[1-04]生産可能な子

 ロクの判断は大胆なものだった。


「これを機会に、警察内部に潜む純人会の勢力を一掃します」


 始めにそう言って、ロクは説明を始めた。

 手狭なワンルーム・アパートに、布津野と冴子と宮本、それにロクと眠っているナナが詰め込まれている。みんな立ちながら、ロクを囲むように彼の説明に耳を傾けた。


 現在、純人会によって、多くの子供や素体が攫われて外国に連れ去られている。

 これは単なる犯罪行為ではなく、日本の遺伝子技術を狙った他国の技術スパイ活動でもある。これらスパイ活動を野放しになっていた原因として、以前から警察の怠慢が指摘されていたが、今回の件で純人会勢力が警察内部に浸透していることが明らかになった。早急にこれに対処しなければならない。

 一方で、二人を取り逃した警察が大胆な行動に出ることが想定される。第七世代の品種改良素体を手に入れるため、警察内の純人会勢力は大胆な行動を起こした。取り逃がした二人が政府、あるいは研究所に帰還した場合、内閣による警察への事件に対する追及が行われるだろう。

 誘拐が失敗してまだ数時間。今なんとしでも素体の身柄を抑えようと必死になっている可能性が高い。


「宮本さん、研究所周辺と内閣府の様子はどうですか?」


 宮本はすばやく携帯端末を取り出して、どこかに電話をかけた。しばらく相手と会話して顔をしかめる。


「ロクの言った通りだ。研究所に捜査令状が出て、警察が周囲を囲んでいるらしい。内部への突入は食い止めているが、強引に突入されかねない状態だ」

「部隊から十分数を研究所に回してください。研究所を占拠される事態だけは防がねばなりません」

「分かった。腕利きを数名ここに残して、残りの隊員は研究所の防衛に充てる。なに、『未調整』ばかりの警察官なぞ、俺らの敵じゃないさ」


 そう言った宮本は、隣りに布津野がいるのに気が付いて、精悍な顔をゆがめて申し訳なさそうに口をゆがめた。布津野は「気にしてませんよ」と笑いながら手をひらひらと振ってそれに応じた。

 宮本は軽く頭を下げると、また別の場所に電話をした。


「ロク、内閣府もだ。流石に令状は出ていないが、少なくとも十名程度の刑事が周囲を張りこんでいるらしい」

「相手もなかなか判断が早いですね。おそらく、研究所か内閣府に逃げ込もうとする僕らの身柄を確保するためでしょう。万が一の場合は、研究室に突入・占拠するつもりかもしれません」

「しかし、それじゃあ立派なクーデターじゃないか、研究所は政府公認だ。多少グレーな研究もしてはいるが、しかし……」

「政府なんて変えれば良いのです。研究所の遺伝子研究の実態を暴露し、民意を動かし、最適化法推進派の現政権を解散させ、そして、純人会の影響が強い野党政権を樹立。警察上層部の純人会派にとっては、そのような大胆な行動を辞さないほどに、切羽つまった状況ということです。ゆえに、少なくとも僕らの身柄は抑えておきたいはずです」


 宮本は唸りながらも押し黙った。

 冴子はさきほどから無言でロクの言葉に耳を傾けている。こちらは前に言った通りロクの判断を全面的に信頼するつもりらしい。

 そして、布津野はというと、もはや事態が理解の範疇を超えてしまって、はたしてロクが日本語で話しているのかどうかすら訝しんでいた。


「今回の目標は、警察と純人会の繋がりを明らかにし司法の場に引きずり出すことです。冴子さん、検察庁については純人会の影響はいかがですか?」

「警察と比べて低いと判断します。現在のところ、本件について検察庁には何の動きも見られませんが、検察庁は積極的に最適化を受けた人材を登用し、責任ある職につけています。警察ほどの影響力を受けている可能性は低いです」


 布津野は、警察と検察庁は何がちがうのだろうか、と疑問に思っていたが、自分の無知さをさらけ出すのが恥ずかしかったので黙っていることにした。

 ところが、ロクはそんな布津野の様子に気が付いて、溜息まじりに付け加えた。


「刑事裁判を起こす権限は司法資格を持った検察官にあります。警察官だけでは裁判を起こすことが出来ません。検察がこちらに協力的であれば、一連の誘拐事件を刑事事件として告発することが出来ます」


 ロクがちらりとこちらを見た。

 へぇ、裁判って警察だけじゃ起こせないんだ。と布津野はロクの博識さに感心してしまう。


「ちなみに、警察は国家公安委員会直属の組織なのに対して、検察は法務省直属の組織です。この両者は微妙な統制関係にあり必ずしも常に協力しあっているわけではありません」


 なるほど、半分くらいしか理解出来なかったが、要は警察上層部を裁判にかけるためには検察官を通す必要があり、警察と検察は別物であるということか。


「まあ、検察側の協力が得られなくても、やることは変わりません。刑事告発ではなく、民事訴訟を起こすだけですが……」ロクは肩をすくめて一区切りした後、

「簡単に言うと、要は警察上層部が誘拐とか、テロとか、純人会と結びついて事件に関与していた事実を掴んで裁判を起こしましょう、というわけです」

 そして布津野を残念な人を見るような目で見た。

「なるほど、それで有罪となれば、何とかなるわけだ」


 布津野は納得してしまうと同時に、自分が本当に残念な人のような気がして笑いたくなってしまった。でも、本当にそれで何とかなるのだろうか。それとも、ロク君なら何とかしてしまうのだろうか。


「そんな簡単に行きませんが、警察の現状を裁判にかけるのは必須です。その後の対応については、例えば、警察を監査する司法組織を設立し、アメリカのCIAのような組織を設立して防諜体制を強化する……まぁ、それはこの事態を切り抜けた後のことです」


 ロクは頭をふると、冴子のほうに振り返った。

 先程までの布津野に対するあきれたような様子とかわり、真剣な表情に切り替わる。どうやら出来の悪い生徒に対する説明を切り上げ、協力関係にある仲間との打ち合わせに入るつもりのようだ。大人しく黙っておこう。


「冴子さん、信用のおける検察官はいますか? できればそれなりの発言力のある人が望ましいです」

「数名、心当たりがあります。階級は検事正、もしくは上席検察官です」

「ナナに見せましたか」

「はい。二週間前になりますが、ナナの見立てでは私達に対する悪意は持ってないようです」

「そうですか……」と再び考え込んだロクは、

「冴子さんは、その検察官に働きかけて警察に対する捜査を要請してください。罪状は児童誘拐および国家反逆の容疑です。やり方はお任せします」

「わかりました」


 冴子は軽くうなずいた。


「同時に、誘拐された子供の両親とコンタクトを取り民事訴訟を起こすように調整してください。マスコミ各社へのタレこみ、各種ソーシャルネットワークへの情報拡散および操作もお願いできますか。要は、社会的に警察上層部を一層するために必要な世論の工作です。手段は問いません」

「ええ、そちらも問題ありません」


 次に、ロクは宮本の方を振り向いた。


「研究所の防衛を確実にしつつ、突入任務が可能な隊員を出来るだけ集めるとすると何名確保できますか」

「ふむ、四名かな。二番隊が向いている」

「おそらく十分です。装備を整えて待機しておいてください、具体的な突入計画はお任せしますが、おそらくヘリボーン《ヘリからの降下突入》になると思います」


 ヒュゥ、と宮本が口笛を鳴らして笑う。


「そいつは面白そうだ、どういった作戦だ」

「概要は簡単です。作戦というよりも子供だましと言った方が良いと思いますが、おそらく、この状況では子供だましのほうが上手くいくでしょう……」

 そこで言葉を区切ったロクは、意地悪そうな顔をして布津野を見た。

「なぜなら、この作戦の起点になるのは、布津野さんですから」


 えっ、僕!?

 布津野はもう完全に自分は関わることのできない次元だな、と油断していたので驚いた。ロクが少しニヤついたような笑いをこちらに向けているのを見て、なんとなくロクが自分に打ち解けて来たような気がした。

 なんとなく、嬉しいような、不安なような、良く分からない気持ちになる。


「布津野さんには、僕たちの存在を警察に通報してもらいたいのです。『男達に追われている子供を二人保護したから、助けてください』といったところでしょうか」

「ん……それくらいなら問題ないけど、それじゃあ二人が警察に捕まってしまうじゃないか」

「ええ、その通りです」とロクは頷き「よく分かりましたね」と感心してみせた。

 どうやら馬鹿だと思われているらしい。馬鹿だけど……。


「僕たちを捕えた後の警察の行動を予測すると、三つのパターンが考えられます。

 一つ目は、警察本庁に僕らを監禁するパターン。これは最も対応がしやすいパターンです。内閣から僕らの返還を要求してもらいます。拒否されれば行政執行による強制捜査、一連の誘拐事件への関与についての告発。返還に応じれば誘拐経緯において警察官の関与を指摘し、内部調査ですね。まぁ、相手も馬鹿ではないでしょうから、このパターンは恐らくないでしょう。

 二つ目は、当初の予定通り他国のエージェントに引き渡すパターン。もともと、警察が今回のようなリスクを冒した原因は、内通国からの第七世代の身柄を強く要望されたことにあると推察されますので、このパターンが最も可能性が高いです。警察上層部にとっても、僕らが生きて国内にいるメリットはほとんどありません。この場合は引き渡し現場に宮本さんの部隊がエージェントおよび現場の警察を拘束し現行犯で告発します。

 三つ目は、それ以外のパターンですね。色々考えられますが、どれも可能性が低いと思います。まぁ、考慮すべきは拘束された瞬間に僕らが殺害されるパターンですが、僕らの遺伝情報は保存されてクローン体の製造も可能ですから、致命的な問題では……」

「ちょっと、待ってよ」

 布津野がロクを遮った。

「どうしました? 布津野さん」

「死んでしまったら、全然ダメじゃないか」

「そんなことはありません。むしろ、現在の警察を放置することの方が……」

「まったく違うよ。そういう比較とかリスクとかじゃなくて」


 布津野はうまく表現ができないもどかしさに険しい顔をした。当たり前の事なのにうまく通じない。まるで、夜更かしをしたがる幼子になぜ夜に寝なければならないのかを説明するように、聞き分けのないロクの様子にいらだった。

 ロクは頭を傾けて問いかけた。


「もしかして、人の命はなによりも価値がある、という前提に基づいてのご意見でしょうか。そうであれば、警察と純人会の癒着によって他国に誘拐された人数は年間推定120名程度です。その他の事件でも死傷者は年間1,000名程度におよびます。人命が等しく貴重であれば、僕たちの少数の犠牲で……」

「だから、そんな比較の話じゃないだろ!」


 布津野は大声を出した。

 ロクの表情が、意味不明であると言っているかのように歪んだ。

 布津野は無性に悲しくなった。まるで人形のような子だった。精巧で美しく冷たい、生産可能な子。

 ロクは押し黙って、冴子を見た。


「グランマ、僕の計画は間違っていますか?」


 そう問いかけられた冴子は、目を閉じ、慎重に言葉を選ぶように答えた。


「ロクは間違ってはいません。おそらく、彼の言いたい事が論理ではないのでしょう」

「論理ではない……ですか」


 ロクはそうつぶやくと、ますます困ったような表情を浮かべて布津野を見た。まるで使い方の分からない道具を手にしたような困惑。


「布津野さん、論理でないのであれば、この緊急事態において布津野さんの意見は参考にしがたいと思います」


 バン! 

 宮本が拳を手の平に打ちつけて、会話を中断させた。


「ロクも布津野の旦那も、それまでだ。作戦は決まったんだ、あまりグチグチ考えるべきじゃない。それに、ロクよ、布津野の旦那が言いたい事はシンプルだ。『死ぬな』というだけだ。死なない方がベストなのは賛成だろ?」

「それはその通りです。もちろん、死ぬつもりはありません」

「ああ、俺もロクとナナを死なせるつもりはない」

 宮本は歯を見せて笑うと、布津野の肩をポンと叩くと「旦那も、それで良いだろ?」と言った。

「あぁ……うん。邪魔して、ごめん」

「いいってことよ。それに俺は旦那の意見、好きだぜ」


 最後にバンと肩を叩かれた。肩が砕けそうだった。




 ◇

 アパート前に警察が来たのはその日の午後八時だった。

 ベランダから外を覗くと、何台ものパトカーがひしめいていた。目立ちたくないのか、サイレンはつけていない。

 布津野はどことなく、心の置き所に迷っていた。ロクからは警察に二人を引き渡した後は、アパートで待機して普段のいつもの生活に戻って欲しいと言われた。


 これでこの子たちともお別れか……、


 布津野は部屋の中に準備しているロクとナナを見ると一抹の寂しさを感じてしまっていた。

 部屋には冴子も宮本もいなかった。冴子は検察庁に向かい刑事告発の準備を進めていたし、宮本は外からこの事態を監視しいつでも対応できるように備えている。

 本当にこの子たち二人で大丈夫なのだろうか、未調整の自分が彼らに何か出来るとは思えなかったが、少なくとも見た目はか弱い子供である二人をみると心配にはなる。


「布津野さん、いきましょう」とロクが促した。

「そうだね」


 布津野はそう言って部屋の玄関から二人を連れて外に出た。エレベータに乗りこんで、一階に下りる途中にナナが布津野の腰に抱きついてきたから、思わず布津野はナナを抱き上げた。

 こんなに軽いのか。


「僕たちを警察に引き渡したら、いつも通りの生活に戻ってください。今まで聞いたことは口外しないようにお願いします」

「わかっているよ」


 そう言っている間に、エレベータは一階に到着した。

 三人が共同玄関から外に出た瞬間、周囲を警察たちが取り囲んだ。みんな未調整の中年だった。ひどく難しい顔を並べている。


「ご協力ありがとうございます。布津野さんですね」

 警官が一人、進み出た。

「はい」

「この二人ですね。ちょうど、親御さんから捜索願いが出ていたんですよ。助かりました」

「そうですか」


 布津野に抱かれたナナが、周囲を見渡たすとビクッと体を震わしているのが感じられた。ナナは布津野に抱きつくと、耳元で「嫌な人、いっぱい……怖い」とこぼした。

 思わず、力強く抱きしめ返した。


 ――大丈夫なわけ、ないじゃないか。


「それでは、引き取りますね」

 進み出た警官がナナを掴むと布津野から引き離した。それは心なしか、乱暴なものに布津野には思えた。

「いや、布津野……」とナナが、こちらに向かって手を伸ばす。

「おい、暴れるな、大人しくしろ!」

 ナナにむかって警官が怒鳴った。視界の片隅には、ロクが引っ張られるようにしてパトカーに押し込められるのが見えた。


「おい!」


 布津野は、自分でも驚くくらいの大声を出していた。

 警官が難しい顔のまま、こちらを見た。


「乱暴するんじゃない!」


 布津野は警官を追いかけるとナナを取り返した。

 咄嗟の事だった。警官は茫然となった。ナナは布津野をギュッと抱きしめると、張り裂けるように泣きだした。

「布津野さん、勘弁してください。これは職務なので」

「泣いているでしょうが」

「まあ、それは、そうですが……」


 警察がイライラしながらこちらを睨んでいるのを、まっすぐに睨み返した。まわりの警官たちがザワついてにじり寄ってくる。

 すると、横からコートを羽織ったスーツ姿の刑事らしき人間が「なにやってんだ」と怒鳴りながら近づいてきた。


「佐伯刑事、じつはこの男が……」

「警察は子供に乱暴するのが仕事なのか」

 布津野は近づいてきた刑事も睨みつけた。


 刑事はすすり泣くナナと、それを守るように抱きしめる布津野を見ると、先ほどの警官の後頭部を平手で殴打して「面倒おこしてんじゃねぇぞ」低く小さい声で怒鳴りつける。そしてこちらを振り返って、軽く頭を下げた。


「布津野さん、部下が失礼をしたみたいで申し訳ありません。その子の扱いはちゃんとしますから、ご協力お願いできませんか」

 布津野は刑事を睨みつけた、白髪交じりの五十代の男、そのシワ深い表情からは何もうかがえる事が出来なかったが。胸に抱いたナナが「嫌、嫌」と声を震わせていた。


「……信頼できませんね。僕も同行させて頂きます」

「それは困りますよ」

「何が困るんですか。分かりました。それでは、この子たちのご両親をここに連れてきてください。それでも問題はないはずだ」


 チッと小さく刑事は舌打ちをすると、「分かりました。特別処置ということで同行をお願いしましょう。あのパトカーに乗ってください」とロクが押し込められたパトカーを指差した。

 布津野はナナの頭を撫でながら、パトカーに乗り込むと、先に入っていたロクが何ともいえない表情をして、こっちを睨んだが、何も言わなかった。


 三人を乗せたパトカーは前後を他のパトカーに挟まれるようにして走り出した。

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