第十話 その男



 五つの『人の形をした者』が自分たちを囲んでいる。衣服を纏った形ある人の影、忍の者、と表せなくもないが、式神だ、と白は見抜いていた。

 式神とは呪術を行う者が紙などを依り代とする形を作り、万物根源の気を込めて偽りの生命として自在に操るものである。どこぞの術師が、呪いで今背中を合わせている男を殺そうとしているのだ。


「女、私のことは良いから逃げるがいい!」


 額に汗を滲ませながら、男は叫んだ。

 式神に追われていたのは、若い男だった。喋り方からしてこの辺りの人間ではなさそうである。 男は既に傷を負っており、小袖の左肩には血が滲んできている。右の手で傷を隠そうとしているが、流れる血は隠しようがなかった。この状況で他人を逃がそうというのだから、乱世には珍しく良い男かも知れないと、白は思った。

 しかし男の配慮は無用だった。白がその気になれば、こんな式神の百や二百は簡単に吹き飛ばせるのだ。だが男の傷のこともある。

 白がさっさとなぎ倒そうと構えた瞬間、不意に後方から白い光が輝いた。

 その輝きにその場にいた者は誰もが驚き立ち竦むんだ。蒼く晴れ渡った天空が一瞬震えるような、まるで太陽のような神々しさと、非情な雷のような恐ろしさを持つ長い閃光だった。音は全くなかった。しかし光が、この世にあるとしたら天以外持ち得ぬだろう光が放たれている。

 白でさえ鳥肌が立つ。

 式神たちは光を浴びると不明の声を上げ、自らの身体が嘘であると証明するかのごとく、霧のように立ち消え後には人の形に作られた紙が残った。


 「勝隆か」

 「白!」

 

 光が収まってようやく勝隆の姿が確認できた。

 光は彼の背中、すなわちあの包みから出ていたのだ。勝隆は今自分の身辺から作り出された神秘の技を全く自覚していないように、ただ勢いよく険しい山道を駆けてきた。

 「なんと」

 改めて勝隆のつつみ野とその中の桐箱を透視して剣を見てみる。短くうねった刃に複雑な模様が描かれた深緑色の剣である。表面には艶があり、太古の代物だとは到底思えないような真新しさだった。 恐らく鉄や銅と言った金属で出来ているのではない。自分が知るものに一番近いのは、玻璃である。

 白は深く息を吐いた。

 恐ろしい剣である。しかし決して禍々しいという物というわけではないと白は思った。むしろこの地上にあるには神聖すぎる剣なのかもしれない。

 

 「白、その男は?」


 振り向くと男は気を失っていた。


「血が大分失われているのね。大丈夫、早く小屋に運びましょう」


 つい先日まで看病を受けていた勝隆だったが、今度は自分が看病をする番だった。もちろん白も手際よく全てを整える。とりあえず寝かせると傷口を清め、薬草を刷り込む。男は時折うなされたが、傷自体は浅いので外からは特別な事はせず、滋養のつくものを食べさせ、ただ血を増やすことを考えていればいいと白は言った。

 ただ、つまりは浅手だが血が足りなくなるほど、この男は山中を執拗に追いかけ回されていたということだ。


 追跡者が式神という人外だとすると、この男は一体何者なのだろう


「これで、よし」


「ねえ、勝隆この男だけど」


 白は男の顔をじっと見ていた。


「ああ、一体何者なんだろうか」


「いい男よね」


 勝隆は呆れて頬を赤らめる白を見た。


「月を思わせる端整な顔立ちに逞しい体躯・・・嫌いじゃないわぁ」


 勝隆はさらに呆れたが、それは白の、下世話な発言に呆れたのではない。白の視点に対してである。まだ恋を交わす村祭りにも参加した事のない勝隆は、今まで他者を『性的な対象』として見た事のない、いわゆる性に目覚めていない少年だった。少年は、女性、あるいは雌性として完成されている白の、他者を性欲の対象として見るその視点と発言に驚いたのである。


「あたしもはまだまだ女だからねぇ」


 艶めかしい溜息をつきながら、勝隆の心を見透かしたように白は言う。勝隆は男の身なりの方に注目してみた。質素ではあるが丈夫そうな麻の小袖と小袴。先ほど解いた笠と蓑、そして、刀。


「武士か」


 勝隆は低く呟いた。自然と警戒してしまう。もちろん、彼が勝隆を追っている者であるはずがないが。


 「大方、京の公家侍じゃないかしら。人が集まるところには『ああいう』術の優れた使い手が多いのよ。確か陰陽師とかいう連中がいたっけ。


 たぶん、また朝廷とか幕府の権力争いにでも関わってんじゃない?ふん、人間というのはぐだぐだぐた何百年も、飽きないこと。勝隆、安心なさい。もう源氏平家の戦の時じゃないんだから。あんたが神器を持ってるって気づかれなけりゃ、この男が敵になることはないわ。それでも心配なら念のため、そうね、目覚めて出自でも聞かれたら、牢人とかなんとか言っておきなさい。さすがにこの状況で百姓というのは通らないと思うし」


 勝隆はいささかむっとした。当然白も知っているだろうが、牢人というのは主家を去ったり失って俸禄のない者であり、その大半は名もなくただの百姓とそう変わらない出自の者たちである。

『平家』に連なる勝隆には、牢人と名乗るのはいささか抵抗があった。


「牢人か・・・」 

「え、自分をもっと大きく見せたいの?そういうの気にしない方がいいって。今は人が増えてわけわかんなくなってるんだから。あんまり意味ないよ。むしろ逆に、もう言ったもの勝ちってとこもあるからさ、人を率いたかったら魔王とか日輪の子とかもっと大嘘ついときなさいよ。まぁ、穏やかな話じゃないけどね、これから世の中がどんどんごっちゃになっていくわ。何でも有りよ。今に帝、朝廷を滅ぼそうとする者だって現れるだろうし、私が昔いた国でもあったように、その内百姓が王にだってなるかもしれない」


  勝隆は薄々気付いていた白の出自について聞く、良い機会だと思った。この白い狐は一体何者なのだろう。口ぶりからするに、どうやら妖怪でも下っ端ではいないようすである。少なくとも三百年は生きているわけだし、実はかなりの大妖怪なのだろうか。

「白、お前は大陸から来たのか?」


「あら、嬉しい。やっと私に興味を持ってくれたのね。そうね、別に隠す事じゃないか。そう、あたしは大陸で生まれたの。唐の頃にこの国に渡って来て・・・まあ、全然そんなふうに見えないだろうけど、これでも結構長生きしてんのよ?そのあたしの言葉を侮らない方がいいと思うけど?」


「侮っているわけじゃない。白は神通力の様な不思議な力があるし、物知りで、命の恩人で、ある意味尊敬してるぞ。だけど、今の、百姓が天下を取るなんて言うのは俺にはとても信じられないんだ。この国は都の高御座に座す帝のものであって、百姓はその・・・田畑を耕して暮らしているだけじゃないか」




「あらあらよく言う。今ある地位がどれほど脆いものか、それを一番良く知っているのはあんたの一族でしょう?今威張っている武士だって公家だって、元を正せば鉄を持って武装した百姓たちじゃない。その後に格だの何だの出来たけど、あたしから見たら同じ様なもんよ。

 ねえ勝隆、あんたはやっぱりどこかで公家や武士の方が尊くて、百姓、田畑を耕して生活するという事に対して見下した考えを持ってるんじゃない?武士の矜持を持ちながら、その百姓の生活をしてきたっていう劣等感が原因なのかも知れないし、栄華を誇った一族の末裔、あんたの村では誰もが持ってた意識だったのかも知れない。でも理由はどうあれ、今はそういった考えは捨てた方がいい。自分の生き方を狭めるだけじゃなくて、幸せを少なくしてしまうから。例え今どのような立場にあったって、明日どうなるのか、それは本当のところ誰にも分からないの。そう、真の尊卑は心の中にだけあるという事を受け入れておきなさい。それが出来れば、良いこともあるでしょう」


 鋭い指摘と、後半悟りを開いた仏のように言われて途端に恥ずかしくなった。


 勝隆はふと気づいてしまったのだ。白が言ったことはあの時、自分が三郎に言おうとしたことと同じだ。


 武士として生きる百姓として生きるを選ぶ自由。それを叫んでおきながら、人にはえらそうに言っておきながら、そこには明白な優劣を付けていたのだ。武士に拘るなと叫んでいたはずなのに、その実自分が心根でどれほど武士に拘っていたか、どれほど武士という意識を大事にしていて、それを貴いと思っていたかに今気づく。


 自分が酷く破廉恥な者に思えてきて、勝隆は素直に恥じて反省した。

 しかし、『平家』の名は捨てられないとも思った。これから百姓になるかも知れないし、再興の望みをもはや持ってはないが、それでも自分は平家の勝隆なのだという自覚と、存在の証明は切り離せるものではなかった。


 「・・・わかったよ」

 「やっぱり素直ねぇ、あんた。そういう所を大事にしなさい」


 「ところでさっき言った唐っていう王朝は一体どれくらい・・・」


 昔の話なのかと続けようとした時である。


 男が瞼を振るわせて小さく唸った。

 「う、ううん」


「気が付きましたか」


 白は急にしおらしい声になって男に駆け寄った。


 おかしい。彼の出血からして意識を取り戻すまでに時間が短すぎる。勝隆は白がまた何かしたのだと悟った。おそらく自分の時も、白はこんな風だったのだろう。


「私は」


 低く、涼やかな声である。


 まだ意識がはっきりしていないのだろう。男は状況がよく分かっていないようだった。

「しっかりして下さい。あなた様は山の中で式神に追われていたのです。恐らく心当たりがおありではないですか?」


 しばし宙を見つめた後、男は思い出したように呟いた。


「ああ、そうだ。私は奴らに追われていたんだ。それにそなたがやって来て・・・あれからどうなった?」


「はい。信じていただけるかどうか・・・わたくしが滅しました」


「そなたが?・・・そなたは一体」

ここで初めて男は、白の類い希なる、仙姿玉質の美しさに気が付いた。

なんとういう女人なのだろうか。故郷はおろか京にとて、これほどの美貌と色香を持つ者がいるとは思えない。自分の一部が勃然とする。寝起きということもあり、気を抜けばそのまま理性を失って、この世ならざる世界に入り込みそうな不思議な色香である。


男は自分を恥じることも忘れ、白から目が離せなくなっていた。


「わたくしは玉藻と申します歩きの白拍子にございます。諸国を旅している最中なのですが、その道中、あなた様の声が聞こえて」


「聞いたことがある。白拍子には、そういう巫女の力を持つものがいるのだったな」


 博識であるらしい。白はにやりとして、男の鋭い推理に驚いたというふりをした。


「その通りにございます。先祖を辿れば大巫女と呼ばれた者に当たるからでしょうか、わたくしの舞やあげる祝詞には不思議な力がでございます。あなた様が追っているのが、人ならざる者なのだとすぐに分かりました」


「なるほど」


 よほど人が良いのか愚かなのか、はたまた玉藻の色香に惑わされたのか、男はすんなりと納得した。もしかしたら白の言うように、都の人間ほど不可思議な力というものを身近に取り入れているのかも知れないと勝隆は思った。


「して、そちらの若者は?」


 男は勝隆に目をやった。


「勝隆と申します」


「ん」

 男は敵意はないが、まるで値踏みするかのように勝隆を見つめてきた。その眼光は先ほど白への恍惚とした物とはまるで違っていた。


刀鍛冶が、名刀かなまくらかを品定めする様なる目つきである。


 「やあ、良い面構えの少年だ。将来が楽しみですな」


勝隆は男の、ことさらで自分を年少である事を強調したような物言いが癪に障った。


「ありがとうございます。どうやらあなたは信用できる方のようです。あなた様には全てお話致しましょう。

 これは私の、亡くなった姉の子なのです。根無し草のような生活をするわたくしが、子を育てるというのは難儀なことではありますが、かつて私が母のように慕った姉の子は、可愛くて仕方がありません。女に生まれ、特に白拍子となったわたくしは、今まで色々と苦労がありました。これが、こういう世に男子に生まれたからには、いずれは出世させ、華やかな武士の暮らしをさせたいと思っているのでございます」

「そうか・・・・それで二人で旅を・・・。お主、良い叔母上を持ったな。自分の将来を導き引っ張ってくれる者など、これ以上有り難い者はないよ。大切にするがいい」


 いつの間にか涙を誘う話になっている。男はやはり人が良いのだろう。嘘泣きをする白を宥めながら、目を潤ませながら勝隆の肩を叩いた。


 胸にはいっぱいの不満がこみ上げてきたが、白が横目で合わせろと合図を送ったのでぐっと堪える。

一体何を考えているのか。しかし白の事である。後で納得のいく答えが聞けるのには違いないだろう。

「ところで、あんたは何て名なんだ。こちらは命を助けたっていうのに、まだ名すら伺っていない」


 勝隆が開き直ってぶっきらぼうに尋ねると、男は失敬といって居を正した。聡明さが伺える眼光で二人を見る。



「美濃に生まれ、京に暮らし、今は土佐を目指す。私の名は十兵衛。明智十兵衛光秀」



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