7.

 僕の通う第三中学校で昼食をる方法は三種類あった。

 第一の方法は、家から弁当を持参する。

 第二の方法は、購買で惣菜パンやサンドウィッチを買う。

 第三の方法は、別館にあるカフェテリア形式の大食堂を使う。この場合、事前に給食費を一ヶ月ぶん払って予約しなくてはいけない。メニューは日替わり定食一択で、栄養師が献立を決めて事前に食堂の前の掲示板に貼った。要するに『予約によって任意に提供される学校給食』だった。

 この町の世帯も核家族・共働きが多いから、主流は昼飯に『第三の方法』を……カフェテリア形式大食堂での『任意学校給食』だった。

 弁当を持参したり購買を利用するのは、家族のうちの誰かが家に居て毎朝弁当を作ってくれる時間的余裕がある者や、お仕着せの日替わりメニューを嫌がって、割高でも購買で好みのパンやサンドウィッチを食べたい連中だ。

 ……あるいはカフェテリアの給食費さえ払えない生徒か。僕らの学校にも、ごく少数だけどそんな生徒がいるって噂はあった。

 僕の家は共働きだったから、僕も弟もカフェテリアを利用していた。

 シマダ先生がミミズの群れに喰われて死んだその日、さすがに校庭の惨事が目に焼き付いて忘れられず、用意された自分の給食が廃棄されるだろう事を申し訳なく思いながらも、僕は、どうしてもカフェテリアへ行く気になれなかった。

 購買で紙パックの甘いジュースを二本買って教室で飲み、それで昼食の代わりとし、飲み干した紙パックをゴミ箱に捨て、教室を出て別館へ向かった。

 別館は、本来なら本校舎の五階にあるはずだった各種特別教室を補うために急遽建設された建物だ。

 大食堂の他に、図書室、家庭科調理教室、美術室、工作室などを備えていた。

 生徒たちでにぎわうカフェテリアの前を素通りして、図書室に入った。

 二重扉を閉めると廊下の声も全く聞こえなくなる。

 静かな図書室に並ぶ閲覧机を見回した。

 彼女の姿は……タナコエ・ユウカさんの姿は見えなかった。

 ズラリと並ぶ背の高いスチール本棚の間を端から端まで歩く。

 どこにも彼女は居なかった。

(……屋上か……)

 僕は、いったん教室に帰って自分のカバンから文庫本を一冊取り出し制服のポケットに入れ、本校舎の屋上へ通じる階段をのぼった。

 階段を使って一階ずつ上がって行くのだから、当然、屋上へ行くためには五階廊下の前を通過しければいけない。

 多くの公共施設と同じく、僕らの通う第三中学の本校舎も階段と各階の廊下の境界線には防火シャッターが設置されていて、緊急時にはシャッターが降りて煙や炎が他の階に回らないようになっていた。

 五階の防火シャッターは何時いつも全開で、『立ち入り禁止』の立て看板の他には腰の高さにロープが一本張られているだけだ。

 何か用事があって屋上へのぼる時いつも思う……何で、学校当局はシャッターを下ろして鍵を掛けるなり、シャッターそのものを溶接するなりして、、と。

 ロープ一本に立て看板一つじゃ、その気になれば赤ん坊だって境界線を越えてへ行けるってものだ。

 五十年前、ある夜とつぜん本校舎屋上ど真ん中に出現した巨木のは、校舎の天井を突き破り、壁を突き破り、柱に絡みつき、窓ガラスを覆い、最上階である五階全域に広がった。

 根は何度も分岐を繰り返し、うねり、這い回り、校舎の五階を迷宮に変えてしまった。

『迷宮』というのは単なる例えじゃない。

 巨木の根が五階部分に何らかの物理的影響を与え、空間と時間が歪んでしまったんだ。

 この五十年のあいだ何度か調査隊が結成され、第三中学本校舎五階の廊下の奥へ入って行った。

 調査隊隊員の一部は行方不明になり、戻って来た隊員の一部は片腕・片足を失い、あるいは発狂し、あるいは赤ん坊並みに知能が退行し、あるいは肉体年齢が九十歳まで老化していた。

 一見すると心身とも健康なまま帰還したように思えた隊員たちも、ある者は進化の逆行現象に見舞われ数十年かけて類人猿・初期哺乳類・爬虫類・両生類・魚類……と徐々に退化していき、とうとうアメーバのような顕微鏡レベルの単細胞生物にまで成り下がり、消滅した。

 またある者は全身の炭素がダイアモンド化し徐々に透明になり、最後は石像になってしまった。

 この中学校の五階の廊下を奥まで進んだ者は、行方不明になるか、かりに帰って来たとしてもみな悲惨な死に方をした。

 それなのに何故なぜか学校当局も、町の教育委員会も、行政も、警察も、保健所も、立て看板を置いてロープを一本張っただけで済ませていた。

 毎年毎年、不良たちの一部が『肝試し』と称して五階の廊下を奥まで進み、そのまま行方不明になったり、発狂して帰って来たりしていた。

 巨木の根の影響と思われる異常現象は、五階の階段部分から境界線である防火シャッターの位置を超えて廊下に入り、奥へ進めば進むほど発生確率が上がるらしかった。

 逆に言えば……浅い場所なら……それほど奥まで進まなければ、深刻な害をこうむる事もないらしく、それが不良たちにチキン・レース的な興奮を覚えさせた。

「俺は何メートル奥まで進んで無傷で帰って来た」とか「俺はカマイタチに皮膚を切られたけど、それに耐えてさらに何メートル進んだ」とか、休み時間の廊下や昼休みの大食堂で武勇伝を語る不良たちの姿をしばしば目にした。

 そして不良仲間どうしで互いに「められる訳にはいかない」とばかりに競うように奥へ奥へと進み……度を超えて進み過ぎた何人かが犠牲になるという事故というか事件が毎年繰り返された。

 もちろん不良でも何でもない僕にとって……小心者で武勇伝になど全く興味の無い僕にとって、階段の五階部分は一刻も早く通り過ぎたい場所でしかない。

 しかし屋上へ行こうと階段を登れば、嫌でも『立ち入り禁止』の立て看板の奥が視界に入ってしまう。

 電源の落とされた五階は暗かった。

 階段側からは廊下の奥に何があるか全く分からない。

 校舎の外側から見る限り、五階の窓には根がビッシリ貼り付いているようだった。つまり、この階には昼でも外光がほとんど差し込まない可能性が高かった。

 僕は立て看板の後ろの暗闇から意識的に視線をらし、少し早足になって屋上を目指して階段を昇った。

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