第七章 Flux
流転―①―
ロックの目の前に広がるのは、暗闇だった。
目を凝らしても、目の前のモノの輪郭すら浮かび上がらせることのない”闇”
ましてや、足で立つことはおろか、今いる場所の上下も分からない。
『此処に自分がいるのか』と問いて、『この世界にお前が在るのか?』と誰かに問われると、自らが消えてしまいかねない焦燥感の種火がロックの内で灯った。
在るモノを目にして、人としての自覚が生まれる。
人間として目にしたモノには、上下が生まれ、空間が広がる。
そうして、唯一で絶対な世界に対する曖昧な自我としての思考が生まれる。
つまり、
考えることが生きること。
生きている実感の取り掛かりは、驚くほど、単純なものだった。
しかし、その取り掛かりが少ないどころか皆無な状況。
それがロックに、一つの結論を導き出させた。
――死、かよ……。
死を意識させられたのは、初めてではない。
何れも痛みや極限状況に追いやられて自覚させられたことが、多々あった。
だが、”存在そのもの”が危うくなる水準は、初体験である。
人間として生きる。
その為に戦うことを、彼女に誓った。
だが、存在している実感が欠けている以上、それを求めてもしょうがない。
そう思案し始めた、ロックの前に三つの光が立つ。
それぞれ、人型を作り、
「ロック……初めて会う、のか?」
初めに出来た人型の光は、鉢金で額を隠した美丈夫。
剣の角が生えた鉢金は、頭部から突き抜ける龍の猛々しさを思わせる。
その反面、胴と四肢関節を纏う白色の甲冑が、羊の持つ牧歌的な雰囲気も不意に醸し出していた。
その青色の眼が、驚きの余り、口を小さく開けていたロックの顔を映す。
「話す機会が、今まで無かったからね……戸惑っても無理はないよ、バプト」
自らを洗礼者と呼ぶ男の隣で光の口調には、呆れを表す息遣いが混じる。
二体目の光は、スカーフが巻かれた細面の男を形作った。
きめ細やかな肌と鋭い目つきは、何処か老獪の狐を思わせる。
ロックはその男と何処かで会った気がした。名前も聞いた覚えがあったが、余りにも唐突な再会で、口から出かかっている。
しかし、思わぬところから、ロックの出掛かった言葉が言語化された。
「バプト、アンティパス。彼の消滅を私の力で、抑えることは出来ましたが……これから、どうしたらいいか」
三人目の光は、ガレア付き兜を被る女――ヴァージニアだった。
彼女の言葉にロックは、
「アンティパス……お前、さっき戦った」
灰褐色の鎧を着た戦士との戦いで、ロックの記憶に過った男。
白い甲冑と、剣の様な雄羊の角の鉢金を身につけ、ロックの目の前で口を開いた。
「改めて自己紹介だ。一応、俺は”
「だから、バプト……そんな名前だと呼びにくいだろ。
アンティパスの柔和だが何処か辛辣な自己紹介の批評に、バプトは頭を掻く。
信じられないことだが、死を前にした風景で、自らの
だが、自分の
「お前……今、止めているって言っていたが、何が起きている」
ロックに問われた、ガレア兜の女戦士が右手を上げた。
すると、サロメやリリスと戦った蹴球場の風景が広がる。
だが、ロックは、画面に映るロック=ハイロウズ自身に目を引いた。
両膝を折りながら、月に向けて吼える赤い外套の自分自身。
その周囲を紅と黒の竜の光が、彼を守る竜巻となっていた。
「私のナノマシンも使って、今……貴方の崩壊を食い止めています。
「その活性化した余熱を利用して、僕たちは君の
ヴァージニアとアンティパスの言葉を、ロックは咀嚼した。
放射熱を囲って冷やすのと同じ原理で、ロックは閉じ込められている。
冷却熱力は、ブラック・ホール。
その発生時に出来る、光が到達出来ない境界を、人工的に作ったと言うことらしい。
「しかし、あくまで時間を遅らせている程度だから、長続きはしない。多くのエネルギーを使って、ナノマシンの活動を抑えた冷却だから、宿主からエネルギーを得ることには変わらない」
自分に潜んでいたバプトという
ロックは三人の説明を聞いて、驚きの余り、思わず声を上げる。
「ナノマシンの活発化を抑える……だから、お前とライラはリリス対策だったのか!?」
サキの
来るべきリリスとの戦いの為に、自らの熱量で今日まで現界を防ぎ、サキを守っていた。
ブルースやサミュエルが動けなくなったのは、リリスに染まった、“ナノマシン:リア・ファイル”の効果故の副作用だったのだろう。
「サキが“ウィッカー・マン”の動力源を見られた理由も納得だ……」
ロックは一人、呟いた。
「問題は、そのリリスだ。サキの体を乗っ取っている」
バプトと言われた男の口調に、ロックは目を伏せる。
「俺は……サキを殺す。それしかない」
ロックの言葉に、ヴァージニアが息を呑んだ。
アンティパスは、バプトに顔を向ける。
スカーフの戦士に促された、自身の潜在意識にいた戦士の放つ、剣の様な眼差しにロックは、
「ファンは……人間でいることを望んだ。リリスに乗っ取られ、どうしようもなくなった時のアイツの最後の願いが……」
「『人間として覚えていて欲しい』だったな?」
バプトが、ロックの言葉に頷いた。
ロックは、ファンの優しい温かい笑顔を浮かべる。
しかし、彼女の笑顔に応える術は、彼女に冷たい剣を渡した。
自分の物語を続けさせる為に、少女は自分を犠牲にしたのだ。
「それを望ませない為に、サキを守ると誓った。しかし、無理だった……」
ロックの意識の中から見える風景が、サキの体を使ったリリスが東の空へ飛んでいる様を映す。
街中の至る所で、青白い火柱が立ち始めていた。
黒い犬耳兜を被った”ワールド・シェパード社”の兵士、警察官に市民が火元である。
また、火の手を逃れた者たちが恐慌のまま、建物や物陰に入っていった。
だが、力づくである為、殴り合いが起きる。そこに立ち会う者は、涙を流していた。
その場面で”クァトロ”が大きく割り込む。
一体ではなく、頭部を並べた群れが、視界を覆った。
市民たちが
“ウィッカー・マン”も歓喜と言わんばかりに、雨降る夜の街で青い光を銀鏡の皮膚に浴びていた。
「サキは……あの時のファンと同じだ。もう、人間じゃない」
「いや、まだ人間だ」
バプトの強い声に、ロックは顔を上げた。
抗議の声を出そうとするが、彼の視線に制される。
「よく考えろ。英国……スコットランドでは、救世の剣から大きなエネルギーを得た。今はどうだ?」
リリスの目的は、”救世の剣”の熱出力を得て、ファンとロックを彼女の都合の良い何かに作り替えようとした。
二人を作り替えた後、リリスが環境にも同じことを画策したのを思い出す。
「サキの
純粋に作られたという意味ではない。
ただ、ライラとヴァージニアを宿していられる程、リリスにとって丈夫なだけだ。
「リリスはただ、サキのエネルギーを使っている」
バプトの言葉の意味を、ロックは考えた。
それに基づいた思考が、ヴァージニアの口から語られる。
「そして、私たちを使う……いえ、使うしか無かったのは、彼女に力が無かったからです。元々、リリスの含まれた”リア・ファイル”の雨で、私たちは起動してしまった。雨にしか力を与えられなかったから……」
確定事項と不確定事項に絡み合った現状に、ガレア帽の戦姫の言葉の歯切れが悪かった。
ロックは、自分に残る謎を吐き出す。
「もし、リリスの復活が前提として、俺に固執する目的はなんだ。漠然と、アイツらに狙われるのは……」
「俺に含まれた魂だ。
”
リリスが、アンティパスに言い放った言葉は、
『アンティパス……そういう名前だったが、その体がそんな風に動ければ申し分ないな』
「アンティパスを入れていた体……それが、洗礼者の
ロックの振り絞って出した言葉に、アンティパスは、
「しかし、体と
アンティパスが苦々しく呟く。
ロックはその意味を悟り、込み上げてくる吐き気を堪えて吐き出した。
「人間の
救世の剣の起動は、大量の人間を必要とする。
E=MC^2、理論上、人間一人は大都市――いや、地球上で必要な資源の熱出力を補うどころか、お釣りを出すのに十分な発電量を持つと言われていた。
それを大都市にいる人間の”魂”を集めるとどうなるのか。
「環境を作り替えることが出来る程のエネルギーなら……死者の復活は、事も無いだろう。ただし、不完全な”救世の剣”では、人間どころか熱力を出した影響で、環境が激変する可能性が高い」
洗礼者と呼ばれる別人格は、呟く。
“救世の剣”は崩壊し、リリスはその欠片に潜んでいた。
バンクーバーの空に浮かぶ欠片でも、人一人の肉体に魂を固定化させることは可能だろう。
淡々と吐き出されたバプトの呟きから、ロックのリリスの意図を心の中で推測。
だが、ロックには目の前の状況が、どうしても理解できなかった。
「待て、なら何でお前がそこにいる?」
ヴァージニアを、ロックは指さした。
当のリリスの力の一部である、ガレアの少女は言われて戸惑う。
「そもそも、俺自体、リリスの力を継ぐファンが中に――そうか、そういうことか!?」
ロックの叫びに、洗礼者は笑った。
子供の悪戯が成功したかのように、バプトは口の端を釣り上げ、
「まだ、諦めることは無い。お前を助けた少女は、まだ……戦っている。サキと共に、お前を待っている」
洗礼者の言葉が、ロックの闘争心の鼓動を再び速めた。
「ヴァージニアもいる……ライラも」
アンティパスからの口から出た、サキを守るもう一人の
「アンティパス……お前は、ライラ……いや、リリスか。そいつの所為で、洗礼者に殺された。恨みを抱いても不思議じゃない。ここに来て、俺らに手を貸す理由はなんだ?」
アンティパスはロックに向いて、
「死ぬ為だよ」
ロックは、息を呑んで目を見開く。
「不思議なんだけど……僕は、
彼の灰褐色の眼が、ロックを見据える。
「殺されるのが、本望だった。リリスに仕組まれたとはいえ、バプトは大事な者の為に、全てを捧げる一途さがある。僕は、彼の刃を浴びただけでも、満足した」
ロックは言葉を噛み締めて、耳を傾けた。
「僕たちは、何等かの意図で
洗礼者は顔を曇らせ、何も言わない。
だが、ロックに無言で目を向けた。
交わす言葉を持ち得なかったが、ロックは何処かでその終焉を思い浮かべる。
その代わりに出したのは、
「俺は……誰かの為に、何かをすることはできない」
右拳を作り、それを強く握る。
「誰も救うことはできない。結局は、自分のことしかできない」
ファンの命を奪う選択肢、今までに行ったことの正しさについて、悩み尽きることは無い。
「しかし、それでも、俺の為にできることは……サキを目覚めさせ、サキを
ロックの目の前の闇を光で覆いながら、三体の
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