雪と運命(二)

 翌朝、四ツ屋砦の在番衆は遠目に、乗物(駕篭)二つを囲んでこちらに近付いてくる一行を目にした。和睦交渉の使者として四ツ屋砦を訪れようという光徹一行と思われた。乗物の周囲を数名の警固衆が護衛しているがその数は知れている。雪深い道を泳ぐように歩み寄せてくる一行がいよいよその顔貌を視認出来る距離にまで近付いたとき、密命を帯びた四ツ屋砦在番衆は各々抜刀して一行に斬り掛かった。異変に気付いた光徹は乗物を飛び出して

「待てッ! 和睦交渉の使者だ! 斬るな!」

 と叫んで、それこそ雪の中を必死で泳ぎ逃れようとしたが、その背後から桐澤但馬守が一太刀浴びせた。白い雪上にみるみる血が滲んでゆく。深傷を負った光徹はなおも這ってその場を逃れようともがいたが、桐澤但馬守は光徹の烏帽子を跳ね上げて背後からそのもとどりを引っ摑み、持ち替えた脇差しによって喉頸を掻き切った。前関東管領上杉光徹の、これが呆気ない最期であった。 

 一方の内田伝之丞はもう一つの乗物に襲い掛かっていた。乗物に乗ることを許されるほどの大身の将を討って名を挙げんと、若い侍らしい満々たる野心を顕わに襲い掛かったものであるが、引き戸の垂れを荒々しく上げてその顔を見ると、座乗していたのは十そこそこの男児である。内田は他の在番衆が乗物の警固衆と斬り結んで死闘している最中、景勝の密命を一瞬忘れ困惑しながら

「なんで子供がこんなところにいるのだ」

 と申し向けると、乗物の中の男児は怯えを必死に押し隠しながら

身形みなりは小さくとも三郎景虎の嫡子道満丸である。和睦交渉にかこつけて誘き寄せ生害に及ぶとは恥知らずの喜平次らしい腐った所業。私にはこの期に及んで生き恥をさらすつもりはない。早々に斬れ」

 と一廉ひとかどの将にも優る覚悟を示した。内田伝之丞は男児の発した言葉に気圧けおされながらも、道満丸を乗物から引きずり出し、主命に従ってその頸を刎ねた。内田は道満丸の頸をすぐに手持ちの布きれで包んで、見えなくしてしまった。その顔を見てしまっては、今後自分は侍として人の一人も斬ることが出来なくなってしまうと思われたためであった。

 光徹一行をことごとく斬り捨て、戦果を手に四ツ屋砦へ帰ろうという在番衆は、みな一様に昏い顔をしていた。その中でも内田伝之丞は他に悟られぬよう涙を堪えていた。

(主命とは申せ酷いことだ。これから先、俺は人を殺して身を立てていかなければならないのだ。武士とはそういうものなのだ)

 内田伝之丞は自分が武家に生まれたことをこの時ほど呪ったことはなかった。内田伝之丞は、後に自分が頸を刎ねた相手がその名乗ったとおり景虎嫡子道満丸であること、そして道満丸が九つの童児であったことを聞かされた。それ以来、内田伝之丞は道満丸を討ち取った話題を振られると激昂し、和睦の一行とりわけ幼い道満丸が殺害された経緯について興味本位で聞いてくるような連中を白けさせ遠ざけるようになった。敵方の嫡男とはいえ無抵抗の子供を殺害したという罪悪感は終生伝之丞を苦しめた。忘れようと努めれば努めるほど、あの怯えを必死に堪える道満丸の顔が瞼の裏に浮かんだ。いつしか時代は泰平の世を迎えていた。伝之丞は人を斬ることも人に斬られることもなくなっていた。しかし毎年雪が降り積もる季節になると、伝之丞は真っ白な雪上に点々と滲む血の色を思い出してひとり苦しんだ。その意味では内田伝之丞も雪に一喜一憂した者達のうちの一人であった。自らの寿命が尽きつつあることを悟った伝之丞は筆を取った。家族の者は長者である伝之丞が何事か書き付けているのを気にしながらも覗き見ることを許されなかった。伝之丞は寛永十六年(一六三九)に亡くなった。生前、父が最期に何を書き付けていたものか、遺品を整理しながら気になった息子はその書付を読んで青ざめた。そこには藩祖景勝が上杉光徹及び景虎嫡子道満丸の殺害を四ツ屋砦在番衆に命じた旨が暴露されていた。このころ米澤藩の若い藩士には、この時の襲撃事件は四ツ屋砦在番衆が和睦交渉の一行を敵方と誤認して討ち果たしたものだと説明されており、「上杉家御年譜」にもそのように記されていたのだ。藩祖景勝は寛大にも自らに叛逆した景虎を救うつもりであった、光徹と道満丸殺害は事故につきやむを得ないことであった、というのが「上杉家御年譜」に記された彼等にとっての史実であった。伝之丞が遺した書付はこの公式記録を否定するものであった。伝之丞の書付が外部に漏れ出しては藩祖の家督継承の正統性に疑問符が付きかねない。御家取り潰しの口実を江戸の幕府に与えかねない危険な代物であった。

(父は六十年間も良心の呵責に悩まされ続けたのであろう。世に公にするためではなく、きっとこのことを書き残さずには死ねなかったのだ)

 息子には自然とそう思われた。息子は父伝之丞書付を文箱に再びしまい込み、封印してしまった。文箱の封印が解かれ、伝之丞の書付が再び日の目を見るようになるまでは、なお二百年以上もの歳月が必要とされるのであった。

 余談が過ぎた。話を戻そう。

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