足立哲也の夕食
「米軍が協力してくれるそうだ」
同僚である佐倉に問われ、哲也は一瞬なんの事かと思った。
自衛隊基地内での朝食時。公務員である自衛官にとって数少ない自由時間……と言えるほど自由な訳ではないが、大騒ぎしない程度の私語は交わせる。そして佐倉はこの時間、よく哲也に話し掛けてくるのだ。歳が比較的近くて、明るい性格というのが理由かも知れない。哲也としても彼の話題の広さ、知識の深さには学ぶ事も多く、彼との話は割と好きだった。
とはいえ今の話の意味を即座に察するほど、親しい間柄でもないのだが。
「……いきなりなんの話だ?」
「デボラの話だよ。お前が戦った怪獣」
「……戦った、ねぇ」
哲也は鼻で笑ったような言い回しでぼやく。日本で行われたデボラへの『作戦』は、確かに法律上は軍事行動であり、デボラへの攻撃としか言いようがないものだろう。
しかし参加した者は口を揃えてこう答える。あんなのはただ奴の足下でぴーぴー騒いだだけだ、と。戦車砲を顔面に喰らわせても、対戦車ヘリのミサイルをぶち込んでも、デボラは進路を変えるどころか怯みもしなかった。まるで相手にされず、奴は傷一つ負う事もなく悠々と海に去っている。
あれを攻撃と呼ぶのは、負け惜しみのように聞こえてならない。一人の『兵士』としてのプライドがあるからこそ、哲也はあの時の事を戦いとは呼びたくなかった。
「ま、お前が何を思ってるかはどうでも良いさ。それでアイツが昨日の夕方、深夜のアメリカに現れたのは聞いたか?」
「ああ。今朝ニュースで見た」
「日本よりも被害が大きい事も?」
「……ああ」
デボラがアメリカに出現してから、まだ半日程度しか経っていない。そのため報道で得られる情報はまだ多くはなかったが、日本よりも……『二度目』のデボラ上陸よりも酷いのではないかという話は出ていた。
同時に、哲也はこの話を訝しんでもいた。
自衛隊の実力は世界有数のものだ。先進国の中で『対戦』を行えば、それなりに上まで勝ち上がれると信じている。
それでも、米軍に勝てるとは思わない。
圧倒的物量、軍事技術の高さ、戦争に対する知識、練り込まれた兵站、そして『経験』……第二次大戦から七十年以上経ったが、今でも日本が米軍に勝つ事は不可能だろう。
無論状況の違いはある。しかし米軍がデボラ相手に自衛隊よりも酷い被害を出すとは、とてもじゃないが哲也には思えなかった。いや、被害を出すどころか、米軍ならばデボラを倒せるのではとも思っていたのに。
「米軍でも歯が立たないのか」
「いや、米軍は奮闘した。むしろ奮闘し過ぎたらしい」
「……どういう意味だ?」
「米軍に、デボラが反撃してきたそうだ。その反撃によって上陸した町の七割、交戦した部隊も半分が吹き飛んだそうだよ」
佐倉が何気ない調子で語った話に、哲也は一瞬心臓が止まるのではないかと思うほどの驚きを覚える。
米軍の攻撃でデボラが反撃した、という事は、少なくとも攻撃が全く通用しない訳ではないのだろう。それ自体は吉報だが……問題は『反撃』とやらだ。町が七割り吹き飛び、戦闘部隊が半分も喪失するとは、一体何をしたというのか?
「詳細は分からないのか?」
「流石にまだ秘密らしい。が、噂じゃ航空戦力も落としたそうだ。いよいよ怪獣染みてきたな」
肩を竦め、冗談めかした言い回しをする佐倉。噂と彼は言っているが、佐倉の情報は毎度正確だ。今回も、大きく違うという事はないだろうと哲也は考える。
そして佐倉はまるで世間話のように話しているが、これは大袈裟でなく世界を変えてしまいかねない展開だ。
米軍は世界最強の軍隊だ。最先端の装備を持ち、最良のシステムを備え、犠牲も厭わぬ強い精神を有す。彼等とやり合うならゲリラ戦しかなく、そのゲリラ戦にしてもゴリ押しで削られる有り様。核兵器だって山ほど持っている。中国やロシア、EUやアラブ諸国、反政府組織やテロ組織であっても、アメリカと真っ向から対立するのは難しい。アメリカという巨人が米軍基地を通して見張る事で、世界情勢はなんとか安定しているといっても過言ではないのだ。
そのアメリカですら敵わないのが、デボラ。
全長三百五十メートルもあるとはいえ、甲殻類一匹倒せないとなれば米国の威信は地に落ちる。米軍なんて怖くないと反政府組織やテロ組織が活発化したり、領海侵犯や孤島の不法占拠が増える可能性も高い。加えてもしデボラが噂されている通り何処かの国の『発明品』だったなら、今度はその国が世界の覇権を握る事となるだろう。
世界情勢が大きく変わるかも知れない。それが日本の国益になるのか、日本人の生命と財産を脅かすものになるのかは、なってみないと分からないが……少なくとも、米国はそれを望まないだろう。
「成程、だから共同作戦か」
「ご名答」
情勢が分かれば、佐倉が最初に言った言葉の意味も理解出来る。米軍単独の撃破は難しい。しかし仲間を集めようにも、デボラがなんなのか ― 何処の国が開発したのか ― 分からない以上、同盟国といえども早々協力は出来ない。
その点日本は、最初にデボラが襲撃した事で、恐らく開発国ではないと考えられる。それに自衛隊の戦力は、アメリカほどではないとしても世界でもトップクラスだ。軍事演習も頻繁に行い、連携も十分に取れている。足りないのは精々実戦経験ぐらいなもの。何万もの人名を奪った『巨大エビ』退治なら、日本の反戦団体も迂闊には批難出来まい。
現状、パートナーとして日本は最適という訳だ。一国では無理でも、二国ならば勝ち目はある。国民性の違いもデボラ撃破のヒントとなるかも知れない。
「米国はいずれ正式に日本に協力を要請するだろう。日本としても断る理由はないし、国民も大部分は拒否しない筈だ。そうなった時、デボラとの戦闘経験があるお前は間違いなく辞令が出されるだろうな」
「……多分、な」
「どうだ? リベンジ出来る気持ちは」
佐倉に問われ、哲也は僅かに考え込む。
リベンジ。
確かにそうなるだろう。初戦では相手にもされず、奴の暴虐をただ眺めている事しか出来なかった。しかし今度は違う。アメリカという心強い仲間と、日本国民の後押しがある。次の戦いには、きっと自衛隊の総力を尽くせる筈だ。
全力で挑めば、どんな困難も乗り越えられる。デボラを乗り越えるとは、つまりデボラを倒すという事。哲也は、それが可能であると信じていた。デボラを撃破したなら、リベンジを成し遂げたと言えるだろう。そして可能ならば二度とあのような災禍が起きぬよう、デボラを倒したいとは思っていた。
――――しかし。
「辞令が来れば勿論作戦には参加する。だがあくまで任務が最優先だ。結果的に倒せれば良いが、俺の私的な感情を優先する訳にはいかない」
あくまで哲也は、作戦を優先するつもりだった。
一回目の襲撃で倒せなかった悔しさや恨みがないとは言わないが、怒りに任せて部隊を掻き乱せばそれこそデボラの利となる。自衛隊というのは、いや、軍隊というのは、国民を守るための組織なのだ。自分はその一員であり、私情で動きはしない。
……面と向かってこれを同僚に言うのは、少し恥ずかしいので黙っておくが。尤も佐倉はニヤニヤとした笑みを浮かべていたので、お見通しなのかも知れない。
「良い心構えだ。ま、頑張ってあの怪獣を退治してくれ。応援してるぞ」
「他人事みたいに言ってるが、お前も参加するかも知れないだろ」
「かも知れないな。でも俺は役に立たない」
「なんでだよ」
「特撮映画で戦闘機が役に立った試しがないからだ。賑やかしのミサイルを撃ち込み、落とされるのが精いっぱいさ」
佐倉のジョークに、何処からかくすりとした笑いが聞こえた。哲也も肩を竦め、笑みを浮かべる。
全く、面白い冗談である。
佐倉清史郎――――哲也達と世代の中で抜群の腕前を持つパイロットが落とされる戦場になど、自分達には想像も出来ないのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます