第二十九話 生きること

 勝隆を取り巻く状況は一変した。今までも確かに勝隆たちはそれなりの礼を持って遇されているたが、世話をする男や女たちはどこか冷たげで笑顔を見せるということをしなかった。それは一条の御所で働いているという彼らの矜持からでもあったし、勝隆を所詮長宗我部の若い家人くらいにしか思っていなかったためだろう。

 しかしある日から急に彼らは笑顔を見せるようになった。理由は分からない。自分の立場など何も変わっていないはずだし、仮に平家を名乗っても彼らはなんとも思わないと言うことも勝隆は理解していた。だからこそ、彼らの態度の変化は謎だった。おそらく、この御所の主である兼定か康政が内々のお触れでも出しのだろうか。


 「私の人徳」


 と白は言ったが、勝隆は一体何のことなのさっぱり分からない。

 けれども、一度解かれた垣根は様々な変化をもたらした。特に棘のあった年かさの女達が、今日にはまるで猫を可愛がるように、あるいは愛に満ちた眼差しで自分を見つめている。

 歳は取っていても村はもちろんのこと、岡豊や一条の地でもとびきり美しい女たちではあったが、乳母であるなお以外の年長の女性にそのような眼差しを向けられたことのない勝隆は戸惑った。次第に今度は女臭いのが息苦しく感じるようになった。邸の中に籠もっていると息苦しさが増すばかりなので、庭で素振りをしようものなら勝隆の所には山ほどのにぎりめしが届く。これも厚意には違いないので、勝隆は無下には出来なかったが、それでも彼女たちに対する不信感というものはぬぐうことは出来なかった。

 辟易した勝隆は、白の事を思い出した。このところ、白と話す機会がない。

  与えられている部屋は近いものの、自分が綾姫や虎之助とばかり過ごしていたという事もあって、会話をする機会がほとんど無かったのだ。何より彼女は康成にべったりだった。一体どういう関係なのか、今では常に二人で行動している。しかも決して惚れている者同士の雰囲気ではなく、いつも何か調べ物をするように密やかに駆け回っているのだ。

 彼女たちが何か画策していることは確かだったが、情報交換をする機会はまるで無かった。

 (改めて考えてみると、目先の謎はたくさんある)

 この館に来て十日。目まぐるしく日々は過ぎた。勝隆はやっと、落ち着いて物事を考えられるようになっていた。

 中村御所に十兵衛が入ったという知らせは、既に勝隆の耳にも届いていた。自分たちは御所内でも奥の奥に位置する区画で生活しているため、意図的に会ってはいないがまだこの邸に留まっていると聞いている。

 彼は間違いなく、長宗我部に持ち込んだものと同じ話を、この一条にも持ってきたのだ。

 白と康成が慌ただしく動いているのは、そのせいに違いない。星読みや三人の若子、この土佐一条にとって、伸るか反るかの大博打がこれから始まるのだ。ただ、白が康政にどうしてそこまで肩入れしているのかは分からなかった。山で偶然であった自分も色々助けたのだから、もしかしたら白は心の優しい狐なのかも知れないと勝隆は思った。

 一方で気になったのは、綾姫のことだった。あの夜から、彼女とは毎日のように言葉を交わすことが増えていた。彼女の忍である虎之助とも冗談を言い合うくらいには、打ち解けている。しかし打ち解ければ打ち解けるほど、二人の間には自分を決して寄せ付けない何かを感じるようになった。もちろんそれは単に過ごした時間の差なのかも知れないが、もっと何か二人だけが共有する秘密のようなものを感じるのだ。 

 綾姫と親しくなって、自分はもっと彼女を知りたいと思うようになった。出来れば自分のことも知って貰いたい。しかしあまりに厚かましく尋ねたり、語ると彼女は疎ましく思って離れていきはしないだろうかという不安が勝隆にはあったのだ。勝隆は綾姫の顔を思い浮かべながら、刀を振り下ろした。

 すると不思議な事にその綾姫の顔が、はなの顔になった。

勝隆はじぶんで納得がいかなかった。どうして、ここではなの顔が思い浮かぶのだろう。もうはなと別れて、つまりあの郷から出て随分になるというのに。

 勝隆はここで初めて三郎とはなの安否の事を考えた。きっと、二人とも大事ないと思う。あの時三郎は逆上していたが、元々彼ははなを可愛がっていたし、あの時何が起こったにしても村の近くだったから、日が昇れば大人たちが駆けつけているだろう。

 そこまで考えると、はなの顔が再び頭に浮かんで勝隆はまたはっとした。自分はまた状況に流されているのではないか。岡豊城に辿り着き、そして綾姫を護衛して中村御所に辿り着いた。

 そしてそこでとんでもない計画の存在を知らされた。しかし、それは全て勝隆には直接関係ないことである。自分の目的と自分の意思を忘れてはいけない。自分の目的は自分を変えることだ。人と心を通わせられるようになり、和を乱さずあの村で暮らせるようになること。例え自分の意思でこの壮大な計画に関わっていくことになったとしても、その大元の理由や意思を忘れてはいけないのだと勝隆は思った。

 綾姫を護衛して御所まで送ることは、自ら選択した使命である。最初、勝隆は使命というものは背負わされるものあって、自分の行動を制限する足枷のようなものだと頭では思っていた。しかし、実際に彼女をここまで送る間、勝隆はとても自信がみなぎり、気持ちが充実していることを実感していた。自分で決めて誰かを守ったり、何かを成し遂げることは、人生を充実させるのだと勝隆は気づいた。


「おや、あんたもう終わりかね」


 厨に通じる通路から、老人がこちらに向かって歩いていた。身なりからすると、下働きの年長者らしい。年に似合わず、擦れていない人懐っこい表情でこちらを見ている。


 「いやね、あんたのところに、毎日にぎり飯が届くというのに、ほとんど食べていないって聞いてね。こんな勿体ないことは無いじゃないか。良かったら、わしやみんなにも分けてもらおうと思ってここにきたんじゃが。それどころではなさそうだな」


 勝隆は木刀をおろし、男に近づいた。

 

「にぎり飯なら、食べきれないのでいつも台所の女たちに返している。まだいくつか残っているから、よければ食べると良い」


 「色男じゃな。では有り難くいただくとするか」


 男はにやりと笑って、脇にあった包みのいくつかを懐に入れた。そして一つはその場で開けて、むしゃむしゃと食べ始めた。


 「ところで・・・それどころではなさそうというのは。俺はなにか深刻な顔をしていたのか?」

 男は勝隆のこの問いが意外だったらしく、しばらくきょとんとした顔をした。くしゃっと笑った顔の皺が、一気に緩む。


「そうさなぁ、何かもやもやしとる感じだったな。自分がどうして良いのか分からないというような。でもまあ、儂が若者だった時分から、男が若い時は、いつもそんなふうに悩むもんだわな」


 男はそんなに大したことではないと伝えたつもりだったが、勝隆の方は真剣だった。


 「俺は、今まで信じてきた生き方を変えるというか、新しい道を探そうとしているんだ。確かに今は状況流されて、一条殿に厄介になっているが、いつかはここを発って、時分の生き方を探そうと思っている。けれどそれがなかなか見つからなくて」


 素振りをしていた時と寸分変わらぬ表情で、勝隆は言った。


 「うん・・・あんた、主でも亡くしたか?」

あながち外れているわけでもないので、勝隆はどきりとした。

 「やはりそんなところかな。いやあんたのその口調は偉そう・・・じゃなかった。身分のある武士のものだし、主君を殺され、戦に追われた武士達は似たような顔をしている。儂は親父もその前も、ずっと物売りやら邸の下働きだったから、殿様に命をかけて仕えるあんたらの気持ちっていうのは良く分からんのよ。他人のためや名のために命を惜しまない生き方というのは、やっぱり共感出来ん」


 どこからか雀の声が聞こえてくる。この男の人の良さそうな笑顔と、この長閑さはよく合っていた。おそらく、この男は血生臭い争いとは無縁の人生を送ってきたのだろう。


 「俺の生き方は、間違っていたんでしょうか」


 勝隆の深刻そうな顔を見て、男は笑った。


 「おいおい、なにを極端なことを言ってるんじゃ、あんた。びっくりしたわい。所詮卑しい爺が言ったことなのだから、軽く流してくれろよ。そもそもお前さんくらいの歳で、今までの生き方もくそもあるまいに」


 目の前の若者がさらに黙り込んだので、男は少々慌てた。この少年が、扱いの難しい、世間知らずで真面目すぎる若者なのだということに、ようやく気づいたのである。そもそもの気質なのか、若さの性なのかは分からなかったが、これは下手なことは言えないと男は悟った。

 しかし男は知らないのだ。勝隆がいう今までの生き方とは、平家三百年の重みの事なのだ。


 「そうさなあ。そんな大きく考える必要がないと思うんじゃよ。亡くしたのは、きっと立派な殿様で、お前さんも自慢で誇りに思っていただろうよ。けどそれは悲しいかな、もう失ったんじゃ。どうあがいても、死んだ人間を生き返らすなんて事は出来んのさ。今、心機一転別の生き方を探そうとしとるんなら、また殿様みたいな凄い人に仕えたり、守ったりとそこにこだわりを持たなくても良いんじゃないのか。好きな女をどうやったら嫁に出来るかとか、どうやったら山ほど銭が稼げるとか。そういう事で良いじゃないか。儂の若い頃の悩みといえばそんなもんだったけどな」

好きな女、と言われて勝隆の頭には、自然と綾姫の顔が浮かんだ。


「お、もう目当てのおなごがいるのか。まあ、そうだわな。若いというのはそうだわな。羨ましい事じゃ」


 綾姫と、どこか遠くで暮らすことを勝隆は一瞬考えた。きっと自分はあの娘が好きなのだ、と思う。しかしそれには何故か、ひっかかるものがあった。想像出来ないというのではない。果たしてそんなことで、自分は満たされるのだろうか。つい最近まで、自覚はなくとも平家再興、今再び天下を我にという夢を思って生きていた自分である。それほど熱くなったという自覚もなく、愚かしくも甘い幻ではあったが、一族と見た壮大な夢だった。

 しかし、一人の女が、それに代わることなど出来るのだろうか。


 「どんな女子かは知らぬが、好きな女を嫁にもらう、家族を持つというのはいいぞ。人生が豊かになる」


 男は訳知り顔で語った。


 「そうなのだろうか」


 「そりゃあ、そうじゃ。誰かを守るのだからな。守るものがある人間は強くなりしぶとくなり、豊かになる。自分自身を守るのは当たり前のことだが、誰かを守るというのは誇りが持てる。殿様に仕えるというのはよく分からんが、根っこは似たようなものじゃないか」


 ふと、思い浮かぶように三郎のことが頭をよぎった。三郎があんなにはなを可愛がっていたのは、きっとはなを可愛がることによって、幸せを得ていたのだ。三郎は父を亡くしたので若くして家長となり、母や兄弟たちの面倒をみなければならなかった。

 それは仕方なく彼が背負わされたもので、きっと三郎には辛いものだったのだろう。しかし、三郎は自分ではなを可愛がるという選択をすることによって、心を潤していたのだ。

 そんな事を、あの日の一件から、しばらく経ったこの夏の日にふと勝隆は理解した。


 「まあ戦だ、出世だ、お館様だという武士には、あまりに陳腐で矜持が持てないかもしれんが、好きな奴と一緒になって、二人でどっこい生きていくっていうのも良いものだし、それはそんな簡単な事じゃないんだよ」

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