及川蘭子の真実

 流石の蘭子も、これには心臓が止まるかと思うほど驚かされた。目を瞬かせ、己の見ている『映像』を何度も切り替えるが、網膜に映るものは何一つ変わらない。

 ならばこれは現実なのだ。

 三匹目の、そして先に出現した二匹を遙かに上回る超大型デボラが出現した事は。

「い、いくらなんでも、デカ過ぎる……」

 ヘリコプターに同乗しているアランが、弱々しい声で独りごちる。操縦士の白人男性に至っては声を失ったのか、喘ぐように口をパクパクと空回りさせるだけ。

 確かに、三匹目のデボラはあまりにも巨大だった。推定される全長は一千メートル以上。先に現れたデボラ二匹が横に並んでも勝てない大きさだ。

 なんらかの要因により、巨大化した個体だろうか? では一体その要因とは?

 上空より観察している蘭子が考え込むと、超大型デボラはその身を大きく仰け反らせる。

【ギギギィイイイゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!】

 次いで、吼えた。

 あまりにも大きな声だった。声は超大型デボラの頭部の先より放たれ、何処までも広がっていく。

 無論その咆哮は争いを続けていた二匹のデボラにも届いた事だろう。デボラも新デボラも一度戦いを止め、超大型デボラの方へと振り返った

【ギ、ギィイイイイ!】

【ギギギィイイイイ!】

 のも束の間、まるで我先にとばかりに相手に殴り掛かる!

 どうした事か。デボラと新デボラは一層激しく、いや、最早がむしゃらといった具合に相手を攻撃し始めた。ハサミを大きく振りかぶり、体当たりをお見舞いし、尾で薙ぎ払う。熱光線や放射大気圧の頻度は下がり、肉弾戦の量が大きく増えた。これまでの戦いはただの準備運動、己の肉体こそが真の武器だと周りにアピールするかのように。

 そうして激しく殴り合うデボラと新デボラを、超大型デボラは乱入する事もなく遠くから眺めるだけ。それどころか疲れたと言わんばかりにその場に伏せ、だらけた姿を見せる。

「(あの個体、観察している? デボラ達の戦いを?)」

 蘭子は考える。

 超大型デボラの圧倒的な巨体を使えば、デボラも新デボラもまとめて叩き潰せるだろう。しかしそれをしないという事は、超大型デボラはデボラ達と戦うつもりがないようだ。デボラと新デボラも逃げないという事は、超大型デボラに『襲われる』心配はないという確信があるのか。

 自分より遙かに巨大な個体を恐れない。だとすればあの巨体は、デボラ達にとって想定外のものではないという事か。

 圧倒的巨体。

 闘争に混ざらない。

 争いを静観。

 このような行動を取る個体は――――

「……雌」

「え? 蘭子さん、今なんて」

「雌よ! あの個体、三匹目のデボラは雌なんだわ!」

 アランの言葉をきっかけに、蘭子は脳裏を過ぎった推論を叫んでいた。

 雌雄で大きさが異なる生物というのは、珍しいものではない。理由は種によって様々だが……かなり大きな差が出る事もある。例えばトドでは雄の方が雌の三倍以上の体重を誇り、逆にある種のチョウチンアンコウの雄は雌の十分の一以下の体長しかない。雄の体長が雌の三分の一、推定体重が二十七分の一だとしも、自然界ではさして極端な違いとは言えないのだ。

 そして雌だとすれば、デボラと新デボラの戦いに首を突っ込まないのも頷ける。デボラ達は雄であり、雌はその戦いを見定めるつもりなのだろう。どちらが強いかを確かめるために。

 そして、その後に起こるのは――――

「……全部、繋がった」

「繋がった? 先生、どういう意味ですか?」

「アイツらの生態よ! ああ、そういう事! だとしたら……」

 大声で騒ぐように、蘭子はぶつぶつと自分の考えを口にする。確かに考えは繋がったが、しかし未だ頭の中で論理的な形にはなっていない。一科学者として、口で説明出来ないものを理解とは呼びたくない。蘭子は声に出しながら、情報を纏めていく。

 デボラが出現した事を示す、現存最古の記録は七万年前に描かれた壁画だ。

 逆にいえば、七万年前以降に出現したという記録は見付かっていない。壁画という形は勿論、化石や目撃情報、神話などの伝承でも語られていない事だ。無論未発見である可能性も十分にあるが、だとしてもデボラの圧倒的巨体を思えば、数千年程度の近年に出現すれば何かしらの痕跡は残るだろう。少なくとも二十年前、全盛期の人類では『誰か』がそうしたアプローチからデボラを解明しようとした筈である。

 そうした発見がついになかった事から、デボラは七万年、そうでなくても数万年間は人類の目に触れなかったと思われる。

「数万年って……なら、どうしてデボラは数万年ぶりに地上に出てきたのですか? 数万年間地中に潜み続けたのなら、わざわざ地上に出てくる必要はないじゃないように思えるのですが」

 蘭子の『推論』に、アランは反対意見を述べる。彼の指摘は尤もなものだ。デボラにとって地中深くでの生活が本来のものであり、地上への進出は異常な行動と言える。

 蘭子とてその『疑問』は認識している。そして勿論答えも用意していた。

 なんという事はない。生物にとって住み慣れた土地を突然離れる事も、普段らしからぬ行動を取る事も、同種同士で争い始める事も……何も珍しい行動ではないのだ。

「繁殖のためよ」

 繁殖期という、特別なイベントの期間内であれば。

「は、繁殖……繁殖!?」

「あら、おかしな事を言ったつもりはないのだけれど? デボラだって普通の生物種なのだから、繁殖だってするでしょ」

「だ、だからってそんな、デボラは二十年前から出現しているんですよ!? まさか、二十年もアイツは、雌が来るのを待っていたというのですか!?」

「二十年も、というのは人間的な視点ね。数万年というライフサイクルを持つデボラにとって、人の一生すら大したもんじゃないと思うわ」

 仮にデボラの繁殖サイクルが最古の壁画が示すように七万年周期だとして、その七万年を人が成人する二十年程度の期間に相当すると換算すれば……二十年なんて月日は、デボラにとって二日ぐらいのものでしかない。

 ましてやデボラにとって、地上というのは『極寒』の地だ。千五百度を超えるマグマの中から見れば、地上で起きる百度にも満たない気温変化など感じられるかも怪しいもの。季節の変化、土地の気候など何も感じぬまま、数日間とある場所に滞在する……可愛い『女の子』を待つためならそのぐらい出来るのが『男の子』というものであろう。

 例えその場所に『人間アリ』が棲み着いていたとして、どうしてそんなものを気にするのか。『人間』が攻撃してきたところで、逃げる事などあり得ない。待っている間暇なので辺りをぶらぶら歩き回り、結果『人間』やその住処を踏み潰す事もあるだろう。もしもその場所に何か、自分とよく似たものが現れたなら見に行くに決まっている。恋のライバルかも知れないし、思いの外小さな女の子かも知れないのだから。

 かくしてデボラは『二日』ほど待ち、そしてついに待ち望んでいた時がやってきたのだ――――女の子よりも先にライバルの男の子がやってきたようだが。

【ギッ、ギッ、ギィイイイッ!】

【ギギギ! ギ……ギィギギギ……!】

 デボラと新デボラは取っ組み合いの大ゲンカにもつれ込む。最早熱光線は出てこない。放射大気圧など放つ暇もない。ただただ泥臭く、故に懸命な生命の営みを繰り広げるのみ。

 可愛い女の子をものに出来るかどうかの大勝負。足下に居る虫けらに目を向ける暇などありはしない。人間が必死であるのと同じぐらい、デボラ達も死力を尽くしているのだ。

 そして死力を尽くした戦いは、間もなく終わるだろう。いや、デボラ達はきっとすぐにでも終わらせようとする筈だ。

 デボラ達の求める『女の子』を掻っ攫う不埒者が、自分達の争いの隙を突いてくるかも知れないのだから……

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