高天神城包囲(三)

 夜半、岡部丹波はまだいくらか体の動く城兵数十名を選抜して斬り込みの囮部隊を編成した。三の丸の最前から徳川方に向けて鉄炮を放つことも検討されたが、火縄の焦げる臭いによって攻撃が事前に露顕することが懸念されたので、援護射撃のない斬り込みを敢行する運びとなった。岡部丹波はおもむろに前進の采配を振るった。斬り込み部隊は城の水濠に潜って夜陰に紛れこれを渡りきり、更に柵の前にこしらえられた空濠にへばりついて法面を登り切ると、やにわに鬨の声を上げた。

「敵襲!」

 徳川番兵が声を上げると、城方の兵は手鑓によってこれをひと突きにした。城兵は三年に及ぶ籠城の鬱憤を晴らすのはこのときをおいて他にないとばかりに柵を引き倒し虎落をって暴れ回ると、徳川番兵は一斉にこの攻勢があった箇所に蝟集し始めた。その様を見て、横田甚五郎は城兵の全てが署名した後詰嘆願の手紙を勝頼に届けるべく、夜陰密かに高天神城を甲府に向け発向した。その出で立ちはというと、黒の肩衣に黒の袴、それぞれ袖、裾を固く引き絞って得物は脇差一本というものであって、譜代重臣にして高天神城籠城衆軍監の重責を担う将の出で立ちには到底見えず、草(忍者)そのものであった。横田甚五郎は水が湛えられた高天神城の濠には水を泳ぎ切った。岡部丹波が認めた手紙が水に濡れて判読できなくなることが心配だったが、字が読めなくなれば口頭でその内容を伝えれば良い。甚五郎はそう割り切った。高天神城の水壕を超えると、次に待ち構えていたのは徳川方がこしらえた濠であった。これは空濠であった。甚五郎は城方が徳川番兵を引きつけているうちに空濠を渡った。横田甚五郎は柵を乗り越えた。すると、突如押し寄せた城方との乱戦にかまける徳川番兵の一が

「あれだ! 柵をこえようとしておるぞ!」

 と叫んだ。横田甚五郎はその声を聞くや一目散に駆け出した。後ろを振り返って追っ手の数を数えるようなことはしていられなかった。甚五郎はあらかじめ決意していたように、甲府を目指して暗闇の中をひたすら走った。走る甚五郎の顔に、蜘蛛の巣やら草木の蔓やらが絡みつき、激しく呼吸する口の中に何だかよく分からない小虫のようなものが飛び込んできたりもしたが、構わず走った。しばらく歯背後に感じていた、幾人かの徳川番兵のものと思われる足音はいつの間にか聞こえなくなっていた。だが甚五郎は足を止めなかった。こうして横田甚五郎は、向こう側に抜けることなど到底不可能だと思われた付城群を突破したのである。足を止めなかった甚五郎は、その走る目的を、徳川番兵から逃れるためから、一刻も早く甲府へと到達するために変えていた。横田甚五郎は三日三晩進み続けて遂に甲府へと達すると、府第の門番に

「横田甚五郎尹松である。御屋形様に御注進あって高天神城より参上した」

 と息も絶え絶えに伝えた。門番は草さながらの黒服に身を包み、そこら中擦り傷だらけの汚い身形の男が、あの譜代重臣横田甚五郎尹松であると俄に信じることが出来なかった。兎も角も門番は門内の侍衆に横田甚五郎注進を呼びかけると、間もなく甚五郎は府第の敷地内に通された。そして汚れた姿もそのままに、勝頼が政務を執る広間へと通され、甚五郎はそこでほぼ一年ぶりに勝頼に謁したのである。勝頼は横田甚五郎の顔を見て驚いた表情を隠しきることが出来なかった。昨年十一月以来兵糧を搬入できていない城を脱出してきた身である。一年前と比較すると頬の痩け方は際立っていた。

「よくぞ、よくぞ生きて城を脱してきてくれた」

 勝頼は感極まったようにそのように言った。甚五郎はその勝頼に対し、岡部丹波守元信以下高天神城兵の全てが末尾に署名した後詰要請の手紙を差し出した。

「高天神城からの、後詰を求める文でございます」

 甚五郎からそのように告げられた勝頼は、その手紙にじっと視線を落として身じろぎもしなかった。勝頼は手紙を読み進め、城主以下城兵の末端に至るまでが署名している部分に差し掛かった。勝頼はその名の一つひとつを確かめているようであった。勝頼が

「誰某の名前が見当たらんが・・・・・・」

 と問うと、甚五郎は

「その者は何時いつ餓え死に致しました」

 と、その亡くなった月日まで回答して見せた。

「左様か・・・・・・」

 勝頼はそのように呟くと、決然

「高天神城後詰の軍議を開催する。諸将を召集せよ」

 と言い放った。翌日、分国から召集された武田家臣は躑躅ヶ崎館の大広間に集った。この席上、勝頼は諸将に対し

「高天神城後詰の方途について如何」

 と問うた。すると口火を切ったのは長坂釣閑斎であった。

「後詰の方途との御諚ですが、それがしは後詰すること自体に反対致します」

 と唱えた。

「その故は、佐竹義重公を通じて甲江の和与交渉をおこなっている今、高天神城に後詰の兵を派遣して家康と干戈を交えるとなると、信長が出張ってくるは必定。そうなれば甲江和与交渉はたちまち破綻することでしょう」

 釣閑斎はそういった意見を附した。これに対して小山田信茂は

「分国の人々が故郷を離れ、遠く国境の城に在番する所以は、一朝ことあらば本国におわす御屋形様が後詰に出張ってきてくれる、必ず助けに来てくれると信じているからだ。御屋形様に対する信頼がなければ、遠国での在番になど到底従えるものではない。城持ちの将になったことがない釣閑斎殿にはそのあたり、お分かりいただけんのであろう」

 と皮肉を交えて言い放った。これには春日信達、曾根河内守、真田安房守等城持ちの大将が口々に

「そのとおりだ。囲まれた城に後詰を送り込まねば武田は分国の人々の支持を失うであろう」

 と言い、軍議は俄然後詰の方向に傾いた。そこへ口を挟んだのは横田甚五郎尹松であった。

「各々方、待たれい」

 横田甚五郎は昨日のうちに、重臣会議に出席するに相応しく身形を調えていた。

 今まさに、苦難の中に身を置いている高天神籠城衆の一人である横田甚五郎の発言とあって、それまで喧しかった諸将が口を閉じた。

「おそれながら御屋形様は、高天神城に後詰して籠城の兵を救おうとお考えでしょう」

 横田甚五郎の問いに、勝頼は

「もとよりその存念である」

 とこたえると、甚五郎は

「今や高天神城はいたずらに家康の劫掠にさらされるだけで、これを維持することが武田の負担になっている。籠城の兵さえ救い出すことが出来れば、城は打ち捨て徳川にくれてやるつもりだ。御屋形様は左様思し召しであると見受けます」

 と言った。勝頼は

「図星である」

 と肯定した。甚五郎は続けた。

「敵を打ち倒すための出兵ならばいざ知らず、城を打ち捨てるための出兵など無用でございます。しかも家康は御屋形様出兵と聞けば、信長に援軍を要請するでしょう。そうなれば長篠戦役の二の舞となるは必定。ようやくにして鍛え上げた軍役衆がまたぞろ討ち果たされ、氏政を相手とする無二の一戦を戦うことも出来なくなるでありましょう。城を捨てるための戦いで無用に兵を損なうのではなく、来たるべき決戦に向けて温存すべきであります」

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