第71話 情け

 「自分が一番辛い目に遭ってきたとでも言いたいのか? お前だけではないだろう。紅蓮だって一人別の場所に住まわされて、外に出ることも出来ずにいたんだぞ」

 「そんなのとっくに知ってんだよ。あんなとこに入れられた理由までは知らねえが」

 それでも自分を見つめていた彼女のあの表情が忘れられない。

 群衆が集まっているからと面白いものを期待したのに、目の前に広がっていたのは異様な光景。

 役人どもが姉貴たちや自分の両手を縄で後ろに縛って、非ず者の集落に連行しようとするのを、呆然とした様子で眺めていた。

 そんな彼女がいい家柄の子どもであることは一目で分かった。

 着ている物や手にしている物からも知ることが出来たが、何より自分たちに厳しい目を向けていた群衆たちが遠慮するように彼女に視線を向けたり、よく見えるようにと場所を譲ったりしていたのを覚えている。

 口々に豪商の娘だという声も聞こえた。

 また彼女の母親が通る際には皆、間を開けて彼女が通れるようにしていた。

 自分は一生非ず者としての生活を送ることになっても、彼女が自分と同じ様になることは決してない。

 紅蓮に暗い視線を向けた後、再び清流を見て言った。

 「魍魎の世界にはそういうひがみやねたみみてえなもんはねえのか? まあ、お前を見ていればそういったもんとは無縁そうだが。

 生憎人間ってのは、お前が思っているよりもきたねえ生き物なんだよ。俺を見てれば分かるだろ?」

 「魍魎おれたちにだってそういう感情はある。人間だけじゃない」

 清流はまっすぐに毒丸を見据えた後、言葉を続けた。

 「醜い感情をいつまでも引きずっていても何も変わらないぞ。紅蓮に着物を用意させて、閉じ込めて。それが本当にお前のしたかったことなのか?

 そんなことをして手に入れた着物を貰っても、お前の姉たちは喜ばないぞ」

 姉と聞いた瞬間、毒丸の顔に怒りが浮かぶ。

 清流に食ってかかろうとした時、焦げ臭いにおいが彼の鼻孔を掠めた。

 目の前に顔を向ければ異変に気付いた清流と紅蓮が怪訝な顔付きをしている。

 そんな二人の背後を真っ黒な煙が早朝の空に向かって昇っていくのが見えた。

 毒丸の異変に気付いて、清流と紅蓮も振り返る。

 「あっちの方は……」

 煙が出ているのは、以前自分が紅蓮に渡すくしを求めて立ち寄った繁華街。

 清流が呆然としていると、彼の背中に向かって毒丸が声を投げる。

 「あの様子じゃ燃えてんのは一軒だけじゃねえだろ? 俺に説教垂れてる間にここが火の海になるかもな」

 飄々ひょうひょうとした調子でそう口にする毒丸に、清流が眉間にシワを寄せる。説教など垂れていないと文句を言おうとした時、

 「そうなる前にその女を連れてどこかに逃げるんだな」

 毒丸は清流と紅蓮に背を向けて、墓石代わりにしている石の方へ歩いて行く。二石の石に掛けられていた着物を手に取った後、こちらに戻って来た。

 そのまま近付いて来ると、今度はそれらを清流の頭目掛けて被せた。

 いきなり視界を塞がれた清流は驚きつつも、すぐに自分に掛けられた着物を取る。

 睨むように毒丸に視線を向け、

 「今の言葉をそのままお前に返してやる。どこか火の届かないところまで逃げろ。非ず者だか何だか知らないが、絶対に死ぬな」

 「一体どういう風の吹き回しだ? 俺になさけをかける理由なんか、お前にねえだろ?」

 「ああ、そうだ。お前のしたことを許した訳じゃない。だが、ここで焼け死んで欲しいなんて思っていない。俺も紅蓮もだ」

 真剣な表情でそう口にした彼から毒丸は視線を外す。ふん、と鼻を鳴らしてから、二人の脇を通り過ぎるとそのまままっすぐ歩き出した。

 「どこへ行くの? そっちは火の手が上がっているのよ?」

 慌てて声を掛けた紅蓮に彼は顔だけをこちらに向けて、

 「非ず者の集落とこへ戻るんだよ。がいるんでな」

 それだけ言うと、さっさと歩いて行ってしまった。

 毒丸の姿を見送った後、清流は紅蓮を立たせて共に歩き出した。

 朝の空に昇る煙はさきほどと比べ物にならなくらいに大きくなっている。

 「紅蓮、俺たちも行こう」

 「ええ……」

 だが、返事を返す紅蓮の顔は何だか浮かない。

 「どうしたんだ?」

 「屋敷が気になって」

 「屋敷?」

 紅蓮が小さく頷く。その後、続けて、

 「寿や、おばあ様が……」

 「気持ちは分かるが、今は逃げる方が先だ」

 小さく首を縦に振る彼女の表情は当然浮かない。

 人々の騒がしい声や足音、やかましく鳴り響く鐘の音を聞きながらその場を後にした。

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