第22話 消えては生まれ
白い天井に白い壁。
仕事に追われる看護婦たちと、やり過ぎなほどの消毒液の匂い。
メイルゥはこの場所に来るといつも
かつての彼女にとってひとの命というものは、半分は守るものたち、そしてもう半分は奪うものであった。
だが病院という場所は、人種や性別によらず、等しく命を救う現場である。
その一点だけをとってみても、王朝時代からすれば信じられないほどの文化的進歩だ。
新たな力を手にすることで、人間には新たな欲が生まれる。
やりたいことと、出来ること。
このふたつの違いを明確に思い知らされるのもまた、力を手に入れたものだけの大いなる特権なのかもしれない。
医師にとってもそうだ。
叶うことならば、すべての患者を救いたい。そう願わないものはいないだろう。
しかし現実というのは非情である。
あるところで、必ず生死を分かつ線が引かれる。
それを医療の限界と呼ぶか、運と呼ぶかはそのときの結果いかんにもよるが、所詮、ひとの力ではどうすることも出来ない領域というものがあるのだ。
「昨夜から二度……心停止をしました」
フレッドはすでに大部屋から集中治療室と呼ばれる個室に移され、特別な処置がされている。
完全なる面会謝絶。
ガラス越しに見る彼の寝姿は、とても安定しているようにも思えた。
「いまは強心剤を投与し、小康を保っていますがいつまた発作が起きるか……」
「フレッド……」
メイルゥの見つめる先。
触れることの出来ない彼の頬は痩せこけていて、目元も大きく落ち込んでいる。
わずかに混じっていただけの白髪がもう、遠目からでもまだらに見えていた。
「メイルゥさん。残念ですが、これ以上の処置は我々にはもう……」
無愛想な医師は、首を横に振った。
その間にも看護婦たちはテキパキと仕事をこなしている。
フレッドの点滴を替え、額に浮き出た汗を拭いてくれていた。
「人工心肺……例の研究はいまはどうなっているんだい」
すると医師はメイルゥの目を一切見ず、ただガラス越しの集中治療室に視線を注いでいる。
わずかながら身体が震えているようだ。
さっきからピンと張ったカイゼル髭が、微震を続けている。
「……なんのことやら、さっぱり分かりませんな」
それだけ口にすると急に黙り込んでしまった。
汚れたシーツや使い終わった医療器具などを持って、看護婦が集中治療室から出てきた。
彼女はメイルゥと医師のまえに来ると一礼し「当直を代わる時間ですので」とことわりを入れてから、その場をあとにした。
彼女が廊下を静かに渡り、別棟へとつながるドアを開けたとき、突如吹き込んだ一陣の風が、メイルゥの首のあたりにまとわりついた。
嫌な汗をあおるようにして吹く風に、メイルゥも意図せず、しかめっ面になった。
「か、閣下……お、お許しく……ください……」
岩のように黙り込んでいた医師が、突然、口を開いた。
しかも大の男が、蚊の鳴くようなか細い声で詫びを入れてきたのである。
驚いたメイルゥがそちらを見るが、やはり彼は眼前の集中治療室のみに焦点を当てている。
「な、なにも言えんのです……私は見張られて……看護婦たちは、ほ、本国の……」
一体、なにを恐れているのか。
メイルゥは先進諸国の闇を垣間見た気がした。
おそらくは先任の医師もまた――。
メイルゥはもうそれ以上なにも聞かず、ただ震える彼の背中を「ポンっ」と叩いた。
「ご家族への連絡は?」
話題は自然とフレッドの家族のことに。
それでも医師の険しい表情はあまり変わらなかったが「ううむ」と一言うなったあとで。
「一度目の蘇生後、すぐに速達を出しましたが、ミナス村まで便りが届くまでに丸一日。そこからご家族が街へ出てくるのにはどれだけの時間が掛かりますやら……」
ミナス村は辺境のサムザ公国にあって、さらに僻地である。
近年、待望の線路が周辺の町まで通ったが、その多くは物流のための貨物列車で、ひとを乗せるような普通列車の運行は、まだ日に二度がやっとであった。
さもありなん、といった表情でうなずいたメイルゥ。
医師の肩を「ポンっ」と叩いて、その場をあとにする。
「一度、帰るよ。今日は夜中でも入れるようにしておいてくれるかい」
「は、はい。もちろんです。それくらいの権限は私にも……」
するとメイルゥは医師のこわばった表情を見て、励ますように微笑んだ。
「頼りにしてるよ」
颯爽と歩き出した大魔道士の堂々たる姿に、医師は圧倒された。
去り際、ドアの向こう側へと消え去る彼女の背中に、医師は深々と頭を下げたのだった。
帰りの路面列車のなかで、メイルゥはフレッドと出会ったときのことを思い出していた。
王宮から暇を出された孤独のなか、ひとり汽車に飛び乗った彼女を出迎えたのが彼だった。
緊張した面持ちで「か、閣下の客車を担当させていただきますっ」と敬礼した姿は、いまもなお、まぶたの向こうにありありと浮かび上がる。
なかでも印象的だったのは、
「戦争のないこの国に生まれたことを誇りに思います」
と、なんのてらいもなく、真剣な眼差しでそう語ってきたことだった――。
「メイルゥさま?」
物思いにふけっていたメイルゥの意識を、ひとりの女性が呼び起こす。
その腕には、生まれたばかりの小さな赤ん坊が抱かれ、静かに寝息を立てていた。
彼女の隣には亭主と思しき、優しげな青年も一緒にいる。
「ああ……あのときの……」
以前も病院帰りにおなじ路面列車に乗り合わせたことのある女性だった。
あのときはまだ、大きなお腹をして、歩くのも大変そうで。
「生まれたんだね。おめでとう。かわいいね。女の子かい?」
「はい。メイルゥさまのおまじないのおかげで、とても安産でした」
「そうかい、そうかい」
たるんだ目元をさらに細くして、とろけるような笑顔でメイルゥはうなずく。
すると彼女が「抱いていただけますか?」とメイルゥに赤ん坊を預けてきた。
赤ん坊を抱いたときのメイルゥの顔は、救国の英雄ではなく、ただのおばあさんだった。
彼女はいま腕のなかに、命の重さを感じている。
ひとつ消えて、ひとつ生まれる。
有史以前から連綿と受け継がれてきた「命」という系譜が、身分の上下や種族を越えていま彼女の腕のなかに
これこそが彼女の守りたかった国そのものであり、フレッドが誇りとしたものなのだ――。
赤ん坊はメイルゥの腕のなかで、目一杯泣いた。
メイルゥが店に戻ると、すでに何人かの子供たちが来ていた。
今日はいつになく、おとなくしているなと思ったら、ブラック先生による竹とんぼの作り方講座をやっていた。
慣れない刃物を持つ子供たちの目は真剣である。
こうして彼らは、危険や痛みを学んでいく。
「ばあさん」
ことのほか子煩悩であることが分かった、天下無双の
メイルゥが「なんだい?」と問うと、ポケットから一枚の手紙を出した。
「出掛けたすぐにもう一枚、速達が届いた。いつものだ……」
「エドガー?」
手紙を受け取った彼女は、その場で封を切る。
なかから取り出した三枚の便箋を、食い入るように目を通したあと、静かに「ブラック」と彼の名を呼んだ。
「しばらく留守にする。あとは任せた。サラはいるかい?」
バーカウンターのなかから出てきた黒猫は、メイルゥに呼ばれるとすぐに彼女のすねへと頭をこすりつけに来た。機嫌がいいのか「グルルルル……」と、のどを鳴らしている。
「ご機嫌なところ悪いがね、例の病院に張り付いといておくれ」
「ええええええええ! オイラ、これから新しい本読むんですけどっ」
サラの人語はメイルゥにしか聞こえていない。
しかし、それをして彼女が不平を漏らしているだろうことは、誰の目にも明らかだった。
「一刻を争う。遠出するかもしれないから、最悪、そこから入れ替わるからね」
「ちょっと! 遠出ってどこよ? ちゃんと歩いて帰って来られるんだろうね?」
「さてね。じゃあ頼んだよ」
と、メイルゥが取るものも取りあえず店から出て行こうとすると、ブラックが「ばあさん」と低い声で呼び止める。
そして愛用のガンホルスターから一丁、翠巾党との抗争でも活躍したあの拳銃を取り出した。
「持ってけって?」
「……嫌な予感がする。おれの勘は当たるんだ」
秒を重ねること五つ。
短い沈黙を破るように、突然の突風がスイングドアを揺らした。
「あ、飛んだ!」
「おじちゃん、竹とんぼ飛んだよ!」
子供たちが口々にそう言いながら店内を走り回る。
追いかけているのは、さっきブラックが作った竹とんぼだった。
くるくると――くるくると――。
まるで誰かに操られているかのように舞い上がる。
茜さす陽の光に乗り、どこまでも、どこまでも。
メイルゥはブラックの手から拳銃を受け取ると、一体どうやってしまっているのか、ローブの懐へと忍ばせた。
手荷物は旅行鞄と愛用の杖だけ。
まるで、この街へと最初に降り立ったときの姿そのままだった。
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