第20話 魔をもって導く

 十分で壊滅させる。

 メイルゥのその言葉は嘘ではなかった。


 三人が翠巾党のアジトへと脚を踏み入れた瞬間から、戦闘がはじまった。

 まずは歩哨に立つ男たちの群れを、ブラックが次々と行動不能にしていく。

 いつ抜いたのかも分からない早業で、ひとりにつき二発弾丸を撃ち込む。その場所はバイタルゾーン(致死部位)を外した肩や膝関節など。

 死ぬことはないが、まったく容赦なく撃ち抜いていく。

 その正確さたるや動いている人間に対しての命中精度を考えると、もはや人知を超えていた。


 撃ち終わると愛銃をトップブレイク(中折れ)させて、空薬莢を排出させる。

 そしてガンベルトに並んだローダーから新たな実包六発を、リロードした。

 この動作を片手で発砲しながら、戦闘中に交互に行う。

 弾の切れ間などはなく、リボルバーとはいえ相手に付け入らせる要素は微塵もなかった。


 そのころ人狼卿ルヴァンは、尋常ではないスピードで見張り台へと駆け上り、そこにいた数名をこらしめた。

 そこに見せしめとして火をかけると、もう一棟ある見張り台から、被害を恐れて翠巾をかぶった男たちが雪崩をうって降りてくる。

 これで哨戒チームの機能は完全に沈黙したと言えよう。

 ちなみにこのとき、まだ突入開始から三十秒である。


 黒猫のサラを肩に乗せたメイルゥは、愛用の杖を突きつつ、迷うことなく一棟の建屋を目指していた。

 ログハウスを石壁で補強した、小型の精霊堂。

 暖炉が焚かれているのか、エントツからはもうもうと黒煙が立ち昇っている。


 時折飛んでくる小銃の流れ弾には、一切、関心がない。

 まず当たらないし、すぐにブラックがその射手を黙れらせてくれるので、振り返る手間すら必要としなかった。


 ルヴァンはすでにつぎの仕事に取り掛かっている。

 群がる魔賊たちを、適当にあしらいながら蹴散らしていった。

 まるで冬山での除雪作業のようだと、メイルゥは思う。


 目指しているのは、連れ去られた女たちが拘束されているという丸太小屋だ。これでひとつの案件が終わったと確信したメイルゥは、すぐに脳内からそのことに関するタスクを削除する。


「ここだね、サラ」


 精霊堂のまえへと立つと、メイルゥはサラに問う。

 そして黒猫は「にゃあ」と答える。


 しばらくすると、あたりからは銃声が鳴り止んだ。

 翠巾党の戦闘員、総勢百余名。

 わずか二分足らずの間に、そのことごとくが倒されたのである。

 森のなかにはいま、風に遊ぶ葉擦れの音と、あわれ魔賊たちのうめき声だけが聞こえる。


 ブラックがメイルゥの背後を警戒している。両手にはリロード済みの二丁拳銃。


「ブラック。鍵を撃ちな」


 彼はメイルゥに命じられるまま、ほぼ反射的に精霊堂の扉にある鍵を撃ち抜いた。

 こんなことは初めてだった。

 勝手に身体が動いたような自然さに、ブラックは自分自身で驚いている。


「せぇのっ」


 メイルゥは、はつらつとした脚線美でドアを蹴り飛ばした。

 およそ数時間まえまで、リウマチに苦しんでいた老婆と誰が思うだろう。


 土埃を舞い上げて倒壊したドアの向こう側からは、異様なニオイと共に生ぬるい熱波が押し寄せてきた。

 このときお堂のなかに広がっていた光景を、メイルゥは忘れることは出来ないだろう。


 本来、精霊への礼拝のために用意されているベンチもなく、お堂のなかはただの一面の床だった。そこに一糸まとわぬ複数の男女がところ構わずまぐわっており、汗と、香油と、精液のニオイが、暖炉の炎にかき回されている。


 彼らはまだメイルゥに気づかない。

 まるで目に入ってさえいないように。


 ツカツカと小気味のいい靴音を鳴らしながら、メイルゥはお堂のなかに入っていく。

 ブラックもそれに続いた。


 そして道士が説教を行う壇上にて、複数の女を侍らせている男を見つけた。

 彼だけは正気を保っている。

 メイルゥを見つけると、ゆっくりと立ち上がった。

 無論、そのやせ細った身体には、布切れ一枚まとってはいない。

 ただ顔面に、翠色をした奇っ怪な化粧を施しているほかは。

 そして彼の背後には、山のように高く、ぞんざいに積まれた精霊石の塊がある。


「ようこそ、おいでくださいました。サムザの魔導卿。わたくしはハロルド・ユンカース。この翠巾党の主催をしております」


「ユンカース。聞いた名だ。没落したとは言え、家名を汚すもんじゃないよ」


「ホッホッホ。これは異なことを……」


 ハロルドと名乗った翠巾党の頭目は、うろんな瞳をメイルゥに投げかけ、笑みを浮かべる。

 蛇蝎のごとく冷徹で、およそ血の通った表情ではない。


「魔をもって導きとなす。愚かな民衆どもを束ねた偉大なる王、アドルフ・マーリン一世のお言葉です。わたくしはその正統継承者だ……大魔道士メイルゥとて口が過ぎますぞ……」


「狂ってやがる……」


 ブラックのつぶやきは、メイルゥの胸のうちをも代弁していた。

 そしてメイルゥは無言のままに、手にした杖の先でお堂の床を叩く。

 甲高い音と共に、その場でまぐわっていた男女たちは突如として意識を失い突っ伏した。


 それを目にしたハロルドからは、明らかな狼狽の色が見て取れた。


「げ、解術をっ……こんな、いとも簡単にっ……」


「こちとら長生きが取り柄なんでね」


 メイルゥが悪びれもせずに軽口を飛ばす。

 騒動の終焉を感じ取ったブラックが銃口をハロルドへと向けた。

 ハンマーは起きている。あとはトリガーを絞るのみ。


「……翠巾党の頭目に関してはデッド・オア・アライブが適用されている……たとえ殺しても罪には問われないがどうする?」


 事実上の最後通告だった。

 だがハロルドは狂気をより一層強めた口調でブラックの勧告をあざ笑った。


「撃つなら撃ちたまえ。かつての魔導王朝は、拳銃使いガンスリンガーのその卑劣な行為によって滅んだ。しかしわたくしには『魔王』の祝福がある。父なる精霊アドルフの御声みこえに耳を傾けたまえ!」


 泣くというよりは鳴く。

 もはや声にならぬ発狂の音波が堂内に反響する。震えているのは空気と、そして彼の背後にそびえている精霊石の山だ。


「……ばあさん」


「任せる」


 狂ったハロルドの鳴き声に、乾いた銃声が重なる。

 トリガーを引くことに対して、ブラックの躊躇いはなかった。

 しかし彼の放った弾丸は、ハロルドの心臓を止めるには至らなかった。

 なぜならば――。


「な……」


 ひとりの裸女がハロルドの眼前へと飛び出していた。

 彼が侍らしていた女の誰かだ。

 ブラックの放った銃弾は、彼女の胸を貫き弾道を変えた。


 そしてハロルドはそのすきに、いずこへと逃げ出してしまった。

 響き渡る奇っ怪な叫び声。

 メイルゥは「ちっ」と軽い舌打ちをする。


 がしゃんと音がして隣を見た。

 そこには愛用の拳銃を床に取り落としたブラックが震えている。

 ゆっくりとついさっきまでハロルドのいた壇上へと近づいていった。


「――まさか」


 気づいたときにはもう遅かった。

 ブラックは自分が撃ち殺した裸女の躯を抱きかかえると、もはや身じろぎひとつしない。

 石のような静寂さだった。


「その子かい……」


 メイルゥはいたたまれない思いで聞いた。

 だが返答などあるはずもない。


 名も知らぬ裸女の顔を拭いてやると、その額に手のひらをあてた。


「彼女に魂の安息を。四つの精霊の名のもとにて願わん――」


 それは死者へと贈る葬礼の言葉だ。

 するとブラックは小さな声で「……ありがとう」と言った。


「閣下! すぐにそこから離れなさい!」


 ルヴァンがお堂の入り口から叫んでいる。

 あまりに唐突過ぎて、メイルゥは理解するのに少々の時間を要した。

 いつの間にか彼女の肩から降りていた黒猫のサラは、ブラックを慰めるようにして彼のスキンヘッドをなめている。


「戦車です!」


 ルヴァンの声がした直後だった。

 轟音と共にお堂の石壁が崩れ去り、地震のように建屋が揺れた。

 幸い、気を失っている男女たちを含めて、誰も怪我はしていないようだったが、お堂の壁にはポッカリとした大穴が空き、そこから眺める風景に、見慣れない鉄の塊がいた。


 両脇に無限軌道を備えた鋼鉄の箱。

 胴体には一門の大砲を搭載し、小さな窓からは機関銃の銃口がのぞいている。

 戦車である。

 蒸気の圧力がまだ安定してないのか緩慢な動きであるが、この世でどんな猛獣よりも強い。

 近代戦術のあり方を変えた決戦兵器が、翠巾党の主催ハロルド・ユンカースの手によって操縦されている。

 二発目をすぐに撃ってこないところを見ると、操縦と砲撃とをひとりでこなしているようだ。

 つまり敵はひとり。


「やってくれるじゃないか、貴族のボンボンが――」


 そう言ってメイルゥが崩れ去った石壁から外へと出ていこうとしたときだった。

 彼女の腕をつかんだブラックが、「この子を頼む」と裸女の躯をメイルゥに預けた。


 床に転がる愛銃を拾いあげ、撃ち尽くした空の薬莢を排出する。

 そしてたった一発だけの実包を装填すると、手首の返しでトップブレイクしていた銃をスタンバイさせる。


 ゆっくりとした動作で身体から銃を握った右腕が離れていく。

 銃口は戦車へと向けられていた。


 見ているようで見ず。

 狙っているようで、狙わずに銃は動く。


 柔らかな肘の使い方は、彼の心をトレースしているかのようだった。

 

 そして――。


 一発だけ込められた弾丸は、迷いなく戦車へと飛んでいく。

 狙ったのは鋼鉄の箱の表面にわずかなだけ開いている、機関銃を懸架する狭間である。


 たった一発の銃弾は、もはや盾となる信徒もいないハロルドの心臓を撃ち抜いた。


 突入開始から九分と五十秒。

 これが『メイルゥの夜討ち』として伝説になるにはまだ若干のときを要した――。


 事件は異例のスピード解決だった。

 すでに頭目が死に、残ったのは洗脳を受けていただけの善良な人々ばかりだった。

 ハロルド子飼いの旧貴族たちは問答無用でお縄となり、さらわれていた女性たちは無事、それぞれの家庭へと戻った。

 パン屋の店主より伝えられたメイルゥの言葉に、彼らは助けられた。

 女房はもとよりだが、腹に一物ある亭主たちも「メイルゥの頼み」だから何も言わないでやってやるんだということで面目を保ったのである。


 のちに「翠巾騒動」として取り沙汰されることになるこの事件は、またひとつサムザの国民の心に小さな傷を作った。

 それがメイルゥには、たまらなく悲しいのである。


「どうすんだい。これから」


 想い人の葬儀を済ませたブラックは、しばらくメイルゥ商会へと身を寄せていた。

 あれから銃は手入れすらせずに、二階に間借りしている部屋に押し込めてある。

 ここ数日は、メイルゥの店を掃除したり、子供らの相手をしていたりして過ごす時間が多かったが、時折、惚けたように夕暮れの空を眺めている彼を見て、メイルゥは心配になったのだ。


「変な気を起こすんじゃないよ」


「……分かってる」


 淹れたてのコーヒーをまえにブラックはポツリとつぶやいた。


「ただすべてが虚しいんだ……けっきょくおれの銃は誰も救えなかった」


「なに言ってんだい。救ったじゃないのさ」


 驚いたような顔をしてブラックは顔をあげた。

 メイルゥは満面の笑みで彼を見返すと、


「あのままユンカースのガキに囚われたまま生きるのと、おまいさんの手に掛かって死ぬとじゃエライ違いだ」


「……しかし」


「しかしもカカシもないね。このメイルゥさまの言うことがきけないってのかい」


 メイルゥの啖呵に、ブラックは思わず目を丸くした。

 そんなことを言う人間に、いままで出会ったことがなかったからだ。

 しかも存外悪くない――。


「ブラック。どこにも行くあてがないのなら――あたしの仕事を手伝いな」


「……ばあさん」


「おまいさんは、メイルゥ商会の従業員二号だよ。ちなみに一号はそこな」


 するとバーカウンターの隅っこで、本を読んでいる黒猫が「にゃあ」と鳴いた。


「ふっ……ふふふっ」


 ブラックはもう笑いがこみ上げてきて仕方がなかった。

 メイルゥは彼と出会ってから初めて、こんなにも声をあげて笑うのを聞いた。

 褐色の頬を伝う光る雫も、それを覆う両手も。


 みんなみんな、彼のすべてが美しいと思った――。

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