御館の乱(七)
武田からの返書を受け取って最も驚いたのは他ならぬ景勝であった。窮して自ら和睦の使者を遣わしたものであるが、相手に応じる気がなければ使者が斬られるか書状が黙殺される場合がほとんどだったからである。一縷の望みを賭けて書状を遣ったものであるが、返書が届いたということ自体景勝にとっては価値のあることだった。
景勝は震える声で
「して、返書の内容は」
と問うた。
「勝頼公御出馬のため返書が遅れた旨の詫び言がまず書かれております」
武田からの返書には景勝或いは景虎のいずれに与するとも書かれてはいなかった。書かれてはいなかったが、景勝が望む和睦については
「そちらからの起請文を提出されるならば和睦に応じても良い」
とあったので、景勝は
「武田が和睦に応じるならば当方勝利は疑いがない」
と欣喜雀躍し、勝頼が求める起請文をさっそく
景勝は続いて味方国衆や去就が明らかでない国衆に対して
「武田が我等に合力した」
との書状を書き送った。
勝頼は景勝に鞍替えしたとはひと言も言っておらず、またそのことは景勝も重々承知していたけれども、味方の結束を促し或いはどっちつかずの国衆を味方に抱き込む目的でこのように誇張した書状を各方面に送ったのであった。
勝頼と景勝の間でこのような書面の遣り取りがあることなど露とも知らぬ三郎景虎は、信越国境に武田勢が押し寄せていると聞いてこれもまた勝利を確信し、彼も味方に対して
「武田援兵が間もなく越府に到着する。勝利は間違いない」
と諸方を励ました。
六月十二日、勝頼は本隊を引率して海津城に入城し、先遣の信豊隊と合流している。景勝起請文は勝頼の入城と同日に海津城へと届けられた。勝頼は景勝から送られてきた起請文を手に病床の春日弾正を見舞った。信豊の海津入城から概ねひと月が経過していた。景勝書状について典厩信豊と協議したころは信達に支えられながらも歩くことが出来た虎綱であったが、勝頼が見舞ったころにはもはや上体を起こすことすらままならないほど病状は悪化していた。
「我等の声が耳に届いているかどうかも定かではありません」
信達は虎綱の傍らに身を寄せる勝頼にそう言った。
「弾正、聞こえるか。景勝より起請文が届けられた。景勝と我等の和睦は間もなく成るであろう。ひとまず安心してくれ」
これまで信達等が話し掛けても反応を示さなくなっていた虎綱が、勝頼の声に対しては小さく、弱々しくではあるが口を動かしながら何事かを語ろうとしている。
勝頼はその口に耳を近づけた。
「裏切りに・・・・・・くれぐれも」
近づけたが聞き取れたのはここまでであった。
恐らくは氏政の裏切りにくれぐれも気をつけよと言いたいのであろう。このとき微かに聞き取ることが出来た春日弾正の言葉が最後となった。二日後の六月十四日、虎綱は海津城において五十二年の生涯を終えた。人生の三分の一以上の時間を越後との緊張の間に過ごし、春日弾正にとって最大の脅威であった謙信の死と、永年睨み合ってきた越後との和睦成立を見届けるようにして逝ったのである。まさに越後との戦いに捧げた生涯だったといえよう。
春日弾正が逝去した同日、勝頼は遠江に徳川が蠢動しつつあるとの報を得た。
「この多忙な折に」
と苛立ってみても信越国境から遠州までの距離が縮むものではない。勝頼は海津城から遠州小山城将岡部丹波守に対して
「
と命じて高天神城の手当てとしている。
勝頼にはこれから景勝と景虎との和睦を成立させなければならないという困難な仕事が待ち受けているのである。そのような折節、遠州方面で家康が行動を起こすことが勝頼にとっての最大の懸念材料であった。
両者の和睦を急がねばならぬ。
勝頼は早速市川信房と大熊長秀とを越後妻有庄方面へと派遣し、自らは本隊を引率して越後頸城郡大出雲へと動いた。妻有へ市川信房と大熊長秀を派遣したのは、彼等がもともと越後国衆であって近辺の地理に詳しかったからである。特に市川信房にとって妻有庄は旧来の知行地であって、この地方に派遣するに相応しいと判断されたからであった。旧知行地へと派遣された市川信房は、勝頼から事前に
「喜平次と和睦し領土割譲の約束を得ている」
と聞いていたことから、越後側に求めれば妻有庄を明け渡してくれるものだと解釈し、もっけの幸いとばかりに同地域を治める秋葉山城将小森沢政秀に対して
「妻有庄と城を明け渡せ」
と求めた。
なにしろこのころの武田家を見舞っていた給地不足を原因として、新たな知行地をしばらく得ることがなかった市川信房である。このときとばかりに旧領回復を目論んだ。妻有庄と居城の明け渡しを求められた小森沢政秀は、景勝から
「信越国境に出現した武田勢は味方であるから安心せよ」
と言い含められてはいたが、領土と城を明け渡せとは聞いていない。味方だとばかり思っていた武田勢に城と土地の明け渡しを要求されてさぞ困惑したことであろう。早速越府に急使を遣って
「武田勢市川信房より妻有庄と秋葉山城の明け渡しを求められておりますが応じますか」
と問い合わせた。すると景勝は内心
(勝頼に
と冷や汗をかきながら、それを小森沢からの使者に悟られないよう努め、なおも
「大事ない。武田は味方だ。勝頼公からそのような話は聞いておらんので汝は城の
と厳命した。そして小森沢からの使者が秋葉山城にその旨復命するため春日山城を発したのを見届けた後、右筆を呼んで
「市川信房が妻有庄と秋葉山城の明け渡しを求めているそうですが、そのような命令を下したのですか」
と抗議にも似た書状を認め勝頼宛に発送している。勝頼はその書状を一読すると
「和睦成立同然と考えておったのだが先走りすぎたか」
と、こちらもまた困惑しきりであった。
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