第100話君を仰げば尊し

 痣に気付かなくて、レイに撫でられた所から慌てて治癒を掛ける。




「平気だよ、痛くないから」




 そう言って、タオルで隠してお風呂で体を洗っていたら、いつものようにレイが続いて入って来る。


 彫像のように美しい裸体に見飽きることなく、ついみとれていたら彼の視線がこちらを向いて、湯船に入って恥ずかしさをごまかす。




 レイは私に怪我をさせたことで、申し訳無さそうな悲しげな表情をしていた。




「…………レティ」


「ん?はわ?!」




 濡れそぼった魔王がシュンと項垂れる姿に、変な声が出た。私の心を鷲掴みにする計算尽くされた彼の裸なワンコ姿に、思わず手招きする。




「レイ君、カモン」




 言った途端、パアッと嬉しそうな表情に変わり、ハッハッと息を荒げて湯船に飛び込むようにして私を後ろから抱いた。




「力入れすぎないように気を付けるから、痛かったら言ってくれ」




 そうっとお腹に手を回し、首にキスするレイに笑う。




「大丈夫、レイになら抱き潰されてもいい」




 私はレイが気に病まないようにフォローを入れたつもりだった。


 それなのに首の後ろでハアハアが激しくなり、彼の体温が上がったのを感じた。




「だ、だき」


「レイ?」


「抱き潰す………抱き潰してい、いいと?」


「………ん?」




 首をベロベロと舐められ、肩にポタポタと温かい滴を感じて見ると、鼻血を垂らした獣がいた。




「抱き…ツブス、ガンバる」


「あれ……いや待って、そうじゃなくて、ひゃん、レイ、ムーン版の表現じゃないから!その潰すじゃないの!」




 振り返ると、血を垂れ流したままで、ちゅうをしようと迫るので、鼻を詰まんで治癒を掛けて、ついでに口を塞いでみた。




「ふが」


「もう、こんな時に」


「ぶは、それはそれ、これはこれ」




 世界の皆さん、例え世界が混迷を極めても、これが魔王です。




「レイ君、どうして教えてくれなかったの?人間界のこと」




 背中をレイに凭れて、私は話題を変えた。




「………そうやって辛そうに悩むと思ったから」




 拗ねるように呟くレイが、肩に顎を乗せる。




「レイが知ってるのに、私が知らないなんて嫌だよ。私達夫婦でしょ?何でも話して」


「は、はい……夫婦……です」




 赤くなって照れるレイ。




「でも、ありがとう。両親のことや他の人達を保護してくれて」


「別に………レティ」


「ん?」


「お前こそ、俺になんで言わない?なぜ俺に頼まない?」




 何を、とは聞かない。




「私は……レイに無理強いはしたくない。私達人間は、本当に魔族に酷いことをしてきたから……ネーヴェ様達も私も今更頼み事なんて図々しいよ」


「レティは何もしてないだろ、むしろ俺を助けてくれた」


「ううん、それでも私人間だから………ごめんね、何も知らなくて、レイが苦しい思いをしていたのに、ごめんね」




 私は、いつかちゃんと言わなくてはならなかったことを言葉にして、彼の腕をほどくと代わりにその頭を抱き寄せた。




「お前が謝ることはない。俺が300年監禁されていたことにも、それなりに意味があった。だから気にするな」


「意味?」


「そう、俺があそこにいなければ出逢わなかった……」




 濡れた赤い髪を片手で掬い唇を当てた彼は言った。




『……深い紅髪の聖女に』




 *****************




 橙は、早朝の大河を前にして背後の魔界を振り返った。想像していたよりも、ずっと美しい世界だった。


 ここでなら家族も友人も無事に暮らせるかもしれない。




「さよなら、深紅」




 もう二度と会えないかもしれない友人は、魔王の傍でまだ眠っているのだろう。彼といるのなら深紅は安全だ。それが橙の慰めだった。




 ネーヴェや他の仲間と共に河を渡りかけた時だった。


 頭上を風が吹いたと思ったら、瞬く間に四頭の竜が浅瀬に着陸した。




 翼をパタパタする竜は、体長三メートルほどの大きさでまだ幼い竜のようで可愛らしく鳴いた。




「攻撃しないで」




 魔族に、つい反射的に身構える神官達に、その一頭の背に乗っていた者が叫んだ。


 背から降りた彼女の髪が、朝焼けに燃え立つように眩しい。




「私も一緒に行きます」




 そうきっぱり言った友人に、橙が走って抱き付く。




「深紅!」


「えへへ、来ちゃった」




 おどけたように笑う彼女に、ネーヴェが驚いた顔をして近づく。




「まさか魔王に内緒で来たのですか?大丈夫なのですか?貴女は魔王の」


「さあ何の事でしょう、今の私はただの聖女深紅です。だから人間界を護らせて下さい」




 挑むようにそう言い切る深紅に、ネーヴェが言葉に詰まった。




「……そんなことだと思った」




 不満そうな声がして、河を黒い魔力がいきなり別つ。流れをせき止めて地表を晒したそこを男が歩く。




「ど、どうして」




 焦って逃げようとする深紅の腕を柔らかく掴み、彼は苦笑した。




「魔王の俺から逃げられるわけないだろ」


「ごめんレイ、でも皆と一緒に戦いたいの」


「俺も行く」


「…………へ?」




 ネーヴェ達が固まる。




「で、ですがあなたは我々に助力をしないと」


「何の事かな、今の俺はクロで魔王じゃない」




 ニヤリと意地悪く笑いクロは言った。




「………クロ」




 深紅を見下ろして、クロは堂々と宣言する。




「そう、執念深くて一途な魔族で、聖女深紅のイヌ……クロだ」




「ワンコ!ん、んん?!んむっ!」


「ちゅ、ちゅ、はふ」




 ぎゅっと抱き付く深紅に、クロは獣らしく公衆の面前で熱い唇ちゅうをした。


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