3章『サンシュウの街の主と従者』⑥
「なんで俺たちは参加できねえんだよ」
「…………」
観察場で不満を漏らすスアピ。 イヨンも乏しい表情でそれを表している。
「これは演習だ。お前らのような猪が居ると考えなしに暴れまわって双方被害が出すぎると困るのでな」
カルメラ家の首脳陣からやや離れた席でバルクアが二人を嗜める。
「ちっ、見てるだけなんてつまんねえぜ」
演習を一望出来る高台に拵えられた観察場から不貞腐れたように見下ろす。
「スアピさん、落ち着いてください。他家の方達が居られるのですから、粗暴な振る舞いは慎んでください」
お目付け役のアメリアに「はいはい」とだけ返してドッカリと観察場に置かれた椅子に座り込む。
隣のバルクアがフッと笑った。
「あんだよ?何が面白いってんだ!」
「スアピさん!」
アメリアの注意が飛ぶ。
「お前は昔から変わらんな。せっかくだ、この演習を見て戦場での軍の動きというものを勉強したらどうだ?いつまでも小僧の護衛ばかりしていてもしょうがないだろう?」
挑発的な物言いにスアピが立ち上がりかかるが、アメリアの一睨みで大人しくなる。
もっとも不満げな態度は変わらないが。
「バルクア様も大人気ないことは止めてください、この場にはアルア様もカルメラ家の御当主様たちも居られるのですから」
彼から距離をとりながら注意する。
馬車での一件以来、すっかり彼女はバルクアを警戒している。
ふとそのときを思い出したのかじっとりと手のひらに汗が出てくるのを気づかれないようにメイド服の裾におしつける。
「まったく嫌われたものですな…アメリア嬢。本来ならこのような無骨な場に美しき貴女を連れ出すのは気が引けるのだがね」
相変わらずのキザったらしい言葉も、
「ご心配はいりません。主の側に仕えるのがメイドですから、バルクア様もアルア様の側に居たほうがよろしいのではないですか?」
にべも無い言葉で返される。
その言葉に別に傷つきも不快も見せず演劇染みた仕草で溜息をつきながら首を横に振る。
「私も主の所に行きたいのだが残念ながら不興を買ってしまったのでね、機嫌が直るまではここに居させてもらっても構わんかね?」
「俺は構うがね」
「お前には聞いてはいないのだがな」
「どうでもよろしいので二人とも黙っていてください。そろそろ始まりますよ」
諍いを一蹴する言葉に二人は毒気を抜かれたのか改めて椅子に座りなおして演習の始まりを待つ。
演習場に陣太鼓の音が響き渡る。 双方の準備が完了した合図だ。
演習がいよいよ始まる。
演習には大きく分けて二通りある。
一つは陣形と進撃の訓練。
どんな歴戦の勇士とて始めての戦場ではただ進むこともままならない。 幾百、幾千もの人間がひしめき合う戦場では彼や彼よりも臆病な者たちがほんの少し手を伸ばせばぶつかってしまうような距離にいるのだ。
その中では足並みを揃えて歩くだけでも難しい。
緊張に不安。 そして一部の逸る気持ちを抑えて何千もの塊が乱れずに進むには何度もこうした演習をしていく必要がある。
もしこのような練習をせずに戦場へ赴けば各人各様がてんでバラバラに動き、それによって出来た隙を敵に突かれてしまいあっという間に霧散してしまう。
そうなれば戦うどころではない。
味方の背中を蹴り、足蹴にしてただただ各人の思った先へと進んでそこを自分の倍する人間達に踏み潰されていくのだ。
それは大群の魚がそれよりも少し大きな魚達に食われていくようにも見える光景だ。
互いに一塊になり敵に向かい合えば一矢報いることも戦いに勝つことさえ出来るというのに一匹一匹の小魚に分裂してしまってはそんなことは夢のまた夢。
戦場に無数に散らばる破片のようにただただ土くれへと成り果てていく。
だからこそ指揮官はそれを防ぐためにまずは一人の兵士を束ねて一つの塊へと変えていく必要がある。
それを覚えこませるための一つの方法が演習だ。
ではもう一つの理由とはなんだろうか?
「ムラン~!相手をぶっ倒せ!」
場違いな応援が離れたムランの耳にも入ってくる。
「ぶっ倒すって…これ、演習だぞ」
聞きなれた従者の大声に苦笑した。 しかし幾分気分も楽になった。
やがて演習の開始を告げる音矢と呼ばれ矢が両者の間に発射された。
ヒュルルルルという鳥の鳴き声にも似たその音が響き渡ると同時にシーザールの軍が動き出す。
「うわっ!来た…一陣、ニ陣前に!」
采配を振るうとノタノタとした動きで兵士たちが前進する。
普通このような演習は三回実施する。
そこで見られるのは兵士の連携や陣形、そして多数の兵士を上手く操れるか、そしてもちろん戦場に置いて勝つことが出来るのかを。
しかし大抵は演習を催す時点で雇い入れることが決まっている。
なので双方が本気でぶつかり合うことはまず有り得ない。
新参者への顔合わせも兼ねた挨拶のようなものなのだ。
常識では三回のうち一回は相手に譲り、二回目はこちらが貰う。 そして三回目で本当に競い合う。
その一回目の演習。 すぐにムランは異常に気づいた。
あまりにも向こう側の進行が早い。
しかし気づいた時には遅かった。
ムランが率いる軍の直前で三叉に分かれた騎兵が穿つようにこちらに突っ込んでくる。
瞬間、陣形は崩壊して四分五列に引き裂かれた。
決着がついたことを証明する太鼓が鳴り響く。 もちろんムラン側の敗北で。
「これはどういうこと!」
観察場で見ていたアルアが思わず立ち上がる。
シーザールのルール違反にすぐ気づき、すぐにバルクアの方を向いた。
彼は涼しい顔で表情を崩さず、ズタズタにされたムラン達を見ていた。
こちらからの視線に気づいているはずなのにあえて無視しているのがわかる。
「あの女たらしの陰険男が…これが狙いだったのね!」
「どうかしたのですかなお嬢様?」
ソルガルが声を掛け、周囲に見られないように彼女の手を取って制止する。
彼女らの観察場のすぐ近くにはカルメラ家の家僕やその元で働く人間達も同じように鎮座している。
若き領主がうろたえるところを見せることは彼女の名に傷がつく。
こんなところでいつものようにバルクアに食ってかかればそれだけで大きな失態になるのだ。
老臣の気遣いを察し、アルアも悔しそうに歯噛みしながら席に着く。
覚えておきなさいよ…バルクア。
腹心の暴挙に彼女は瞳に怒りの焔を浮かべ、僅か数十歩先の男を睨んだ。
一方ムランは先ほどの敗戦から立て直しを図っていた。
怪我人は思ったほどは多くは無い。 演習の勢い余って…という範囲の中に納まっている。
だが明らかに敵側の将は演習の定石を破って自分たちに突っ込んできた。
嵐のように突っ込んできた騎兵達に馬から落とされて泥だらけになった身体で座り込みながらその理由を考えていた。
彼は決して楽観的では無いし、感情的でもない。
その柔軟な思考で状況を正確に理解し、おぼろげながらも一つの真実にたどり着く。
つまりあちらは儀礼としてのの演習などするつもりは無く、限りなく戦場に近い感覚でこちらと対峙しているということを。
それは何故なのか? ということは考えない。
ただおそらくは次も相手は自分たちを敵と認識して蹴散らすだろう。
ならばこちらも敵として相手を捉え、戦わなくてはならない。
いま考えなければならないことはそれだけだ。
しかし…、
「普通に退却するところなんだけどな~」
弱りきったように頭をかく。
兵数は同じでも兵士一人一人の力量が違う。
しかもこちら側の兵士はカルメラ家から預けられただけの人間しかない。
ムランとは縁も縁も無い。 あくまでお客さんだ。
まだ自分の父であるトールのところの兵士を使えればまだ戦いようもあるというのだが…。
これでは戦場指揮どころか真っ直ぐ進ませることすら怪しい。
儀礼での演習ですらまともに相手できるかもわからなかったのに本気で戦うことなど不可能だ。
もう次の演習が始まるまで時間が無い。
一体どうすればいいんだ? どうすれば…?
足元の汚泥のように掴もうとすれば指の間をすり抜けるような絶望が心を満たしていく。
ピイイイイイイイイイイイイ!!
そして次の演習が始まる無慈悲な悲鳴が空を劈く。
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