスドマテリアルハイエンド』、です」
津野崎がパンと手を叩く。
ここが話の1つの折り目なのだろうと真也は察し、呟く。
「エンハンスド、マテリアル、ハイエンド……長いですね」
「やはりそう思われます? ですが、多種多様なオーバードをこの程度で表現できるのであれば、やはりカテゴライズは必要かと、ハイ。
どの系統なのかよりも、なにができるのかの方が運用としては大切ですしネ」
その言葉に真也は、まあそんなものか、と一旦横に置いておくことにした。
それよりも気になったことがあったからだ。
「ところで、エボルブドというのは……?」
真也は、本の中に書かれた文章では、エボルブドというのはよく理解できなかった。
「基礎カテゴリーとして、エンハンスドより数の少ない異能です。
異能の中で唯一、遺伝しやすくてですネ。あまり新東都じゃ見かけません。
名古屋や北海道なんかには多いそうですが、ハイ」
津野崎の説明を受けても、真也には未だよく分からなかった。
真也の反応に津野崎が気づき、手を打つ。
「ああ、考えてみれば、オーバードの居ない間宮さんの世界ではあり得ない存在ですネ。
文章では分かりづらいですが……大体において、人間に他の動物の特徴がくっ付いてる感じですよ、ハイ。
異能に目覚めた時に、肉体が『強化』されるエンハンスドと違い、身体的に『進化』するから、エボルブドです」
相変わらずモヤモヤとした表情の真也。
この説明でも足りないとか、と津野崎はさらに言葉を続け、例えを出す。
「例えば、瞳の虹彩がトカゲのように縦に割れて、肌の一部が硬質化していたり」
「はあ」
いまだ釈然としない真也。
これを理解させることが、先生としての正念場だと津野崎はさらに例えを重ねる。
「猫の耳と尻尾が生えてたりですネ」
「ネコミミ!?」
急に真也の反応が良くなり、津野崎はここかと説明を追加する。
「それらによって、その動物に近い能力を使用できるんです。ネコなら尻尾を使う事で空中での制動が得意だったり、動体視力に非常に優れていたりします。肉体的にも強化されてますしネ。
同じ強度であれば、エンハンスドの上位互換と思っていただければ」
「ネコミミ……」
「はい、ネコミミですネ。ネコミミは間宮さんの世界にもいらっしゃいました?」
「いえ。ただ、ファンタジーとして漫画とかで見ることは」
「へぇ……エボルブドが居ないのに、ネコミミは認知されてたんですネ?」
その言葉に、真也は何となく責められているような気がした。
ネコミミを考えついた自身の世界の文化の業の深さ、とでもいうのだろうか。複雑な感情が渦巻いた。
その後も数時間に渡り、真也は大まかなオーバードの歴史を教わった。
流石にあまりにも多くの事を一度に頭に詰め込んだため、真也は少し熱っぽい頭を手を当てて冷やす。
不意に、会議室に電子音が鳴る。
ピピピ、ピピピという音に反応し、津野崎がスマホを取り出す。
失礼、と真也へ断ると津野崎は画面を見て、真也が待ち望んだ言葉を告げる。
「ふむ、今日はこれくらいにしておきましょうか」
「はい」
真也の返事は速かった。
必要なことだというのは分かるが、流石に脳が悲鳴をあげ、これ以上はもう耐えられそうになかった。
「その本は差し上げます。またおヒマな時にでもお読みください、ハイ」
「はい……そうします」
そそくさと本を閉じ、椅子の背に大きくもたれ掛かった真也に、津野崎が言葉を続ける。
「先ほどの連絡でですネ、明日の午後、間宮さんに面会の予定が入りました」
「レイラですか?」
真也は、自分に面会に来る人間といえば、レイラくらいしか思い浮かばない。
しかし、津野崎の口からは、真也が全く予想できなかった答えが返ってくる。
「いえ、アナザー間宮さんの妹さんです」
その言葉に、真也は驚く。
シンヤの妹。そこから、真也は1つの予想を導く。
「もしかして、名前は……『まひる』ですか?」
津野崎は、その言葉に首肯する。
「ええ、間宮まひるさんです」
間宮まひる。
真也が3年前に失った、自分の妹の名前だった。
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