第4話 冷艶清美

次の日、和馬はいつものように朝八時に家を出た。

自宅からメルを後ろに乗せて自転車を漕ぐこと二十分、海岸にほど近い場所に彼の通う県立海南高校はある。

進学校でもなければ、スポーツなどで有名なわけでもなく、かといって札付きの不良ばかりが集うということもない、ごくごく普通の高校だ。

 

だが、和馬と美帆、それにメルがこの学校に通うのは偶然ではない。

この高校は国から指定された特別な――魔界からの留学生を受け入れるための学校だった。

メル以外にも、現在三人の留学生が通っている。

ただし、その秘密を知るのは校長とごく一部の教員だけだった。

公立高校なので、校長も含めた教職員は何年かに一度転任することになっているが、彼らはいずれも別の地域の『特別な学校』に赴任する。

それも全て、魔界と魔族の秘密を厳守するためであった。

そのため和馬も、表面上は入試を受けたものの、実際はもうずっと前から合格が内定していたのであった。


(でも、大学からはそうはいかないんだよなあ……)


メルたちも同様であるが、高校卒業と同時に進路は自らの意志に委ねられることとなる。

同時に、和馬の『封門師』としての任務も次代への引き継ぎの段階に入るのだ。

門を封じるための力、そのピークは一般的に十代後半とされている。

それ以降は徐々に力が減少していき、大抵は三十代でほぼ失われてしまう。

美帆の持つ『退魔』の力とはその点が大きく違っていた。

原因は太古の昔から研究されてきたが、いまだに究明されていないらしい。


朝の予鈴が鳴った。皆がバタバタと教室に戻り、着席する。

教室内は普段よりもざわざわしていた。

話題の中心は転入生だ。校長室の前で偶然見かけた男子から、色々な噂が広まっているらしい。

クラス担任の黒田が、例によって飄々とした足取りで教室に入ってきた。

三十代後半の男性だが、見た目も言動も若々しいというか軽い感じの先生だ。


「はいはーい、じゃあ皆お楽しみの、転入生を紹介するぞー」


黒田の軽い口調に、教室が一層盛り上がった。

和馬は若干複雑な心境で、左隣のメルをちらりと見た。

メルは満面の笑顔で拍手している。

そのさらに隣、一番後ろの窓際の席の美帆は口元に微笑を浮かべたまま、静かに目をつぶり――。


(……ね、寝てる!?)


コクコクと舟を漕いでいた。教室内のざわつきもどこ吹く風、といった様子だ。

彼女曰く、毎晩売っているたこ焼きの仕込みやら、朝の日課としている修行やらで早起きをしなければならないらしい。

その反動で授業中よく寝ているのは、中学時代からよく知ってはいるが、朝のホームルームからうたた寝というのはさすがにやりすぎだろう。

少なくとも、推薦入試を考えている和馬からすれば考えられない行為だった。


「ほれほれ、いい加減静かにしろってえのー。じゃ、二階堂、入ってー」


黒田に促され、転入生が教室に入ってきた。

一旦静まった生徒たちが、一斉に騒めく。

美しい少女だった。

だがそれ以上に皆が驚いたのは、彼女の銀色に輝く髪の毛だった。


「今日からみんなと一緒に勉強する、二階堂葉月さんだ。よろしくなー」


黒田の隣に立った小柄な少女が、静かに頭を下げる。

涼やかな目元の、クールな印象を与える美貌だ。

銀色の髪を耳の隣辺りで切っているのと、全体的に細い身体つきのため、一見すると少年のようにも見える。

緊張のためであろうか、表情が硬いように和馬には思えた。


(あ、でも……美帆さんの話だと、とっても真面目で……顔に感情が出にくい人なんだっけ)


いつも笑顔を絶やさない美帆も、逆の意味で感情が掴みにくいタイプではあるが。


「うわ~、やっぱりミポリンの言ってた通り、ちょっと怖そうな感じだね。でも可愛いじゃん」


「う、うん……そうだね」


当たり障りのない返答をしたつもりだったが、メルは眉根を寄せると、


「ちょっと和馬~。その答えはどっちの意味で肯定なのぉ?」


厳しいツッコミを入れてきた。


「ええっと、それはその……」


「ふーん、ああいう娘が和馬の好みってこと? クールな感じがいいの? 銀髪がツボ? それとも小っちゃい方が好きなの?」


矢継ぎ早に質問を浴びせられてしまった。

とりあえず何となく相手の言葉を肯定してしまうのは、和馬本人も自覚している悪い癖だったが、ここまで責められるとは想定していなかった。


「べ、別に好みとかそういうことじゃなくてさ、その……あー、何て言うか……」


しどろもどろになってしまい、慌てて美帆の方をチラッと見るが、頼みの綱は机に突っ伏して、本格的に睡眠中であった。

仕方なく、和馬は自分なりの言葉でメルに答えようとしたが、


「め、メルちゃんは可愛いよ!」


動揺のあまり、自分でも驚くような返答をしてしまった。

しかも、教室中に聞こえるほどの声量で。


「え? そんな……和馬ったら~」


さすがにメルもこんなストレートな返しは予想していなかったのか、真っ赤に染まった頬に両手を添えて身体をくねらせた。


「あー、そこのお二人さん。転入生をダシにして、朝からイチャイチャしないようにー」


抑揚のない口調で黒田がぼやくと、教室がどっと笑った。

口を開けたままオロオロする和馬に対し、メルは「もう、黒ちゃん先生、何言ってるの~」などと、すっかり上機嫌だ。美帆に目を向けると、


「うふ、今日もお二人は比翼連理の仲ですね~」


いつの間にか目を覚ましたようで、よく分からないことを言いながら笑顔で親指をビシッと立てている。

そして、すっかり主役の座を奪われてしまった転校生はというと――。


(……怒っている、のかな……?)


表向きは登場した時と同様、全くの無関心といった感じだが、発する気配がさらに冷たくなっているように和馬には思えた。

これから共に仕事をする立場としては、ベストとは言い難い第一印象を与えてしまったかもしれない。


(まあ、とりあえず後でちゃんと挨拶しておかないとなあ……)


メルや美帆のようにマイペースな人物に囲まれている和馬は、その体躯に似合わず、人一倍心配性なのだった。


午前の授業終了のチャイムが鳴った。

ガタガタと椅子を動かし、男子数名が購買部へと走っていく。

和馬は丁寧に机の上を片づけ、バッグから弁当箱を取り出した。

高校生のランチとしては渋い、漆器の大型弁当箱、三段重ね。

それとは別に、味噌汁とメルの分の弁当の入ったランチジャー。

合わせると、軽く三人前はある分量だ。


「じゃあ、私は葉月さんとちょっと出かけてきますね、校内の案内も兼ねて~」


ひらひらと手を振って、美帆が葉月を連れて教室を出ていった。

葉月は和馬に一瞥もくれようとしなかった。

メルは「お弁当~♪ お弁当~♪」と全く気にしない様子だったが、


「あれ? どーしたの、和馬? お腹空いてないの~?」


普段と違う雰囲気に、小首を傾げて訊ねてきた。


「いや、ちょっと……二階堂さんが何となく不機嫌そうだったから……」


「あー、そだね、ずーっとむっつりしてたねー。って、和馬ったら、そんなにあの娘のことが気になるの~?」


含みのある言い方に、朝のホームルームの再現かと一瞬身構えた和馬だったが、


「ま、転校初日だし、最初は慣れないから仕方ないんじゃないかなあ。あたしだって、こっちに初めて来た頃は緊張しっ放しだったもん」


天真爛漫、一見何も考えていないようなメルであるが、時に和馬以上に相手の心理を慮ることがある。和馬は納得して大きく頷いた。


(そういえばメルちゃんも、ホームシックになってたもんなあ)


今の様子からは窺い知ることもできないが――彼女も幼少時、一人でこの人間界にホームステイし始めた頃は、不慣れな環境に戸惑っていた。

夜、一人きりで故郷の魔界を懐かしみ泣き暮れる姿も見たことがある。

生まれも育ちも茅原市、高校入学時も見知った顔が多かった和馬には、なかなか彼女たちの寂しさを実感することはできなかったが、


(少しでも、力になりたいな……もちろん、仕事も協力していかなくちゃいけないし……)


多種多彩なおかずをパクパクと口に運びつつ、和馬はどうやって彼女――二階堂葉月とコミュニケーションをとっていくか、具体的にはまずどんなことから話をしていこうかと、思案を巡らせていた。



「私は余計な事は話さない主義だ。だから一つだけ言っておく。仕事の邪魔はするな。以上」


淡々とした口調で一方的に伝えると、二階堂葉月はもう用は済んだとばかり和馬たちに背を向けてその場を去ろうとした。


「もぉ~、葉月さんたら単刀直入にも程がありますよ~。もう少し色々お話しましょうよ~」


美帆は笑顔で細い腕を引っ掴み、何とか場を和ませようとする。

和馬とメルはポカンと口を開けるばかりだった。

こちらからアプローチするまでもなく、放課後になると葉月の方から「結城和馬だな、話がある」と声をかけてきたのだ。

ああ良かった、本当に無関心ということではなかったんだな、と安心した矢先、彼女の第一声がこれである。

これには、さすがの和馬もショックを受けた。


和馬たちは、校内で『仕事』の話をする際には、旧校舎一階の空き教室を使うことにしている。

教室の半分ほどは、使用していない机と椅子で埋められていて、カーテンも一日閉めっぱなしだ。通りがかる生徒も少ないので、内緒話をするにはちょうど良い場所だった。


「あ、あの……僕は、結城和馬です。結ぶ城と書いて……」


「必要な情報は把握している。当然、貴様の名前もだ。自己紹介は不要」


何とか自己紹介をしようと試みたが、冷ややかな目つきで中断されてしまった。

取りつくシマもないとは、まさにこのことだろう。


「ちょっと、ちょっと~。せっかく和馬が仲良くしようと頑張ってるのに、そういう態度はないんじゃないの~?」


「魔族……夢魔だったな。私は魔族が嫌いだ。だが、正規な手続きを経て人間界にいる者に対して、私の力を行使することはない。貴様が攻撃的な態度に出ない限りはな」


「なっ! なっ! 何よそれ!? ちょ、和馬! 止めないでよっ!」


頬を膨らましたメルの堪忍袋の緒が切れる前に、さっさと葉月は教室を出ていってしまった。


(続く)

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