第45話 困惑

 今日はいつもよりも早く目が覚めてしまった。

 もう少し寝ていようとも思ったのだけれど、思い切って起きることにした。

 洞窟から外を見れば、辺りはまだ暗い。

 けれど、夜目よめなので十分に周りを見渡せる。

 牡丹は別の部屋で就寝している父の千曲ちくまを起こさないように細心の注意ほ払って、外に出た。

 木々の葉を夜風が揺らす音を聞きながら獣道を下りていると、洞窟から誰かが出て来た。慌てて木の陰に身を隠すと、洞窟から出て来たのは何と清流。

 (清流? まだ暗いのにどこに行くのかしら?)

 彼も眠れないのだろうか。

 清流は辺りを確認してから、獣道を下り始めた。

 ここで彼に話し掛ければ一緒に散策を楽しめるのではないかと考え、牡丹は清流に声を掛けようとした。

 けれど、清流があまりにも真剣な顔付きで道の先を凝視しているものだから、気後れして声を掛けることが出来ない。

 清流のこんな表情を初めて見た。今まで見たことのない彼の表情に嬉しいのやら困惑しているのやら、自分でもよく分からない感情になってしまう。

 まるで何かに取り憑かれているのではないかと思うほど、清流は黙々と山を下りて行く。

 牡丹も気付かれないように注意しながら、彼の後を付いて行く。

 そして、とうとう人里に下りてしまった。

 目の前を歩いている清流は迷うことなく、まっすぐ人里の中を進んで行く。

 人間たちもまだ寝ているらしい。物音ひとつ聞こえない。

 そのまま牡丹が清流の後ろを付いて歩いていると、やがて見えてきたのは大きな建物。

 (この中にも人間が住んでいるの?)

 牡丹が不思議そうにその建物を見上げていると、清流はその屋敷の門の前で止まった。

 門を見上げた後、身体を液体に変化させてそのまま屋敷の中へ入ってしまった。

 これには牡丹も驚いて思わず声を出しそうになった。

 両手で口元を抑えた後、牡丹は恐る恐る屋敷の門に近付いた。

 (清流、この中に入っちゃったわ……)

 何の迷いもなく屋敷内に入って行った。

 この先に何があるのだろうか。

 牡丹は意を決し、自身の身体を液体に変化させると清流と同じ様に屋敷の中へ入った。


 中に入ると大きな建物と広大な庭園が目に飛び込んできた。特に目を引いたのは、その色も種類も様々な草花たち。牡丹が知っているものもあれば、初めて目にする種類のものもある。

 じっくり眺めて回りたい気持ちもあったが、今はそれどころではない。

 清流の後を追わなければ。

 牡丹が辺りを見回すと、清流がちょうど朱色の橋を渡り終えてその先にある木々で覆われている箇所に入って行くのが見えた。

 慌てて彼女もそちらに向かう。

 同じ様に木々の先を通り抜けると、清流の後ろ姿が。

 気付かれないように、その後をゆっくりと付いて行く。

 少し歩いて行くと、清流は急に足を止めた。その先にあるのは、乳白色のこんじんまりとした蔵。

 牡丹は彼に気付かれたのではと思い、傍にあった木の陰に慌てて身を隠した。

 こっそりと様子を伺っていると、なんと清流まで茂みに隠れてしまった。

 (なぜ、清流まで隠れるの? 一体どうしたの?)

 驚いたまま再び乳白色の蔵に顔を向けると、蔵に取り付けられた格子越しに女性の姿が見えた。

 白い肌に、真っ黒な長い髪を持つ人間の女性。

 (あの人は人間よね? 清流の知り合い? 彼とどんな関係なの?)

 清流に顔を向けると、彼もまたこっそりと蔵にいる女性の様子を伺っている。

 こちらには背を向けているので、彼の表情は見えない。

 しばらくの間、清流も牡丹も紅蓮の様子を眺めていた。

 やがて、蔵の内側に取り付けられていたらしい板が閉められた。

 女性が完全に見えなくなると、清流はゆっくりと茂みを出る。

 そのまま彼は動かず、ただ目の前にある蔵を凝視している。

 牡丹も少しの間、彼の後ろ姿に目を凝らしていたが、やがて清流を見るのをやめると背を向けて、元来た道を戻るために歩き出した。

 清流がこちらに気付く前にここを去らなければ。

 今はただそれだけしか考えられなかった。

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