Embalming My Heart - 2

 僕は生まれて初めて結婚した。

 誰にだって初めてはある、分かってるとも。

 物臭な僕は彼のパートナーとして何をすべきか、考えただけで汗を掻いてしまう。


 手元に置いてあった飲料水を口にし、気息を整える。

 これだけで今日の仕事はもう終わったと思う。


「君は、本当に何もしないよな。愛猫が大事なのは伝わって来るが、それ以外は本当に動かない。ナマケモノにしたってもうちょっと動くぞ」

 ナマケモノ……愛猫の次に飼うペット候補としては有力になりそうだ。

 そう言うと、彼は少し笑う。

「当初は得体の知れない不気味さがあったけど、慣れると可愛いな」

 褒められたのか、それとも馬鹿にされたのか、分からない。


 同棲生活を初めて早くも十日が経つが、彼の夜遊び癖は抜けなかった。

 彼が居ない間、僕は左薬指に付けられた結婚指輪を眺める愉悦を覚えた。

 世相として、結婚の有無は一種の関門だと思う。


 僕は、結婚してないだけで後ろ指を差す世間を想像するのが面倒だった。

 今回結婚したことで僕は厭な妄想から解放されたんだ。

 その発見をした今日はいい夢を見られそうだ。

 夫である彼も元カノと浮世を流し、同じくいい気分に浸っていることだろう。


 周囲の圧力から政略結婚させられた僕達の夫婦生活は意外にも円満に過ごせてる。

 だったはずなのに……翌朝帰って来た彼は僕の目の前で土下座し始めた。

「すまなかった、君の気持ちも考えずに俺は最低なことばかりしていた」


 彼に限らず、誰かに謝罪されると余計な注目を集めて面倒だ。

 面倒だから顔を上げて。僕は端的に告げた。

「君が怒っていたのを俺は今知ったんだ、許してくれ……」

 けど彼は一向に面を上げない。


 その時、運悪く姉さんがやって来た。

「私の可愛い愚妹を放置して夜な夜な女遊びか、いいご身分だな」

 というより、恐らく彼は姉さんに喝破されて自省させられたのだろう。

 僕も姉さんの恐さは重々承知していたから、彼との絆が増えた気がした。 

「悪ふざけが過ぎると、燃やすぞ」


 ここで姉さんに付いて注釈を入れよう。

 彼女は僕と同じ草摩姓を名乗っているが、血の繋がりは分からない。

 身長は丁度一七〇センチ、腰元まで伸びた青毛の馬のような黒髪が綺麗だ。

 姉さんは火葬場に務めていて、特技は火炎放射だという。

 口からは火炎の如き辛辣な言葉が飛び交うし、佇まいは火山のような圧がある。

 羞月閉花の美貌に秘められた烈火の女。


 それが物臭な僕の姉さんだ。

「それで、浮気を繰り返す旦那に対し、お前はするべきことがあるんじゃないか?」

 姉さんから促された内容はとても面倒に思えた。

 ありふれた人情として夫に怒りを顕わにしても、僕は死んでしまうだろう。

 元より僕は彼に対して怒ってないんだ。

 演じるように怒ってみせても、不整脈を引き起こし死にかねない。


 姉さんはこうやって僕を追い詰めるのが本当に上手だ。

 さすがは死の代名詞である姉さんだ。

「まぁ、今後はこんなことがないように気を付けろ」

「分かりました」


 姉さんの忠告を、夫は素直に受け止めた。

 姉さんが部屋から退室し、僕は彼と二人きりになると。

 彼は立ち上がって、衣服に付着した埃を手で払い落している。

「……本当にすまないと思ってるんだ」

 ラウンジチェアに腰を落ち着けている僕から目を離したまま彼はそう言った。


「今まで言えなかったんだけど、俺の命は持って後二ヶ月なんだ」

 だから彼は知人友人達に別れを告げる必要があったようだ。

 だからと言って夜の街に繰り出す理由が分からないけど。

 分からないなりに考えた結果、彼は元々水商売だったという想像に及んだ。

「どうかしたか?」


 何でもないよ。

 彼の落ち着きを払った声音に、僕は安堵しながらそう言った。


 今にして思えば、物臭な僕が一生の中で誰かと結婚出来たのは運がよかった。

 例えその相手が浮気性をこじらせた余命幾ばくもない人だったとしても。

 彼と出逢い、共に過ごした時間は今も色褪せることなく心に留めている。


 物臭な僕でも、さすがにね。

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