ポンコツ勇者と猫と蛇

ポンコツ勇者と最強の猫

 スライム。

 青白いジェル状の単細胞生物。

 戦闘能力は低く、多くの魔物の餌になっているが、それよりも大量に繁殖するため絶滅することはない。

 と、知識だけはある。

 だが、知っているだけでは意味がない場面も多い。

 今の状況がまさにそれだ、とラーニエは思った。

 活用してこそ知識だ、とは校長の言葉だが、まあその通りだ。

「くっ」

 剣を振り下ろす。

 だが、剣先にかすることすらない。

 剣術の先生が見たら、大ざっぱに剣を振るな、と殴られるだろう。

 だが、そんなことを言っても彼女の非力すぎる腕は、鋼の塊を精巧に扱えるようにはできていない。剣術の成績最下位は見せかけではないのだ。

 少しでも差を埋めようと必死に知識を詰め込んではみたものの、結果が全てを物語っていた。

 スライムが飛びかかってくる。

 のろのろとした動きとはいえ、超至近距離からの体当たり。

 おまけに、彼女は剣を地面に突き刺している状態だ。

「うっ」

 攻撃をもろにもらってしまう。

 尻餅をつき、冷たさと気持ち悪さに耐える。

 少しずつ、服の中に体液が浸食していくのを感じる。

 胸に誇り高く輝く、男性の横顔の刺繍も、スライムの体液で湿ってしまった。

 まるで、理不尽な罰ゲームを受けているかのようだ。

 いや、こんなことで泣き言を言ってはいけない。それだからいつまでたっても神学校の落ちこぼれなのだ。

 そう言い聞かせても、吐きそうなほどの惨めさには勝てない。

 基本的に死骸や生ゴミを食べて生きるスライムだが、ごくまれに弱った生き物も食べることがある、という嫌な知識を思い出して、ラーニエは顔をしかめる。

 このまま、自分もその一人になるのかもしれない。

 だが衝撃で剣を手放してしまい、取り戻すために手を伸ばす気力もわかない。

 スライム一匹すら狩れない自分が、火噴き大蛇を狩るなんてできるわけがない。

 ましてや、魔王なんて。

 いや、こんな風にあっさり諦めてしまうから、勇者にはなれないのだ。いつまでたっても弱いままなのだ。

 自分のどうしようもなさに、むしろ笑えてくる。

 本当に、このままスライムに食べられた方がマシなのかもしれない。

 生ゴミと同程度。実に素晴らしい。私に見合った死に方だ。

 その時だった。

 突如世界が崩壊した。

 一瞬そう思ったほどの轟音と地響きだった。

 あまりの事に彼女は顔をしかめ、目を瞑ることしかできなかった。

 後頭部を思い切り殴られたときのように、ぐらぐらと世界が揺れる。

 しかしそれはほんの少しの間のことで、すぐに全ては収まった。

 気がつけば、スライムがいなくなっている。

「な、なに……?」

 生き延びた、ということ以上に、酷く混乱していた。

 音がした方を見ると、煙が上がっている。

 よくわからないが、何かが起きたのは間違いなさそうだった。

 無意識のうちに、ラーニエは剣を手に取る。

 何が起きたにせよ、確かめなければならない、と思った。

 この爆発の犯人は、火噴き大蛇かもしれない、と。


 大蛇というからには、教会くらい巨大な蛇がとぐろを巻いて待ち構えているものだ、とラーニエは勝手に想像していた。

 実際、事前に集めておいた資料によればそれくらいの大きさはあるらしかった。

 だが実際に爆心地にいたのは、爆死している三羽の青い鳥と、それを呆然と見つめる猫だった。

 常に三、四羽ほどで行動し、氷の魔法を駆使して得物を狩る大型の鳥。

 それを持つせいで人間に殺されることもある美しい羽は、大方抜け落ちているか焼けてしまっている。

 個体数が少なく珍しい鳥だが、猫の方はもっと稀少だ。

 というか、こんな所にいるという話は聞いたことがない。

 ケット・シー。

 非常に知能が高く、多くの魔法を使い分けることができる魔物だ。

 熟練の戦士ならともかく、戦い慣れていない人が勝負を挑んでも、まず勝てない。

 幸い人間を食べるケット・シーはいないので、よほど機嫌を損ねなければ殺されることはない。

 そんなケット・シーのなかでも、彼はより珍しいものだった。

 普通は真っ白か真っ黒かそうでなければ真っ茶色なのだが、このケット・シーはその全ての色を有していた。

 三毛のケット・シー。

 あまりの珍しさから、見かけた者には幸運が訪れるとまで言われている。

 幸運。今一番欲しいもののうちの一つだ。

 声をかけるかどうかで悩んで、結局、

「あ、あの」

 と口を開いた。カエルがつぶれたような声が出た。

「に゛ゃっ」

 カエルがつぶれてる度は猫の方も負けていない。

 飛び上がりながらこちらを振り返り、目を丸くしている。

 にゃ、にゃ、にゃ、と声を震わせていたケット・シーはやがて、

「なんにゃ……ただの人間か……でもなんか錆びた匂いがするにゃ……」

 対面早々臭いと言われ、言葉に詰まる。

 確かにスライムは少し錆びたような匂いがする。その体液でぐちょぐちょになっているのだから、そういう匂いもするだろう。

 ……が、それほどではないと思う。

 ケット・シーは少し距離を取って、

「どうせ通じないと思うけど……何の用にゃ?」

 妙なことを言うケット・シーだ。

「え、えっと……この爆発、あ、あなたがやったの?」

 たずねると、ケット・シーはまた、にゃっ、と目を丸くした。

「お、オレの言葉がわかるにゃ? 人間とかいう劣等種のくせに?」

「ええ……」

 頭で考えるより先に、声が漏れてしまった。

 なんだこの、生意気なケット・シー。

 テレパシーを使われれば、わかりたくなくてもわかるというもの。

 というかそれがケット・シーの特徴のひとつなのではなかったか。

 よくわからないが、彼にとってはそれがかなりのショックだったらしい。どうして人間なんかが、としばらくもごもごとつぶやいていた。

「ま、まあいいにゃ。おい、人間。ここはどこなのか教えるにゃ」

 きっ、とこちらの目を睨みながら、そんなことをたずねてくる。

「聖都ルージャルグ……の近くの草原だけど」

「せーとぉ……? うーん、わからんにゃ……」

 もごもごとつぶやいて、最終的にはうなり始める。

 だが突然尻尾を振ると、

「ま、劣等種の考えた名前をこのオレが知ってるわけないにゃ」

「……」

 なんだか不思議なケット・シーである。

 というか、さっきから匂うだの、劣等種だの、煽られてばかりいるような気がする。  猫は自分が神だと思っていると聞いたことがある。ケット・シーもそうなのだろうか。

 そこまで考えたところで、思い出したことがあった。

「そういえば、この爆発、あなたがやったの?」

 たずねると、ケット・シーは「んにゃ?」と辺りを見回した。

「ああ、そうみたいだにゃ」

「そうみたいって……」

 随分あっさりと肯定してくれる。

「爆発の魔法よ? 魔法使いだってなかなか使えない爆発の魔法よ? しかも爆発範囲よ? なんでケット・シーなんかが?」

 いや、もちろんケット・シーは様々な魔法を使える魔物だ。

 でもそれは低級の魔法の範囲を出ないはず。

 少なくとも爆発の魔法を扱えるケット・シーなんて聞いたことがない。

 などと思っていたら、だいぶ斜め上の反応が返ってきた。

「まほー? けっとしー? 何言ってるにゃ、劣等種? いよいよ頭がおかしくなったにゃ?」

「は?」

 何を言っている、はこちらの台詞だ。

「オレは誇り高き野良猫にゃ。人間ごときに変な名前を付けられるつもりはないにゃ」

「野良猫が魔法を使えるわけないでしょ」

 苦笑すると、途端にケット・シーが苛立たしそうに尻尾を激しく振った。

「猫を馬鹿にするにゃ? コオロギよりも頭が悪い生き物の分際で?」

「してないよ」

 よくわからないが、どうやら本当に自分をただの野良猫だと思い込んでいるらしい。

 それを訂正してくれる仲間も、人もいなかった、と。

 そんなことがあり得るのだろうか。

「あなた、一体どこから来たの?」

 思わずつぶやく。

 そもそも、生息地でもないこの草原にケット・シーがいること自体おかしいのだ。

 これを最初にたずねるべきだった、とラーニエは思った。

「よくぞたずねてくれたにゃ!」

 と、ケット・シーは尻尾を揺らすのを止める。

「オレは元々静か町の――」

「シズカマチ?」

 聞いたことがない場所だ。

 そう思った瞬間だった。

 草が揺れるほどの獣の声。

 本能的に耳をふさぎ、身をかがめる。

「な、なになに、なに?」

 ラーニエが悲鳴を上げると、まるで狙ったかのように声はやんだ。

 ケット・シーの方を見る。

「なんか来たにゃ」

 背中を丸め、一点を見つめている。

 微動だにしないケット・シーの視線の先を見て、ラーニエもまた、固まった。

「あ、あ、あれは……」

「なんにゃ? 強いのか?」

 そんなのんきなことを言っている場合じゃない。

「強いなんてもんじゃないよ! この草原最強の魔物だよ!」

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