二十五話 永遠の契り

◼️


「私の鏡はお役に立てたかしら」


 美しい黒髪に雪のような白い肌。

 彼女の名前は、スノー。この街に、古くから根付く鏡の一族の姫である。


「ああ、最高の働きをしてくれた」


 俺は布に包んだ鏡の一欠片を彼女に渡す。


「勇者の役に立てるなんて光栄だわ」


 流石に疲れた俺たちは、ティグル家の屋敷に数日間世話になっていた。

 そしてやるべきことは全て済ませた。


「……でもなぜ彼女はあんな凶行に」


 レジーナ・リンドブルム。

 取り立てて、悪人だったわけではない。

 両親共に既に他界……いや。失踪したという表現が最も相応しい。それも彼女が幼い頃だ。


「嫉妬、だな。……まあないものねだりってやつだ」


 人より少し、その感情が強いだけであった。

 この街で、二番目に裕福なティグル家。幸せさに嫉妬していたとしてもなんら不思議ではない。


「……そう。彼女は、幸せだったのかしら」


「ああ。一時的に、と言っても欲しいものが手に入ったんだからな」


 ドレイク・リンドブルムとの出逢い。

 なんでも魔物に襲われていた彼女を救ったとか。

 それは、彼女にとって大きな転機だった。

 彼女が彼を愛していたことは、間違いない。義理の娘であるジュリアの美貌に嫉妬したと考えるのは、間違いだろう。


 ……おそらく彼女は、彼を独り占めしたかった。

 

 二つの動機。どちらが真実かは、彼女亡き今はもうわからない。

 だがその嫉妬は、決して悪ではない。彼女を唆したアイツラが悪なのだ。


「そう……そうね」


 スノーは、悲しげな表情を浮かべる。

 彼女は鏡なのだ。ティグルの剣の明鏡止水の境地とは似て非なるもの。だが、その感情をありありと映すことが彼女には出来る。


「あ、そういえば」


 真っ赤な唇で彼女は微笑んだ。


「彼らが今度こそ舞踏会を開くって言ってるけど……」


「……いや、俺たちはいい」


 それは、真に和平を結ぶ仲直りの挨拶。

 将来を誓い合う二人の若者を見て、頑固親父たちもとうとう折れたのだろう。


「そうだと思いましたわ」


 寂しげだが、期待に満ちた眼差しを俺たちに向ける。


「もう、行くのですね」


「ああ、次の姫の元に」


 そうして俺たちは、再び歩き始めたのであった。


◼️


「……我の出番がない」


 禍々しい鎧を纏ったルシフがぼやく。


「まあ人間の街だから仕方ないさ」


 俺たちは、街の出口に向かって歩いていた。しかし少し迷ってしまったようだった。

 この街で、人の流れが最も多い中央通り。ここを真っ直ぐ行けば出口に辿り着くはずだ。

 人通りは確かに多いが、前に訪れた歓楽街程でもない。……まあまだリンドブルム家とティグル家の対立が尾を引いているのかもしれないが。


「……して、そこの二人」


 藍色の外套を纏った一人の女が脇に立つ。

 頭まですっぽり覆い隠しているために、顔は見えない。しかし外套の上からでも分かるその胸の膨らみや、腰つき。そして声から女性であることは想定できる。


「占ってしんぜよう」


「……いくらだ?」


 手持ちはそれほどない。

 用心棒代は、次の街までの分しか頂いていないからだ。……我ながら損な性格だと思う。


「いえ、お代は頂きませんわ」


「そうか、ならお願いしよう」


 彼女の背後には、天幕が張られている。その大きさからして簡易住宅にも使っているのだろう。


「……おい、まさか信用するのか」


「ああ、興味が湧いた」


「……我はここで待つ」


 更に力を解放した魔王の力。

 それは、更に離れられる距離を伸ばした。

 と言っても、天幕の外と中の距離程度であれば前にでも届いた距離だが。

 少し不機嫌そうなルシフを尻目に俺は、歩を進めた。


「ようこそ、我が占いの館へ」


 入口の暖簾を潜ると、その声が出迎える。

 さっきの女は、机の前に座っていた。

 それほど大きな机ではない。机には赤色の布が被せてあり、その上には水色の球体が乗る。


「……見える。貴方は、死期が近い」


 中にある灯りはその女の両脇にある洋燈だけ。青白い火がゆらゆら揺れているが、周りはほとんど暗闇に近い。

 その中で水色の球体がぼんやりと光っていた。


「俺が死ぬって言うのか?」


 机の前に立った俺は、その球体を覗き込む。

 ……と言ってもただぼんやり光っているだけでそれに何か映っているわけではなかった。

 その球体は透明のようだが、白濁色の何かが中にあるため濁って見える。


「ええ、『姫の元で、聖なる剣に刺し貫かれて死ぬ』わ」


「……馬鹿な」


 聖なる剣。

 この世に『聖なる剣』と名のつく剣は一本しかない。俺の鞄の中に入ったばらばらの剣がその一本だ。


「信じるも信じないのも貴方次第」


「……そうか、ありがとさん」


 考えが大してまとまらなかった俺は、頭を下げて踵を返す。そして閉ざされた出入口に俺は手を掛ける。


「貴方の旅路に幸あらんことを」


 一歩、踏み出た瞬間にその声は、俺の耳をくすぐった。どこかで聞いたことのある声だが、俺には思い出せない。遠い遠い彼方に仕舞い込んだ記憶の一つ、だと言うのだろうか。

 しかし、俺にそんなものを仕舞い込んだ覚えはない。……あるとするならば、王城に迎え入れらる以前の記憶。

 それが、俺の頭の中に唯一存在しない記憶の欠片。


「なんと言われたのだ?」


「気になってるじゃねえか」


 天幕から出るや否や、魔王の兜が目の前に現れる。確かに通りを挟んで向かい側で待っていると言ったはずだが。


「い、いや、そんなことはないぞ」


「……まあ、秘密だ」


 ぶつぶつと文句を言う魔王を引き連れ、出入口へと足を運ぶ。

 ふと、俺は振り返った。

 少し離れた距離だが、まだ見える。

 その天幕が張られていた位置は、まだ見えるはずだ。

 だが、その天幕は消えていた。跡形もなく消えていた。遙か昔よりそこには何もなかったかのように、雑踏が踏み潰す。


 終着点は、もう近い。

 ……ここから先はより何が起きるか分からなくなるってこったな。


◼️


 街一番の大きさを誇るその屋敷。

 何日か前に一つの事件があったとは思えないほど賑わっていた。

 大階段のある大広間は、踊りを楽しむ者、食事を楽しむ者で溢れている。

 その中には、金髪の少年と黒髪の少女が共に笑顔で踊る姿もあった。


 大階段の先の踊り場は、人の丈ほどある大窓が並ぶ。

 事件のあった日は雷光が外を照らしていたが、今や笑顔が屋敷を照らしていた。


 更に階段を上った先には二つの椅子が並ぶ。

 そこに座るのは二人の男。

 その雰囲気は、舞踏会に似合うものではないが彼らの顔にはじんわりと笑顔が浮かんでいた。

 

「……互いに妻を亡くすとは、な」


「……ああ、まさかこんなことになるとは」


 こうして並んでみるとその男たちはよく似ている。

 ティグルとリンドブルム。

 別々の剣を使うが、進む道は同じ。

 その心が二人を似せたのかもしれない。


「ドレイク様」


 一人の女が二人の前に駆け込んだ。鎧が擦れる音が、大きな音を立てる。


「どうした?」


「あの用心棒の姿が、消えています……!!」


 全力で走ってきたのだろう。呼吸が乱れ、後ろで結んだ赤い髪も同時に揺れる。


「……放っておけ。あの老人には他にもやることがあるのだろう」


 しかし屋敷の主人である彼は、大した反応を返しはしなかった。彼女が予想していた反応とは、まるっきり正反対。むしろその反応に彼女が驚く程だった。


「し、しかし、金貨袋がいくつか消えて……」


 その屋敷の大きさに比例するほどに積み上げられた金貨袋。この世界で一番富を持つとされる王都の貴族の上位に食い込むほどの量。


「私が渡したものだ」


 あっけらかんに男は、そう告げる。


「あ、あれほどの金貨を……?」


「ああ。世界を救う対価としては、安すぎるくらいだろう」


 その量は、保管庫のほぼ全て。つまりリンドブルム家の全財産ほどであった。

 ……と言っても隠し財産なんぞ腐る程あるのが真実。彼女が知る限りの財産全て、ということだ。


「世界、ですか」


 その隠し財産を足し合わせると、王族に匹敵するほどだ。


「……時期に分かる。我々も備えねばならない」


 古くから続く、リンドブルム家とティグル家。その歴史も王族に、勝るとも劣らない。事実、彼らは王族から疎まれていた。その血に王の血が混ざっていたとしても不思議ではないからだ。


 困惑する女騎士を尻目に、二人の剣士は酒を酌み交わしていた。


◼️


 太陽が昇る。

 その眩しさに男は、目を覚ました。薄汚れたベッドに、所々破れている窓掛。その向こうに見える窓硝子もひび割れている。

 これではまるで意味がない。

 家としての体裁を成していない。


 だが男は、大して気にしていなかった。

 男の指にはまっている指輪が日光で照らされ輝く。

 

 ほぼ全裸で寝ていた男は、起き上がり、台所に向かった。

 比較的、綺麗にしている台所。

 卵を一つ、焼き上げ、目玉焼きを作った。

 それを極薄に切られたパンに乗せ、彼は頬張る。


 そしてようやく着替え始めるのであった。


「うし、行くか」


 麻で出来た服。更にその上に身に纏うは、皮で出来た鎧。軽装であるが、その出来はかなり良い。彼が大枚叩いて買っただけはある。

 そして、腰にぶら下げるのは一本の剣。


 彼は、冒険者。

 彼らは、賞金稼ぎとも言われる。

 貴族に仕えなかった者たち。その多くは、この冒険者となる。


 人間たちに大きく害なす魔物たちには、賞金が掛けられることがある。

 魔王なき今でもその害は止まっておらず、強力な魔物は増え続けている。


 その魔物を狩ること。それを生業としているのが冒険者だ。


 そして、魔物が強力になればなるほど、賞金は上がる。中には、その賞金で貴族になれるほどの額を叩き出す魔物もいる。


 まさに一攫千金。

 その機会を虎視眈々と狙う者は、多い。むしろそれがほとんどだ。


 だが、彼は違った。

 その誰にも負けない力を誰かの役に立てない。英雄を目指す男であった。


 彼は、歩く。

 今日こそ魔物を倒すため。

 今日こそ、上手く行きますようにと。

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