黒の棺の超越者《オーバード》 ー蠢く平行世界で『最硬』の異能学園生活ー

浅木夢見道

第1章 転移編

001 くしゃみ


 秋を通り越して間も無く冬になるだろう。


 間宮真也まみやしんやはひとり街中を歩きながら、そう感じられる肌寒さに対抗するように父親から受け継いだ真っ黒なレザージャケットの襟を掴み、首を竦める。

 今日のように曇っていると、昼過ぎの時分でも真也を震わせるのに十分な寒さだった。


 来年、高校生となる真也は、遺族年金の継続書類提出のため、電車に乗って繁華街の裏手にある年金事務所を目指していた。


 真也はなるべく質素な生活に努めており、この年金事務所へ来るとき以外でこの繁華街を通ることは無い。そのため、少し浮き足立った気持ちになり、口から独り言が溢れ出る。


「これが終わったらちょっとだけ家電でも見て帰ろうかな」


 真也が時たま、このように独り言を呟くのは、一人暮らしの長さによるものだ。


 せわしなく行き交う人々を避けて歩き、年金事務所へと到着する。

 急ぎ足に自動ドアを潜ると、生暖かい風が頬を打つ。暖房の効いた屋内は冷え切った体にありがたかった。


「あ、住民票……持ってきたっけ……」


 書類申請に必要なもの、その一覧の中にある住民票の写し(本籍地のあるもの、と電話で念を押された)を持ってきたかどうか急な不安に駆られた彼は、リュックの中を探る。


 無い。


 緑色の、役所でもらった封筒がない。本籍地の記載のある住民票の写しの入った緑色の封筒が、無い。


 真也は大きくため息をつき、そして簡単な計算を始める。


 ここから家まで帰り、また戻ってくるために必要な電車代。

 役所で新しく住民票の写しを貰うのにかかる手続き代。


 どちらが高くつくかと言われれば、電車代だ。幸いにも発行に必要な身分証明書はある。

 彼はスマホを取り出し、最寄りの役所を検索する。


「駅方向に戻らなきゃいけないのか……」


 ガックリとして歩き出すが、家に取りに帰るとしても駅方向へは歩かねばならなかったため、この方向へ歩くのは自業自得である。


 真也はスマホをリュックにしまい込み、歩き出す。


 自動ドアを越え、また寒空の下に舞い戻った彼は、やる気を出す為に大きく鼻で息を吸い込んだ。


 寒さから来るツーンとする鼻の痛みに、顔が歪む。


「へ……へ……」


 鼻の違和感から、否応無くこみ上げる衝動。


「へくちっ!」


 その瞬間、真也はくしゃみをしただけとは思えない目眩に襲われた。


「うぇ……気持ちわるっ……」


 頭がひとまわり膨らんだかのような不快感。

 くらくらする頭を抑えて目をひらく。



 そこは、瓦礫の山だった。



 曇り空に登る、濃い黒色の煙。

 遠くで断続的に鳴り響く破裂音、燃え上がり、壊れたビル。煙の匂い、燃えカスの匂い、知らない匂い。地面に伸ばされた、液状の、黒いナニカ。

 まるでテレビで見る戦場のようだと真也は感じた。


 振り返ると、先ほどまで真也のいた年金事務所があった大きなビルもまた、瓦礫と化していた。


 くしゃみの間に起きたとは思えない、圧倒的な破壊に、真也は大きく混乱した。


 しかしながら動物的本能が、自身の安全確保のために視界を動かす。


 自分を害するもの、無し。

 周りの危険なもの、瓦礫。

 倒壊しそうな建物、周囲に無し。


 立っている足元、何かある。


 人間。


 一見、座り込んでいるだけのように見えるが、腕も、足も、曲がってはいけない方向へ曲がっている。曲がらないはずの箇所が曲がっている。


 目は大きく開かれ、口は痛みに耐えているかのように横一文字に結ばれているが、一切動かない。


「死体だ……」


 死体など滅多に目にかかることのない現代日本において、そう直感できる異様さが、説得力があった。


 そして、真也は気づく。


 その死体の背負っているリュックに。

 その死体の着ている黒いジャケットに。

 大きく歪んだその顔の、元の顔つきに。


「……ぁ」


 真也は気づき、口から小さな音が漏れ出す。


 その死体は、真也自身だと。腕も足もへし折れ、苦しみの末に死んだ、自分である。


 なら、それを見ている自分は何なのか。


「……っかは……っ……はっ……はっ……」


 あまりの衝撃に卒倒しそうになるが、声が出ない。目を離すこともできない。ただ、じっと立っていることしか出来なかった。


 少しでも心のバランスを崩せば、上から下からあらゆるものが吐き出され、奇声を上げて、のたうちまわりそうだった。


 自問自答で己を保つ。


 自分はもう死んでいる。ならば、幽霊になったのか。大きな災害か、テロか何かがあって死んだのか。幽霊なら、今後どうすればいいのか。


 そして、幽霊になったなら、会えるのか。


 父さんや、母さんや、妹に。


 その考えから、真也の瞳が潤む。

 その涙は、自分が死んでしまったことに対する恐怖ではなく、どこか、落ち着くような、甘く心をくすぐる涙だった。


 彼はもう、1人で生きることに疲れてしまっていたのだ。自分の死体を見た時に、そんな考えがよぎってしまうほどに。


 そして、終わりを感じて少し心が落ち着いたその時だった。


 大きな音を立て、道路の向かいのビルを吹き飛ばし、瓦礫を舞わせながら、真也の真横に何かが吹き飛んでくる。


 ズドン! ズドン! という、ビルを破壊した音と、真也の真横へ何かが落下した二つの音は、真也が今まで聞いたことのないような轟音だった。


「ひっ……」


 真也は尻餅をつく。耳が遠くなり、水中にいるような感覚に陥る。

 飛んできた小さな瓦礫が当たった頬の痛みや尻餅をついた時の尻の痛みが、彼を現実へと引き戻す。


 真也は、一体何が飛んできたのかと、四つん這いになって恐る恐る首を伸ばす。すると瓦礫と埃の中から、一本の腕が伸びてきた。


「ひゃっ!」


 驚いた真也は、またもやひっくり返って尻餅をつく。

 煙の中から伸びてきた腕は、手近な瓦礫を掴み、その腕の持ち主が姿を現わす。


 それは、美少女だった。


 乱雑にお団子に括られた金色の髪に、白い肌。明らかに外国人だった。

 外国人の年齢は日本人に分かりづらいが、真也の見立てでは、自分とそんなに変わり無いように思える。


 ワンピースなど年相応のものを着ていればモデルにも見えるかもしれないすらっとした体型。

 しかし少女は、そのようなおしゃれな格好ではなく、体にフィットしたボディースーツと、その上から丈の短いミリタリージャケットを羽織っている。

 一見するとコスプレの軍人のようにも見えるが、しかし彼女の立ち姿は、まるで、その服装でこのような場所にいる事が普段からあるかのような、リアルさを持っていた。


 長い睫毛の下にある、青い瞳が真也を見つけると、その瞳は大きく開かれる。


「––––––––!!」


 少女が何か喋っている。


「––––––––? ––––––! ––––––––––––」


 ただ、それは日本語でも、英語でもない。

 どこかで聞いたことはあるものの、真也には言葉の意味は全くわからなかった。


 しかし、相変わらず少女はまくし立て、真也の腕を引き、立たせる。

 真也と少女の目線が合う。吸い込まれてしまいそうな、綺麗な青い瞳。真也は、目を離すことができなかった。


 しばらく見つめ合うと、少女は目に涙を浮かべ、真也を抱きしめた。


 一方の真也は痛みによって引き戻された現実が、現実と思えなくなっていた。

 あまりの展開に真也の頭はショートを起こし、少女の体の柔らかさに全神経が注がれていたが、脳内ではまた違うことを考えていた。


 人間が耐えられると思えないような速度で吹き飛んできたのが彼女だったとして、無傷のように見える彼女は人間なのだろうか?

 そして、なぜ自分を抱きしめているのだろうか。


 これは夢ではなかろうか。


 真也は、先ほど痛みを感じた尻たぶのヒリヒリとした感覚すら疑ってしまうほど、この現実を受け止めきれなくなっていた。


「あ、あの、ちょっと、どうしたんですか? その、流石に恥ずかしいんですが…」


 流石に抱きしめられているのが恥ずかしくなった真也が少女に声を掛けると、真也を抱きしめていた少女が固まる。

 真也の背に回された腕が離され、真也の肩を掴む。そのまま腕を伸ばし、真也の顔を少女が覗き込んだ。


「シンヤ?」


 そう言ったように真也には思えた。

 真也は、なぜ目の前の美少女が自分の名前を知っているのか不思議に思いながらも、なんの反応も返せなかった。


 少女は真也の左手を掴み、掌を開かせる。

 少女のものとは思えない力の強さと、その形相に、真也はなされるがままだった。


 真也の左手を見た彼女は驚き、ドン! という爆発のような音とともに真也から飛び退いた。

 一飛びに10メートルほど後ろへ。やはり少女は、人間とは思えない身体能力を有していた。


 そして、いつの間にか少女の手には黒い棒が握られていた。

 少女は片方だけ尖った、少女の身長ほどもある棒を槍のように構え、尖った先を真也へと向けている。


 青い瞳からは、敵意が感じられた。


 好意から一転、殺意を向けられた真也の思考は混乱を極めていた。


「ちょ、ちょっと、どういうこと!?」

「––––––––! ––––––––––!!!」


 真也は何か弁明をしなくては、と思い口を開くが、少女の怒声に掻き消される。


 八方塞がりの真也は、とにかく敵意が無いことを伝えるため、両手を開き、軽く上げる。


 しかし、その行動すら少女を苛立たせているようで、少女はより強く黒い棒を握る。


 だが、少女と真也の睨み合いは、そう長くは続かなかった。


 少女が吹き飛んできた時とは比べ物にならないほどの爆音。


 真也と少女のちょうど中間地点に、それは現れた。土埃を巻き上げ、落下の勢いでアスファルトの地面を砕きながら。


 『バケモノ』が現れたのだ。

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