3章『サンシュウの街の主と従者』④
「主よ…命令により参上した。入るぞ…っと勿体無いではないかね」
入ると同時に飛んできた杯を片手で掴む。
「満足?目の上のタンコブ、そして私の弟を蹴落として!」
部屋に入ってきたバルクアに西方で焼かれた白磁の皿をさらに投げつけてくる。
「いいや、まだ満足などせんね…君もいい加減気づきたまえ、あれは君の部下ではない他家の人間だ。ましてや将来の当主だ、表面上仲良くするのは結構だが、信頼しきるものではない」
投げつけられた皿を片手で掴み、さらに投擲された東方製造の香炉も受け止めて傍にあった台に置く
「私を裏切るというの?それこそありえないわ。グラン家はあいも変わらず武力偏重、サンシュウからあぶれた需要で何とかそれを維持しているに過ぎない、手を切ればすぐにでも干上がるわ」
いまだ怒りが抑えきれないが投げつけられそうなものはもう周りに無い。
その悔しさからか声は大きく自室に響きわたる。
「もちろんその通りだ…今はな」
「……っ!どういうことよ?」
バルクアの言葉に動きを止める。
頭の中は煮えたぎっていたとしてもやはり領主の子。
その言葉を聞いて内心はともかくとしても冷静に話を聞こうとする。
感情豊かにみえて、こういうところは年齢の割りに大したお方だ。
あの小僧への猫可愛がりさえなければ…さらに良いのだが。
従者らしからぬ感想を心で愚痴りながら、バルクアはまるで聞き分けの無い幼児を諭すような口調で話し始める。
「君も実際に見たであろう、ヨシュウの市場を…その規模に比例しないあの活気を、あそこで商売しているのはサンシュウの税金を払えない新興の者たちだ」
「ええそうね、それがどうしたって言うの?元々零細な商いをしている者達ですもの、少しばかり溢れ出した者達がヨシュウに行ったところで大した利ざやにはならないわ…むしろそれらを逃さなかったムラン達の能力を評価すべきだわ」
バルクアの眉が歪む。
苦虫を噛み潰したような顔をしているのが気に入らないのかアルアの表情がさらにムッとしたものになった。
まったく…好感が強ければ目も曇るのか。
そういえばあの小僧の屋敷に向かった途上で見たヨシュウの市場の賑わいに『流石に我が弟ね』と薄い胸を張っていたことを思い出す。
だが隣にいたバルクアは対照的に黙り込んでいた。
そのときを思い出しながらゆっくりと唇を動かす。
「そうだな…新興の者達をあそこまで集めたという点では奴は決して無能ではないな、困ったことにだ」
含みのある言い方をするバルクアにアルアは苛立つ。
その苛立ちさえ愉快なのか口元に笑いを含みながらさらに続ける。
「あの街で売られているものをじっくり見たかね?有象無象様々な物が売られていた。
物自体はせいぜいが二流品、しかしチラホラとサンシュウでは売っていないであろう代物がいくつか陳列されていたな」
「それが…、ううん、ちょっと待って…確かにそうね。もしかしたら大きな商いに繋がる可能性もあったかも……いやあるわね」
「流石だ。その真実を見抜く目は得難い才能ですな」
「世辞はいいわよ、続けてちょうだい」
促すアルアの目には一つも話を聞き逃すまいとする強い意思が見えた。
彼がもっとも彼女を美しいと思える瞬間の瞳だ。
「さて、それじゃ続けるとしよう。そのこちらには無い物品等がこれから先に評判を呼ぶようになったとしよう。それによって小僧の領地はどんどん豊かになっていくね、そうすると必然と商人達の権力も強くなっていくだろう、もちろん同盟者が強くなっていくこと自体は悪いことではない。それが我々の利益とぶつからなければ……だ」
一度言葉を切ってバルクアはアルアの反応を見る。
彼がもっとも信頼している彼女の明晰な頭脳がその答えを導き出すまではそう時間は掛からなかった。
「すぐ近くに私達が関わらない利権が出来るのは大問題…それがそれだけならいい、けれどそうはならない。利権は利権を呼び、別の利権を脅かし、そして敵対していく。当事者の思惑を考慮せずに」
バルクアはニヤリと笑う。
その反応で答えが間違っていないことを証明するかのように。
サンシュウの街のギルドは巨大だ。
それじたいがまるで一つの網のように張り巡らされた様々なネットワークで繋がっている。
ゆえに莫大な金銭を産んでいる。
繋がり。 それは悪く言ってしまえばしがらみだ。
巨大であるがゆえに時に小さき物は見逃されてしまう。
その大きな網目を通り抜けた物の中にはいずれ大きな利潤にもなる新芽があるかもしれない。
育ちきってから掬い取ろうとしたとしよう。
だが育ちきった巨木は植えつけられた大地から抜くのは中々骨だ。
ましてや土地の主、あるいはそれを育てるのに心血を注いだ者達がそれを許すはずが無い。
いや、もしかしたら土地の主はそれを認めるかもしれない。
渋々とあるいはそれに見合う対価を望み、ネットワークの一部になることを。
だが後者の者達は決して納得しない。
当然だ。
今までは余るほどに実っていた果実がそうなることによって半分、いやそれは甘い、確実に数分の一以下になることは明白なのだから。
少数を潤していた甘露は大多数の喉を潤す一杯になりはて、その結果得られる利潤は未知数。
もちろんそれは損ばかりでは無いだろう。
サンシュウのギルドの支配下になることは商いの手を広げるときに大きな助けになることも予測できる。
ところがここには大きな落とし穴があった。
技術の進化のように、商いの進歩も一朝一夕で出来るものではない。
仮に遠い将来、サンシュウギルドの一部となった彼らが規模を広げるときには間違いなくそれが古くからいる者たちとの間の大きなハンデとなるであろう。
目端の聞くものは或いは上手く乗り切るかもしれない。
しかし巨大な資本に練りこまれたノウハウ、古株という信頼が彼らを叩き潰すかあるいは飲み込んでいくだろう。
それが上手くいけばいい。 しかし失敗したら?
その際には彼らからの突き上げによってグラン家が対立するかもしれないのだ。
仮にグラン家が動かなければ、追い詰められた彼らは他の者と手を組むだろう。
他の貴族か、対立する商人ギルドかもしくは外国かその尖兵か。
最悪そうなった場合にそれらを屈服させるためには大きな武力が必要となる。
他家の力を借りればそれを楔に自らのお家が崩れる一端になるかもしれないのだから。
「……上手くいけば特にすることは無い。しかし失敗したときを思えば自らの武器を研いでおく必要があるってことね」
最低限のヒントからアルアはバルクアの憂慮を読み取った。
「その通りだ。理解の早い主を持って私は幸せだね、この幸福は美の女神に仕えることのできた神官にも匹敵する」
「口説くようなおべっかは必要ないわ……ううん、確かにムランがそういう立場に追い込まれる可能性も無いとは言えないわね」
まったくまだあの弟分が自分と対立すると思いたくないのか……まあいい、いずれにしても我が願いはかなったのだ。
ほくそえむ心中を隠し、彼は再度確認をした。
それは蛇足以外の何者でもなかったが……、
「わかりました。お母様が決めたことですもの、今更しょうがないでしょう」
納得はしてないが理解はするという物言いでアルアはそれを認めた。
「では…私はこれで」
主の部屋から出るとバルクアはもはや隠し切れなかった歓喜の表情をその美しい顔に惜しげもなく映し出す。
そしてとっくに日が沈み、暗くなった廊下を誇らしげに歩ていく。
そして彼もまた気づいていなかった。
好悪の思いは人を支配する。
あるいは理性でそれから距離を取っていたとしても……いやそれはあくまで『つもり』でしか無い。
人が人である以上は感情から逃れられることはない。
主の従姉弟。 その周りに抱く嫌悪にバルクアもまたとらわれている。
それを彼は気づいていない。
もっとも気づいたところで何とも思わないだろう。
彼がムランを嫌っていることは明白な真実なのだから。
もっともそれが何故なのかは彼のその複雑な心根の中に埋もれていてまだ誰も彼自身でさえも気づいていない。
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