Dance in Apnea - 6
「いらっしゃい草摩さん」
ツカサさん達ご兄妹が営む喫茶店に入ると、香ばしい匂いが立っていた。
僕は店主のお兄さんに挨拶し、昨日も居たテーブル席にツカサさんと一緒に座る。
「今日は草摩さんが来るの確定してたから、ランチも豪勢だよ」
ありがとう。
「「どういたしまして」」
「ツカサ、お前はどこまで出しゃばりなんだ。草摩さんは俺に言ったんだ」
「いいでしょ別に、私は余命短いんだから」
信じられないね。
いくら余命幾ばくもない身体だからって、それを理由に開き直る彼女の神経と。
こんな悪態を吐いている彼女が、先がもう永くないなんてさ。
僕は猜疑心を隠すようお兄さんから差し出された冷えたほうじ茶に口を付ける。
ツカサさんは僕の様子を観察してて、思わず彼女と見詰め合ってしまった。
彼女は頬杖を突き、人差し指でトントンと頬を叩いている。
「……私も、せめて結婚してから死にたかった」
「ツカサ、人には向き不向きとあってな、お前に結婚は向いてないよ」
「いいからさっさと今日の昼食出してよ、油売ってないで」
油売りと化したお兄さんを彼女は棘のある声色でたしなめる。
僕は場の雰囲気を転調するようにあることを二人に訊いた。
そもそも僕はバレエ団の団長さんと交渉をまとめにやって来たんだから。
彼は今どこで何をしてて、いつ帰って来るのか視察を入れてもいいだろ?
「アイツだったら今はアメリカで巡業してると思うぜ」
「彼には夢があるみたい、いつか必ず自分のバレエ団から世界的ダンサーを輩出するって」
「馬鹿なだけだよ、あいつは踊ることしか能がない」
僕の質問に二人は得意気に答えてくれた。
「マジ
「踊りだけなら、あいつは向いてるよ。ただ社会人としてはどうなんだ? 草摩さんを見ろ、エンバーマーなんていう立派な職業に就いてらっしゃる。あいつと草摩さんを比べれば」
二人とも団長さんのことが好きなんですね。
と言えば、二人は特に否定する素振りを見せなかった。
「草摩さんは面白いな。よく天然とかって言われないか?」
……嗚呼、懐かしい。
僕は夫からその謗りをよく言われていたんだ。
「まぁ、アイツとどんな話しするのかは知らないけど、精々頑張りなよ」
お兄さんはそう言うと厨房へと下がって行った。
ツカサさんと二人きりになると、彼女は嘆息を吐く。
「草摩さん、彼のことをどうかよろしく頼みます」
彼女はその台詞を窓辺の景色を見詰めながら言ったんだ。
その態度を覗うに、彼女は彼との間に直視し難い何かを感じていたようだ。
「彼は、バレエダンサーとしては終わってるからね……」
どういうこと?
さっきお兄さんが――踊りだけなら、あいつは向いてるよ――って言っていたよ?
「彼は、国籍不明なの。日本で活動してるけど、色々と訳があってね」
そこから僕はバレエ団の団長さんの昔話を耳にした。
団長さんは赤ん坊の時に誘拐されたらしくて、人知れず育てられたんだって。
顔立ちからアジア系の人間であるのは判ってるんだけど。
それ以外は全くもって不詳としているらしい。
「彼のバレエに懸ける情熱は、並大抵じゃない。周囲からはいずれ大物になるって持て囃されてて、彼は不安をおくびにも出さず、一人でバレエ団を起ち上げて、一人で生きっ、て」
人間と言うのは不思議だ。僕みたいに涙とは無縁な個体もいれば、自分の台詞に引っかかり、思いがけず涙を流したりする人もいる。
ツカサさんは瞬きもせず見開いた目から涙を零していた。
服の袖で拭っては、止めどなく溢れる涙と葛藤しているようだった。
「……私が余命宣告を受けたのは今から一年ぐらい前のことで、その頃ぐらいから彼のバレエ団は脚光を浴び始めたの。私は彼に頼まれてバレエピアニストをやってたんだけど、やってるうちに辛くなってきてね」
どうして?
「……」
僕は何か癇に障るようなことを言ったのかな。
彼女は無言になり、衰えた涙をようやく塞き止めて、団長さんの話しを続けた。
「彼の身元が分かったのは、近年になってからで、彼にはお兄さんがいたの。お兄さんの方もバレエダンサーでね、それもプロのトップダンサー。彼だって実力では伯仲してるはずなのに、どうして二人の運命はこうも違うんだろうね」
僕は難しい哲学的な話題に、これと言った理を唱えるわけでもなく寛いでいた。
待っていれば直に豪華な昼食にありつける。
当時の僕は社長の職に就きながらも倹約していた。
未来に経済的な不安があったわけじゃない。
僕は施しを受けて生きるのに慣れてしまっていたのだ。
「……草摩さんは可愛いね、西洋人形のような佇まいで、身体も細くて羨ましい」
僕は決して謙遜するわけでもなく、普段通りの態度でツカサさんの容貌を褒めた。
ツカサさんは褒められるのに慣れてなかったみたいで、少し動揺している。
「私、言うほど綺麗だったかな」
言うほどお綺麗ですよ。
僕はダンスフロアでピアノを弾いていた彼女から想起した詩を教えてあげた。
稚拙な詩だけど、彼女は喜んでくれたようだ。
「死んだら当然天国に行きたい、私悪いことは一切してない。はずだし」
じゃあ、天国に着いたら僕の夫を探してみてよ。
僕は彼女に個人的なお願いを託し、前以て豪勢だと伝えられた食事を待った。
比較的行儀のいい僕は置かれていた紙エプロンをうなじの部分で結ぶ。
きっと豪勢なランチの正体は鉄板焼きの何かなんだろうなぁ。
「草摩さ、っ」
その時だった、彼女の容体が急変したのは。
彼女は胸を押さえ、呼吸を著しく乱している。
僕は直ぐに厨房に居るお兄さんの許へ向かい、救急車を呼んだんだ。
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