カルオットの激震

 教皇は椅子の背もたれへと体重を掛けて天井を見上げて溜息を吐く。

 五百年以上もの長きに渡って火山を守護し続けた竜神の旅立ち。

 それがどれほどの大きな問題か……勇者は何を言っているのかわかっているのだろうか。


 神殿側の誰もが『とんだ爆弾を放り込んできたものだ』と胸中穏やかではない。

 急に決まった会談に、訝しげだった神殿側はさらに疑念の視線を強める。

 しかし視線の集まる勇者は落ち着き払っており、隣に佇む少女は少し呆れたような態度を示していた。

 どれもが想定内であるかのように。


「皆、落ち着くのだ。

 先程の火竜などとは次元が違う。こちらの方が余程根拠を訊かねばならぬ問題だ」


 教皇の一言で皆が口を噤み、場が引き締まる。

 周りが落ち着いたところで「話してくれるか?」と先を進める。

 もっとも……先ほどヴァルの言葉を疑っていたガンドールが、神殿側で一番慌てていたように見えたのは本当に滑稽だったが。


「根拠も何も無いんですが……」


「無いだと?! これだけ我らを騒がせておいてか!」


 何とも導火線の短いことで、広い講堂に罵声が響き渡る。

 二人の正面に座る教皇は苦々しい顔を隠しもせずに発言者に視線を向ける。

 とはいえ、浴びせられた側は気にもせずに続けた。


「あぁ、いえ。その『根拠が無い』のではありません」


「意味が分からぬ!」


「この目の前に居る『アルカナ』が証拠になります」


「―――どういう意味かね?」


 ヴァルの言葉はとても端的で、意味を十全に理解することが難しく、聞く者の焦燥を掻き立てる。

 新たな怒声が上がる前に、状況を見ていた教皇が重い口を開いた。


「この少女アルカナは、竜神様が人の形に模した姿です」


 ヴァルの言葉に、場の空気がざわりと変質する。

 思い至っていた者もあるだろう。

 だが理解するには事が大きすぎ、やはりヴァルの言葉は的確には伝わらない。


「……つまり?」


 一拍、二拍の間を置いてワイズ教皇が重ねて問う。

 互いの考えにある微々たる齟齬をも排除するため、核心を突いた言葉が染み渡る。


 ヴァルの背後から進み出たアルカナが、満を持して淀みなく告げる。



 ――我が竜神だ



 それは確かに神託のように聞こえるほどに神聖で、誰もが想定したあり得ない話・・・・・・・

 人が衝撃に身を貫かれる瞬間というものを、これほどヴァルも感じたことはなかった。


 嵐の前の静けさとはよく言ったもので、新たに声が上がるまでの一時的な静寂が広がる。

 一体何度この場を冷えさせればいいのだろうか……そんなことを他人事のように考えるヴァル。


「何の証拠があるというんだ!」


 そんな次の言葉は予想していたもので、だからわざわざ時間を掛けてまで結論を引き延ばしていたのだ。

 ヴァルには欠片も響かず、内心では『ですよねー』程度のもので、何の感慨も浮かばない。

 それはどれだけアルカナ自身が異彩を放っていようとも、だ。


 とはいえ、十三人もの権力者に囲まれ、平然と受け答えをする様子は『堂々』の言葉そのもの。

 ただケープだけを羽織っただけのアルカナからは、そうした神聖さは残念ながら読み取れないらしい。

 ヴァルとしては目が曇ってるとしか良いようがないが、逆にすぐに鵜呑みにされても反応に困る。

『頭がおかしい』と笑うべきか、『信者ってすげぇ』と感心すべきかで。


「我が我として存在していることに証明が必要だと?

 なんとも難しいことを注文するものだ……ヴァル、分かるか?」


「知るかそんなもん」


「うーむ……」


 アルカナの浅いんだか深いんだか判断の付かない質問に、ヴァルは投げやりに答えると彼女は唸って考え込む。

 この状況を打破する方法にも一応ヴァルに秘策があった。

 むしろこれだけ頭の固い相手であれば、実にやり易いと思うほどに。


「さて、皆さんにここで質問です」


 この中で唯一恐ろしい教皇にだけは注意する。

 権力者の癖に権力を欲しがらずに権力を手にし、金を欲しがらない癖に金を持つ。

 何も求めない不可思議な好々爺は、それでも力ある神殿の最高位に君臨しているのだ。


「たとえば、ですが。俺が嘘を吐いているとします。

 つまり今紹介したアルカナはニセモノ、竜神様は今も火山を守護してくれているというわけです」


「当たり前だろう!」


「何を下らぬことを!」


 そんな言葉に過剰反応する神殿側とは正反対に、アルカナはヴァルを不思議そうな目で見る。

『ホンモノ』と断定した勇者ヴァルが、あえて反対の意見を出す理由に思い至らないのだろう。


「それで、誰が確認しに行きますか?」


 ヴァルの言葉で議場が一段冷え込む。


 修験者が強さを求めて命懸けで登った先にある『竜神の棲処さんちょう』にまで単独で行ける者は限られている。

 この場に限ればアルカナとヴァルしか居らず、この半年に限れば勇者以外は挑戦すらしていない。

 となればヴァルがアルカナを紹介した時点で竜神であると証明しているのと同じになってしまう。


 だからと確かめるために大規模な隊列を組んで山頂へ向かえば、縄張りを侵されることを嫌う竜の逆鱗に触れてしまう。

 竜神アルカナからすれば『侵略行為』と『様子伺い』の違いが分かるはずがなく、そんな目立つ行動は許さないだろう。

 いや、案外気にせず待ち構えてるかもしれないが。


 当然この理論は人側にも適用される。

 そう、竜神アルカナの考えなど、神殿じんぞくがわかりようがないのだ。

 つまり、人からすると『神の怒りを買うかもしれない・・・・・・』というだけで、ほとんどの行動が起こせない。


 といっても、実際この場に居るのだから、確かめるも何もないのだが。


「俺の言葉が信用できないから確認に行くわけですし、俺の参加は論外……誰が行きます・・・・・・?」


 神殿との交渉に『勇者の信用』を乗せたヴァルの口角が上がる。

 彼らはそれを蹴ったのだから、付き添いを頼むことも難しい。

 火山では何があっても自己責任……逆に口封じも可能であると言えてしまう。

『勇者』がそんな凶行に手を染めるとも思えないが、そもそも信用を蹴ったが故の問題なので、棚上げにすることもできない。


 全員が黙りこくる中で口を開くのはやはり教皇。

 これが身分の差というものだろうか。


「そうだな。ではガンドールに頼むのが筋と言うものだろうか」


「ななな何を仰います!?」


 先ほど火竜の調査に向かうと発言し、一度勇者の付き添いすら断った身内を早々に切り捨てる。

 もちろん教皇の言葉に慌てたのは当人だが、この場に味方は誰も居ない。

 彼はヴァルにもカルオットにも不義理を働いていたのだから。


「そうですね。ガンドール様は『火竜の討伐確認』にも行かれますし丁度良い・・・・でしょう」


 持ち帰った素材を散々天引きネコババされていたことを知っていたヴァルは綺麗な笑顔で対応する。

 その対象素材は高難易度の火山と周辺の魔物のものになる。

 食客として招かれている立場では問題を起こしたくない、と考えていたからヴァルは黙っていただけで被害額は相当なのだ。

 顔を青くするガンドールを他所に、涼しい顔のヴァルは『この程度の仕返しならば十分に許される』とほくそ笑む。

 そしてガンドールが何かを言い募る前に、確定事項にしてしまうために話を進めていく。


「では逆に、この件が『真実』だった場合の話に移りましょう」


「荒唐無稽すぎる!」


「不敬だ! 暴論にも程があるぞ!」


「事実確認が済んでから話を進めるべきだ!」


 口々に浴びせかけられる二人を否定する言葉。

 にこやかな笑顔だったヴァルの頬を引き攣らせるのは、背後に刻一刻とご機嫌が斜めっている神様が控えているからだ。

 神の怒りを買う可能性も頭に無いらしい信者とは何とも滑稽だが、このままではアルカナが皆殺しせいさいしかねない。

 言葉を切らせば開始の合図と取りかねないため、慎重ながらもヴァルは言葉を足していく。


「ですから、仮定の話です」


 人族における武力の頂点が、言い聞かせるために周囲を威圧する。

 ただそれだけで存在を揺らされるように肌がひりつき空気が凍る。

 開いていた口は自然と塞がり、立ち上がっていた者も萎縮するように椅子に腰を下ろして沙汰を待つ・・・・・


 そんな中で平然としてるのは、シエブラ、ベルナール、そして教皇のイクス・カルオット・ワイズのたった三人。

 勇者の威圧にすら耐えうる傑物はどの世界にも居るらしい。

 ともあれ、静かになったのならばとヴァルは口を開く。


「もし俺の話が真実だった場合のお話です。

 神殿の枢機卿が、アルカナりゅうじんに対して寄ってたかって『嘘を吐いている』と言っています。

 いえ、既に言いました・・・・・よね?

 『真偽』が分からない貴方達は、何を崇め、何を祀り、何に敬意を払っているんですかね?」


 事態を把握して聞いていた、ヴァルの威圧にも動じない三人以外の枢機卿の喉が鳴る。

 彼らは一様に、自身が祀っているかもしれない相手を卑下してしまった・・・・ということに遅まきながら気付いたのだ。


『勇者』が連れてきたのは『何だかえらく存在感のある少女』なのだから、一考くらいするべきだった。

 真偽を確かめるのは必須だが、確定する前に声を上げたのはまずいだろう。

 特に宗教家が『人と神との見分けも付かない』とは、誰からも「どの面下げて」と罵倒されかねない案件だ。


「だとしてもその話を真に受けるのは難しい」


 神殿側の誰もが声を出せないような静寂を破るのはいつも教皇だ。


「竜神様は今まで戦いでのみ関わり、人と営みを共にしたことはありません。

 その強さに惹かれて挑み、力を手にする者も居たが……基本的に『火山に存在する』というだけのカミなのです」


 枢機卿が雁首揃って固まる議場に染み渡らせるように語る。

 そんな場を繋ぐための言葉は、彼らに落ち着きの時間を与える。


 感心するヴァルは、これを機に話を進めた。


「少し話を戻して最初に話した火竜は、竜神の縄張りどころか棲処に踏み込みました」


「やたらと上から目線でな」


「アルカナ?」


「むぅ……まだダメなのか」


 変わらずに続く二人の茶番に辟易してしまいそうになる神殿関係者。

 白けた視線に気付いたヴァルが、咳払いを一つ入れて話を続ける。


「失礼しました――そして俺は竜神の前で一戦やらかしています。

 本来、あの強大な竜神から目を離すのは自殺行為なはずが、一切危害を加えられませんでした」


「なるほど、だから火竜も倒せたという訳ですね」


「その通りです。まぁ、俺が手を出さずとも竜神を侮辱し、怒りを買っていたので火竜の末期まつごは同じでしょうけどね」


 結果は同じだと肩を竦めて話すヴァル。

 実際にアルカナに訊いたところによると、球状の水牢に沈めて窒息させようかとか考えてたらしい。

 それも火竜との温度差で瞬間的に蒸発するはずの水流を、煮えたぎったまま圧縮して固定するつもりだったと語った。


 竜種の異常な耐久力を相手に『死ぬまで』となれば、一体どれだけの時間が必要か。

 その間暴れまわる火竜を、相性の悪い水で拘束しっ放しという恐ろしく頭の悪い攻略法を聞いたヴァルは、恐怖のあまり泣きそうになった。

 逆に自然界最強種かりゅう人族最強の一角ヴァルで共同戦線を張ったところで雑魚が増える程度とのこと。

 単に竜神アルカナの強さが際立つというものだ。


「戦いが終わると急に声を掛けられました」


「竜神様に……?」


「うん? 他に山頂に何が居ると?」


「シッ!」


「むぅ……」


「少しの雑談と現在の人族の状況を話すと、彼女は俺について来てくれると申し出てくれました」


 改めて動揺が広がる。

 確認されてから五百年もの間、誰一人意思疎通を果たしたものは居ない。

 高頻度で通う者も居ないし、神と祀ってはいても竜は『魔物の一種』なのだ。

 となれば互いを確認次第いきなり戦うことになるので、そもそも話しかけた者も居ないのだろう。


 それにしても。


 平然とした顔付きで苦手な説明を長々とするヴァルの心中は、実のところ荒波のような描写がよく似合う。

 だが、後ろに立つアルカナは、暢気に腕組みをして「うんうん」と頷いており、とても面白い対比と言えるだろう。


「その際に『竜のままでの同行は難しい』と伝えると、すぐに人の姿を取る術を使ってこの通りです……が、新たに問題が発生しました」


「……その、問題とは?」


「この竜神……アルカナに『服』の概念が無かったことです」


「う……うむ? それはどういう…………」


「竜であったアルカナに服は必要ありません。そのまま変化すれば当然のように裸になってしまいます。

 運悪く火山に挑む俺の手元にも予備はありません。

 さすがに裸のまま連れ歩けはしないので、少しでも肌を隠せるようにと今は水蜥蜴の衣ケープを掛けてもらっています」


 すべての経緯を話し終えたヴァルは、ほぅっと一息入れる。

 枢機卿たちを見渡すと、ヴァルの話に半信半疑といった雰囲気。

 むしろ荒唐無稽なこんな話を聞き入れれられる程度にはアルカナは異彩を放っているとも言えるだろうか。


 動揺の続く神殿側を差し置き、一仕事終えたヴァルは休憩気味でアルカナはその背を見て満足気。

 場を動かすのはいつも貧乏くじを引いて回るワイズ教皇だ。


「なるほど……であればまずは衣服の用意をいたしましょう」


「とても助かります」


「服なぞ我は欲していないが」


「いいから。周りが困るんだよ」


「むぅ……やはり見目か……」


 アルカナは呟いて自身の体躯を見下ろす。

 周囲が羨むバランスの取れた肢体は竜神の琴線には触れず、一人静かに肩を落とした。

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