[1-07] 悪友
宗谷は屋敷の外に出た。
冬を迎えつつある北方領の空気は冷たい。それに、今まで暖房の効いた室内で軍議をつめていたばかりだ。その温度差が皮膚を引っ張って痛みになっていた。
北方領の中心都市である領都は、聖都との交通の便のよい北方領の南方に位置する。ゆえに比較的温暖ではあるが、それでも冬が本格化すれば雪に覆われてしまう。やはり、クヴァル様が示唆されたとおり、飛竜傭兵の撃退を急がねばならない。
宗谷はその凍てついた空気を胸一杯に吸い込んで白い息に変え、長い軍議で凝り固まった体をぐっと伸ばした。
その時、「ソーヤ殿」と後ろから女の声がする。
「……ウィスさんですか? どうしました」と宗谷は驚いた。
聖騎士のローブをはためかせて走ってきたのが、聖都から派遣された聖騎士団の隊長だったからだ。彼女は近くまでかけよると、まずは質問を投げかけてきた。
「どちらに?」
「ここには友人がいますので、挨拶をしようかと」
「ご一緒しても問題ないか?」
「構いませんが……」
ウィスさんの目的はなんだろうか、と疑う。
横目でちらりと彼女のほうを見た。女性だが聖騎士になるだけあり背が高い。もしかしたら、母さんよりも少し高いかもしれない。邪魔にならぬよう髪を後ろに結んでいるせいか、表情がきっちりしている。カッコイイ女の人だ。
さて、なんだか、困ったな。
「迷惑か?」
ウィスさんの目をしかめた。
「いや、まあ、そうですね。うん」
思わず口の中が妙に乾く。迷惑ではない。
しかし、ウィスさんは年上でまるで姉のように背が高かった。
そういえば、武道が大好きな姉には、幼いころからよく技の練習台にされた。その体術の中にはどうしても体が密着してしまう組技がある。自分も中学生だったものだから、密着する際に、姉の柔らかい感触によく困惑させられた。
……あの時のぐちゃぐちゃと、同じ感覚がする。
「どうした。邪魔はしないと誓おう」
ウィスさんが腕を組んでこちらを覗き込んでいた。
「いえ、」と頭を掻く。「ちょっと、気になることがありまして、その」
「ほう?」
ああ、本当に困ったな。
実のところ、自分は年上の女の人にめっぽう弱い。
ちらり、と横目でウィスさんの顔を見る。
目算で20代半ばだろう。正直なところ、自分の好みよりも彼女は若すぎる。やはり、個人的なベストは35歳。だから、彼女はストライクゾーンよりも随分と低いのだけど、身長の高さと厳しそうな顔つきが女教師みたいで、ぐっと来るものがある。
「どうした? ハッキリ言わないか」
眉を寄せて詰め寄られると、まるで怒られているみたいでさらに女教師っぽさが増した。
「いえ……。ウィスさんみたいな人を連れて行くとですね。その、友人からですね。ちょっと恥ずかしい、と言いますか」
今から行くのは男友達だ。
彼はもともと不良少年たちのリーダーで、馬泥棒をしていたヤツだ。礼儀も作法もない。そんな彼にウィスさんを連れて行くと「ソーヤが聖都から美人を連れてきたぞ」とさんざんに騒がれて弄(いじ)られるのは目に見えていた。
「なるほど、確かに私のような女を連れては恥ずかしかろう。迷惑をかけて申し訳ないが、それでも同行する必要がある。ご友人には誤解がないように説明するゆえ、許してもらえまいか」
「あ、いえ、そうではないのですが……。まぁ、とりあえず、歩きながら話しましょうか」
「ああ、助かる」
「街の外れまで行きます。馬は?」
「近くの厩舎に預かってもらっているはずだ」
「だったら、スノーと同じ場所でしょう。こっちです」
彼女を屋敷の離れにある馬小屋に案内する。
道中に馬廻りの使用人がいたので声をかけると、確かにスノーと一緒に来客の戦馬を預かった、と言って厩舎のほうを指差した。
「あっ、あそこだ。スノー!」
名前を呼ぶと、厩舎の柵からぬっと白い顔がでてきて、こちらを見つけるなり首を上げて鳴いた。
「ずいぶん、懐(なつ)いた馬だな」
「彼女はいい馬ですよ」
「ほう、牝馬(ひんば)だったか」
厩舎の前までくると、スノーが鼻面を押しつけて甘えてくるので、顎のあたりを撫でてやる。
「これが北の大型馬。牝馬でもこれほどに大きいのか」
ウィスさんはじっくりとスノーの体躯を観察していた。
おそらく、先ほどの軍議でクヴァルさんに指摘されたことを思い出したのだろう。雪原で戦う時は大型馬がよいという話だ。
「体も大きいですが、」と甘えてくるスノーの首をぽんぽんと叩く。「やっぱり、特徴的なのは足回りの強靱さですね。見てください、中央の馬よりも足が毛深くてがっしりしているでしょう? 多少の積雪なら、この足でかき分けて道をつくるんです」
「……なるほど」
唸って頷いているウィスさんを横目に見ながら、厩舎の柵棒を取り外した。
「お、おい!」とウィスさんが慌てる。
「どうしました?」
「何をしているんだ。その馬には、まだ操(あや)りの首紐(くびひも)をつけていないだろう」
「ああ。僕は首紐をしない主義なので」
慌てているウィスさんにそう言って「スノー、こっちだ」と声をかけてやる。スノーは待ってましたとばかりに、ひと鳴きして後ろからついてきた。
「まて、北方の馬は操りの首紐はしないのか?」
「そんなことはありませんよ。騎士や聖騎士は首紐を使います。僕があんまりしないだけです。魔術を使わないほうが馬はよく走る、と友人が教えてくれました」
「しかし、それで乗りこなせるのか」
「気性の荒い馬なら使ったほうが良いこともあるでしょうけど……」と言葉を探す。正直なところ、首紐を使わないのは操りの術が嫌いなだけだ。「スノーは頭がいいから、彼女のほうから乗り方を教えてくれることもあるんです」
「……むぅ」
近くの厩舎にはウィスさんの馬がいた。
彼女の髪と同じ栗毛の馬で、おそらく牡馬(ぼば)、つまりオスの馬だが、スノーよりも一回りも小さい。そのきゅっと絞り込まれた足首には、無駄な贅肉など一片もない。魔術機動戦をモットーとする聖騎士の隊長がその騎乗となれば、かなりの名馬だろう。
その栗毛の馬は、こちらに気がついても特に反応を示すことはなかった。ただ、光を失ったその黒い瞳を、馬小屋の片隅に向けてじっとしている。
「操りの術の副作用。自我の崩壊、か」
口に苦いものが広がり、嫌悪感で眉間が歪む。
操りの首紐は、馬を操るときに用いる魔道具だ。首紐に銀糸を編み込んで馬の意識を支配する。馬の首を束縛しそれを人が握ることで成立する非対称誓約、とレヴィが教えてくれた。その隷属術式が馬の意思を奪う。
しかし、長い間、操りの術の支配下に置かれた動物は、次第に自我が薄れやがて無気力になる。馬泥棒の友人はこう言った。交尾すら命令されなきゃ出来ない駄馬になっちまう、と。
「待たせたな」
いつの間にか、その栗毛の馬には操りの首紐が巻かれて、ウィスさんが乗っていた。馬には先ほどまでの無反応な様子はなく、手綱さばきに応じて正確に足を動かしている。
「いこうか」
「……ええ」
銀糸なんて入っていない、単なる革の首紐をスノーにかけてやる。すると、彼女はみずから身をかがめて乗りやすいようにしてくれた。
またがって、高くなった視点から前を見る。
すると、スノーは生き生きと躍動して、手綱を引いたわけでもないのに、僕が行きたいと思った場所へと走り出した。
◇
宗谷とウィスがたどり着いたのは郊外にあるエリアだった。
そこは大きな広場を中心に賑わっており、ところ狭しと布張りの屋台が立ち並んでいた。
しかし、屋台の様子が普通の市場とは違う。
通常であれば、果物、塩漬け肉や毛皮といった、おのおのが扱う商品を並べ、道中の人々に声をかけ売りさばくはずだ。しかし、ここの店は商品が入っている木箱を並べるだけで、その中身を展示することはなく、ただ軒先に一箱あたりの値段を書き示しているだけだった。
「不思議な市場だな」
人混みを避け、広場の外周に馬を進めていた宗谷は、背後にいるウィスの疑問に答える。
「ここは卸市(おろしいち)なんですよ」
「卸市?」
「ここは聖都と領都を結ぶ交易路です。ここに集まった物品を、地元の商人たちが箱単位で仕入れて、この公爵領の各地で売りさばくのです」
「ほう」
市場の賑わいを眺めながら「ヘイティは、上手くやっているみたいだなぁ」と思わずつぶやいてしまった。
「ヘイティ? 誰だそれは」
「ああ、今から会いに行く奴ですよ。ヘイティフォアって名前です」
「ヘイティフォア? 変な名前だ。古語で『しゃべる狐』か」
「まさに、あいつにはピッタリの名前ですよ」
宗谷は馬上で上体を後ろに捻って、ウィスを見た。
「ヘイティは、まぁ、その。あまり上品な奴ではないので驚かないでください。あいつは貧民街の生まれで、幼いころは読み書きがも出来なかったんです。だけど、今では公爵家から投資をもらって、この交易路を整えた」
「ほう」
「貧民街育ちは口が悪いけど、別に本気じゃなくて、あいつなりの愛情表現だったりするんです。だから気分を悪くしないでください」
「大丈夫だ。私も軍属だ。男達の下品な物言いなど慣れている」
「……はぁ」
軍属とはいえ貴族である聖騎士の下品な物言い、それがどれほど上品で優雅なものかを彼女は知らないようだ。だけど、まぁ、ここまで来たら、なるようにしかならない。
「つきました」
「随分と立派な商館だな」
「まだ新築ですから」
スノーから降りて、来客用らしき馬小屋に向かって歩く。
「馬小屋も多いな……荷馬車用の馬か」とウィスさんも下馬してついてくる。
「ヘイティは馬が好きだから。元々は馬泥棒だったし」
「馬泥棒?」
「昔の話ですよ。そう言えば、あいつと初めて出会ったのは、あいつがスノーを盗もうとした時だっけ」
「……」
ウィスさんが思いっきり顔をしかめたのを見て、とても不安になる。
ヘイティは文字通りの悪友というやつで、この世界にきたばかりの僕を助けてくれた親友でもある。根は良い奴なのだが、街の不良あがりで乱暴なところもある。それに、ことさらに法螺(ほら)を吹いて面白おかしく茶化すことも多い。
いかにも生真面目そうなウィスさんとは、折り合いが悪そうだ。
「ソーヤ! まさか、ソーヤじゃないか?」
急に声をかけられて、振り向く。
「ギートさん! お久しぶりです」
「帰ってきていたのか」
そこにいたのは、背がひょろりと高い男だった。小脇に書類を抱えたまま、反対の手を差し出してくる。それに握手で応えながら「交易路は順調なようですね」と笑いかける。
「ああ、滞りはない。……少し、背が伸びたか?」
「そうですか? 伸びたかも知れない」
「それはそれは。ヘイティがまた悔しがるだろうよ。そちらの女人(にょにん)は?」
ギートさんは上体を少し傾けて、背後のウィスさんを覗きこむ。
「ええ。ウィス・インリングさんです。え〜と、」
ウィスさんの紹介の途中で言葉につまった。
さて、彼女のことはどのように紹介したものだろうか。聖騎士だと言えば、連れてきた理由を聞かれるだろう。落ち着きのあるギートさんはともかく、ヘイティは何かにつけて知りたがる性格をしている。ウィスさんも軍人だ。聞かれても話せないこともあるだろう。
「ウィス・インリングだ。聖都でミハエル第一王子殿下の聖騎士を務めている」
そう気を揉んでいると、ウィスさんが自分で挨拶をしてしまった。
「これはこれは、なるほど。インリング様ですか。それも聖騎士」
その高い上体を折り曲げて、ギースさんは優雅な会釈をした。
流石はかつて、貴族だった人だ。何かと問題を起こしがちなヘイティが、ここまでの成功を築くことが出来たのも、教養のあるギートさんが良く補佐しているからだ。
「失礼かもしれませんが、聖都の騎士団長とご関係がありますか? 同姓ですので気になりまして」
「ヴァン・インリング騎士団長は私の父である」
「……なるほど」
ギースさんは穏やかな目がこちらに向けて、少し顔を傾けた。
「詳しい事情は後でお聞きしましょう。ソーヤ、馬は厩舎の空きを使ってください。私は、ヘイティに知らせて来ます。ちょうど、彼も書類仕事に愚痴をこぼし始めたところでしょう」
「助かります」
ギースさんは身を翻して、商館の中に戻っていく。
それを見送った時に、ウィスさんが背後に寄ってきて、ふふん、と鼻を鳴らした。
「ソーヤ殿があれほど念を押すからどれほどかと思ったが、なかなか礼儀をわきまえた優男ではないか。貧民街仕込みの口の悪さとやらも、やはり死活を日常とする軍人には及ばぬな」
「は、はぁ……」
問題はヘイティのほうなんですけど、と言おうとした。しかし、ウィスさんの得意気な様子をみて止めてしまった。
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