[ 3 ] 魔法使いの憂鬱
第11話 寝るまえの儀式
人狼卿ルヴァンの助太刀により難を逃れたあの日。
あれからさらに数日が経過したが、ふたりはまだ物件探しを続けていた。
無用なトラブルを避けるため、今度は
やはりサラが野性的な直感で見つけてきた一番最初の旧パブこそが、メイルゥにとって新生活をはじめるに相応しい場所だと思っている。
だが――。
「なあ、ばあちゃん。あれからもう十日だぜ。まだ聞かないのかよぉ」
「なんの話だい」
そろいの寝巻きに着替えたふたりが、ベッドのうえで語り合う。
あぐらを組んで口を尖らせているサラの長い黒髪を、メイルゥがブラシで梳いている。
かつて野良犬の毛並みのようだった彼女の髪も、光の輪が出来るほどに艶めいていた。飼っていたノミやシラミも一蹴され、淡いサボンの匂いだけが彼女を優しく包んでいる。
「最初に教えたボロ屋のことだよぉ。オイラがなんで嫌がったのか知りたくないのかい?」
「べつに知りたかないね」
「そんなこと言って……あの家気に入ってんだろ? でもオイラが嫌がったから……」
「いま探してんのは、おまいさんの家でもあるんだ。いちいち気兼ねするこたないよ。それに風俗街ってのが良くない。子供の教育上あまりいい環境とは言えないね」
「でも!」
「でもも、カカシもあるか。はい! この話は終わり。まえを向きな、まだ髪梳きは終わりじゃないよ」
シラミも消えたし、そろそろ髪結いにでも連れていこうかね――なんてメイルゥが独り言みたいなボヤキをしていると、サラがポツリと、こちらも独白めいた小声でつぶやいた。
「あいつらなんだ……オイラたちを鉱山に連れてったの……」
ブラシを持つメイルゥの手が止まった。
「気づいた頃にはもうあいつらのとこで番号で呼ばれてて……大きくなったらもういいだろうって、鉱山の親方のとこ連れてかれて……」
サラの身体が震えている。
思い出しただけでも恐怖するようなことが、そこでは行われていたのだろう。
彼女は「あの子」と共にそこから逃げ出してメイルゥと出会い、つらい別れもあったがやっと人並みの幸せをつかもうとしている。
そんなときにまたぞろ捕まってしまっては、振り出しに戻る以上の地獄が待っているのではないだろうか――言葉にせずともその怯え方からすべてが伝わる。
メイルゥはそっと彼女を抱きしめた。
「どこへもやらないよ。おまえはうちの子だ」
「ばあちゃん……」
薄暗いシャンデリアのした。
優しい時間だけが流れてゆく。
ふたりが寝起きを共にしたのは、たかだか十日あまり。
しかしお互いに愛したもののために、命を捧げてきたという共感がある。
血の繋がりよりも濃い魂の共鳴。
そんな繋がりにメイルゥは、何よりもこの小さな命に愛情を注ぎたくなるのである。
「ハンソン一家。
「ばあちゃん……知ってたの?」
サラは驚いたようにメイルゥへと振り返った。
年老いた彼女の恩人は、しわくちゃになった顔をなおしわくちゃにして言う。
「このメイルゥさまに知らないことはないよ――と、言いたいところだが」
メイルゥはブラシを鏡台に戻すと、そのままそこで紙巻きを吸いはじめる。
いつも決まって火のついた状態で指の間に挟まっているが、その瞬間をサラは一度たりとも目撃したことがない。もはや突っ込むとも面倒くさいというヤツである。
「知り合いにちょっとした事情通がいてね。そいつにこないだ手紙を出した」
エドガーのことはサラには内緒にしている。
聞けば図書館暮らしの頃に一番読み漁ったのが彼の著作であったという。
知り合いだと分かれば、会わせろと言い出すのは目に見えている。
サラには悪いが、あの山を登るのはしばらく勘弁だった。
「まあ聞いてもいないのに、あれこれと情報を送りつけてきたよ」
「そうなんだ。あそこはハンソン一家の縄張りなんだ。だからオイラも、なかなか図書館から出ていく踏ん切りがつかなくってさ」
「ふん。ルヴァンもそんなようなこと言ってたね。サムザの人間は基本的にヤクザものでもひとがいいから、よそ者に騙し取られたんだね、きっと」
ふぅっと紫煙をくゆらせる。
淡いシャンデリアの光に、煙草の煙が七色に輝く。
寝巻き姿のメイルゥはまるで、魔女というよりも海賊の女船長のような風格だった。
「このメイルゥさまに喧嘩を売ったんだ。あとでキッチリ始末はつける。あたしゃこう見えてねちっこい性格してるんでね。いまどきのサバサバ系とかいう、単に態度が悪いだけの女どもとはワケが違うんだ」
「誰に言ってんだよばあちゃん」
「とにかく。この話は終わりだよ。あんたも気をつけな。下手打って捕まんじゃないよ」
「う、うん」
煙草を吸い終わったメイルゥが、ベッドへと戻ってきた。
サラを隣に寝かせ、自らもブランケットに包まった。
「そうだ、サラ。明日はちょっと留守を頼むよ」
「留守?」
「といってもホテルのフロントに手紙や届け物があったら受け取ってくれりゃいいだけだ」
「どこ行くの?」
「知りたいかい」
「うん」
サラはうつ伏せになり、頬杖をついてメイルゥの次の言葉を待った。
メイルゥもまた、どこか嬉しそうな表情をしている。
「逢い引きだよ」
「逢い引きって……デートぉ!」
メイルゥは「かっかっか」と高笑い。
一方、サラはブランケットを蹴飛ばして、興味津々である。
「だ、誰と? オイラ知ってるひと?」
「落ち着きなよ。ほら、湯冷めするから毛布をかぶって」
「そんなのいいから話の続きぃ」
「はいはい」
メイルゥはサラの頭から自分のブランケットをかぶせてやると、彼女が蹴飛ばしたもう一枚を取りに行った。
「ま、逢い引きってな、ちょいと大袈裟だったね。正確には見舞いだよ」
「見舞いって。あ!」
「そう。こないだ病院へ行ったとき会ってる」
「あの泣いてたひとだ」
フレッド・ミナス。
メイルゥがこの街へと降り立ったとき、乗っていた蒸気列車で車掌をしていたのが誰あろう彼であった。エドガー・ナッシュの新作に話題の花を咲かせ、旅の思い出にと、ものさしをくれた青年だ。
のちにサラを検診に連れて行ったこの街の病院で再会し、期せずして知己を得たのである。
「この街に身寄りがないって言うからね。ほら……着るものの世話とかあるだろ?」
「なんだってばあちゃんが世話しなきゃいけないのさ」
「うるさいね。ほれ、袖振り合うも他生の縁って言うだろ」
「図書館の本にはそんな言葉なかったよ?」
「海の向こうの言葉さね。覚えときな」
「だからって逢い引きって……ばあちゃん、もしかして恋してる?」
メイルゥは答えなかった。
ただそのときの彼女といったら、耳が真っ赤になっていて。
「わ、ばあちゃん、ふわぁぁぁ」
「もう寝な!」
サラの茶化すような笑顔をまえにして、メイルゥは照れ隠しに柄の長いシャンデリア用のろうそく消しを手に取った。
明かりの消えた部屋は文字通りの暗闇で、サラはベッドへと戻ってきたメイルゥの身体にぴったりと我が身を重ねた。
「おやすみサラ」
「おやすみなさい」
サラの寝息が軽いイビキへと変わるまでには、それほどのときは要さなかった。
とても安心しているらしい。
最初に出会ったころの子供ながらにギラついた鋭い視線は、ここのところ鳴りを潜めている。彼女とはたまたま巡り合ったわけだが、この街には、いや世の中にはまだかつての彼女のような不幸な子供が数え切れないほどいるのだ。
メイルゥはまるで子猫のように丸まったサラの背中に頬をつけて思う。
たとえ大軍勢をまえに怯むことのなかった救国の魔道士と言えども、そんな彼らをひとりひとり救ってやることなど出来ないのだ。
おのれの無力さと、何もかもが変わっていく世の中に思いを馳せ。
人知れず闇のなかで、眠りに落ちていくのだった。
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