第20話天下る竜

 その日は白霧様の準備を手伝い1日を過ごした私だが、気分は晴れなかった。




 これからのこと。番のこと。黒苑様や灰苑様のこと。


 考えても私一人では解決できないことだが、不安は尽きなかった。




「心配か?」




 夜。療養中の紫苑をベッドに放置し、広い客室で白霧様とお茶を飲んでいたら、彼女には私の無表情も関係無いようだ。




「ええ」


「気にせずに相手の番に任せておけばよい。妾からも援助はしてやる」


「ありがとうございます」




 その相手が問題なんだよね。怪我をしている紫苑を放っておけずに一緒にいるけれど、このまま私が傍にいることは害になるのではないだろうか。


 最初から私という番なんか現れなければ、紫苑は王宮を出ることもなく、黒苑様も父親を殺さなくて済んだのに。




「………黒苑は、そなたが現れずとも遅かれ早かれ何か仕出かしていたと思うぞ?」




 深い藍色の布を張ったソファーに、ゆったりと座る白霧様は、まるで一枚の絵のような神秘的な雰囲気だ。そして何でもお見通しだ。




「妾が紫苑とそなたを匿ったのは、黒苑が気に食わなかったからじゃ。あやつは表面上は優男だが、その腹の内は底が知れぬ気色の悪い男じゃ」




 こくっ、と飴色のお茶を飲み、白霧様は客室の扉に目を向けた。




「同じ兄弟でも、紫苑は逆に分かりやすい。そなたといると特にな、のう紫苑よ?」




 彼女の視線を追った先には、扉が微かに開いていて、声を掛けられると気まずい顔の紫苑が入って来た。こっそり見ていたのか。




「何をやってるの?休んでいなければ駄目じゃない」


「こんな傷、もう塞がりかけてるし一週間もすれば痕もなくなる」




 竜族の回復力は凄い。でもムリはしていいはずがない。




「紫苑よ、ローゼが心配か?妾が口説いたから気になるのだろう? 」




 私の片手を優雅に持ち上げて、白霧様は唇を手の甲に押し当てようとする。


 慌てて彼女から離れて立ち上がると、紫苑の背中を押した。




「朝のことなら冗談よ。私は同性には興味ないから、ほら部屋に戻って」


「そうか!」




 納得したのか、素直に私の誘導に従う紫苑に、白霧様が声を立てて笑った。




「妾には、お前達ほど分かりやすい者はいないと思うがなあ。分からないのは互いだけとは滑稽じゃの」




 私が分かりやすい?




「私は……感情を表に出すのが得意ではありません。白霧様は分かるのですか?」


「ああ、分かる」


「アースレンにいた頃は、人形のようだとよく言われました」


「人形?」




 紫苑が私を見つめて、不思議そうに呟いた。




「それは褒め言葉じゃないのか」


「え?無表情だからそう言われて……」


「いいや、ローゼは竜族にとっては、豊かな表情をしていると思うが」




『人形』が褒め言葉?




「妾達は、ローゼのそういうところも好ましいがな。まあそれは見た目の美しさを褒めたのじゃろうよ。のう紫苑?」


「……………さあな」


「………え?」




 意外なことを聞いて驚く私を前に、白霧様は「こやつ説教が必要じゃな」と、私に残るように言うと、紫苑の耳を引っ張り、表へと出ていった。




 しばらくすると、雷と共に雨が降りだした。外では二匹の竜の咆哮が聴こえた。竜族の説教って闘いなんだな。


 こんなに目立った行動をしていいのだろうか?


 雷雨はすぐに止んだが、ボロボロになった紫苑は次の朝まで部屋から出て来なかった。手加減したのだろうけれど、傷を増やしてどうするの。


 どうやら白霧様が勝ったらしい。




 *********************




 翌日は霧が立ち上る暖かな朝だった。


 テラスに進み出た白霧様は、やはり喪服だった。昨日よりも凝ったレースが肩を美しく見せている。




「妾が去ったら、直ぐにここを立ち去れよ。この宮の主人である妾の存在を、黒苑は軽んじることはできぬはずだが、おそらく不在となれば捜索の手が及ぶだろう」


「わかっている。俺達はアースレンに下る。いいな、ローゼ」




 昨日のことは忘れたように、紫苑は真面目な顔で私を見下ろした。


 事前に聞かされていたので、私は黙って頷いた。取り敢えずは。




「そうだな。だが竜にはなるな、まだ傷が癒えぬ内は人型を取っていろ」


「おい、誰のせいだ。誰のせいだと」


「妾の信頼できる竜を付けよう。その者に乗って途中まで送ってやる。それから妾の可愛い娘となるローゼの為に、婚姻の祝儀を贈ってやろう。用意させているから持っていけ」




「ありがとうございます、白霧様」




 否定したい部分はあるが、私は感謝して深く礼を述べた。




「紫苑、分かっているな」




 ジロリ、と睨まれて、紫苑はうんざりと手で払う仕草をした。




 二人のやり取りは本当に親子のようで、性格も似ているし、紫苑がこのヒトを頼った気持ちが分かる。




「分かっているから、行け………気を付けろよ」




 ふん、と笑った白霧様は、背中のジッパーを威勢良く下げた。


 光に包まれた彼女の足元に黒い喪服が、はらりと落ちた。




「妾を誰だと思っている。白銀国の最高齢の雌竜だ。伊達に長生きしておるわけではない」




 テラスから霧の中へと身を投じた光は、美しい白い竜となった。


 落ちていた喪服を、緑の竜が抱えて後を追う。


 数匹の緑の竜を従えて翔んでいく白い竜に見とれていて、ふと彼女の言葉に、過去の戦争で竜族の犠牲者に高齢の竜が多かったことを思い出した。




「そうか………死への憧れ」




 一人呟いたつもりだったが、後ろにいた紫苑には聞こえたようだ。




「俺は死なない。どんなに齡を重ねても死にたくない………お前が傍にいるなら」




 風に踊って頬を擽る黒髪を押さえて振り返ったら、紫苑は私をじっと見つめて、なぜか深呼吸を繰り返している。




「紫苑、白霧様に何か言われて……」


「動くな、ローゼ」




 有無を言わせぬ強い口調に、驚いて立ち竦んでいたら、紫苑が膝を付いた。それから手のひらも地面にべったり付けて這いつくばる。




「紫苑?!何を!」




 潰れたカエルのような格好の彼は、私の靴先に唇をくっ付けて、そのままの態勢で微動だにしない。


 屈辱的な格好なのに、目を閉じる端正な顔に浮かぶのは、安堵のようなものだった。




 竜族の王子が、平民の私の靴にキスをしている。




「や、やめて!もういいから!」




 数秒固まっていた私だが、止めさせようと彼の肩を掴んだ。


 すると肩の手に紫苑の手が重ねられ、ようやく彼は顔を上げた。




「ローゼ、これで許してくれ。俺はこれから真実しか言わないと心に決めた。だからお前も、俺の真実を信じて欲しい」




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