幕間 牧場暮らしの元商会長夫人
あたしゃフリエラというただの
過去にオルウェンズ商会会長の肩書を持つ愛しの夫のウルと共に商会を盛り立てて来たが、
その上、この世にウルはもういない。ウルが居ない商会なんじゃどうでもいい。
別に愛着が無いわけではない。だが、半ばウルを喜ばせたいという欲求が動機に等しかったのじゃから、ウルが居なくなれば商会を育てたところでほとんど無意味じゃ。
それにあたしももう年じゃ。「あたし」なんて若そうな使い回しもしたところで日に日に身体は衰えていく一方だ。頭の回りの落ちているのか、物忘れも酷くなる一方だ。
――――にも関わらず、商会傘下の若いもんはそんな老婆に知恵や意見を求めに年柄年中やってくる。それが理由で裏で商会を牛耳る存在だなんて碌でもない噂が立ち、日柄、命を狙われることが多かった。
そりゃ言うまでもない。老婆には応える毎日だった。心臓が幾つあっても足りゃしない。そもそも何故ウルの居ない商会にあたしがいなけりゃならんのじゃ――――
じゃから、あたしゃ商会に黙ってこっそり、世俗から遠く離れた辺鄙な土地で牧場を営むことにしたのじゃ。
で、置き土産にあたしを慕う部下を数人、牧場経営のために商会から引っこ抜いてやったわい。これを期に年寄りを扱き使う悪癖を改めることじゃな。
そんで幸い、金はある。働くことが生きがいだったウルは金を貯める一方でそのほとんどを使わずして死んでいった。金なんて腐る程あるわい。土地と時間さえあれば十分じゃった。
それで選んだ土地が『精霊の大森林』と呼ばれる魔境の傍に広がる放棄された土地じゃ。
踏み入った者は二度と帰っては来られぬ森の傍にあると不吉な土地としてほとんど手付かず故、人はあまり来ず、あたしには都合のよい場所じゃった。
それに『精霊の大森林』はかつて瀕死の重傷を負った夫を救ってくれた大恩人ジュラが挑んだ人類未踏破領域にしてダンジョンじゃ。
あのか細い腕のどこにアレほどの腕力があるのじゃろうかと目を疑った。
迫り来る
無邪気に笑う
『さっきも言ったけど私はあの森を攻略するつもりなの』
『何年、何十年掛かってでも森の秘密を解き明かして、それを私の力にする。もしかしたらその過程で
『だけど世間の輪から外れた森暮らしだからさ、娯楽とかないし、ほら、飽きたとか言って森から飛び出しそうじゃん?』
『でもさ、森での暮らししか体験してない世間知らずな娘が外の世界に出かけたら間違いなく辛くて悲しいことになると思うんだ』
世間知らずな貴方が言えることじゃないでしょ――――当時のあたしはそう思ったが話の骨が折れるので敢えてツッコまず、そのまま話を促した。
『だからさ、もし、アスピーニャ・オリエンティール・アルケミスタ――――ううん、アスピを名乗る子と出会ってその子が何か困ってたら少し手助けしてほしいんだ』
夫を実質生き返らせてくれたに等しい行いをした大恩人の頼みじゃ。少しと言わず、オルウェンズ商会の持ち得る力の限りを尽くして助けてみせると告げたが彼女は『ううん』と頭を振った。
『それはダメ、甘やかすのは良くないよ。言ってなかったけど私、これでも錬金術師なんだよ? 娘も一人前の錬金術師に育てたいの。錬金術師にとって発想力や問題解決能力はすっごく重要だから無闇矢鱈に助けるとその子のためにならないの。だからお願い――――』
その願いをあたしは今でも覚えている。
しかし世界は広い――――名を知っているとはいえ、年も顔も知らぬ者と出会える可能性は極端に低いだろう。
オルウェンズ商会の情報網を駆使すればその確率は圧倒的に引き上げられる。だが、大恩人の娘だ。その子もとんでもない力を身につけることだろう。権力闘争の道具に使われることは目に見えている。
だから商会の力を使わず、あくまで個人の力で彼女の願いを叶えることで結果的に彼女の意に沿うことになるのじゃ。
とは言え、いつ天寿を全うして居なくなるかも分からぬ身の上じゃ。ただ待つだけじゃ一生会えないことじゃろう。
ならば一層、『精霊の大森林』の傍で待つのが良いじゃろう。森と街との距離は非常に空いている。故に牧場なり宿泊施設なりを立てれば足休めに立ち寄ってくれるじゃろう。
そんな思いもあって、ここに牧場を立てることにしたのじゃ。
じゃが金にも人手にも限界がある。囲えたのはせいぜい森の一方向のみじゃった。まぁ確率は概ね四分の一じゃ。出会えなかったら巡り合う天運じゃなかったのじゃろうと諦めるほかない。
そうして時が流れてゆき、気づけば曾孫が出来ていた。曾孫の顔に見に久方ぶりにエインヴェルズの街を訪れてみりゃ、曾孫は足を失い、途方に暮れている状況じゃったのじゃ。
馬鹿高い義足を買えるほどの凄腕冒険者、それに評判も概ねよし。元商会長の妻として多くの人間を見てきたが、信頼できる人物だと直感も言っている。
それに聞けば短期間でぎこちないといえど歩けるまでに回復したというではないか。何れ問題なく戦闘までをも熟せるようにもなるだろう。
単に牧場の通常業務のみならず、いざというときの護衛としても使える――――そんな打算もあったが、若き頃の夫の面影を宿した見た目に思うところもあったのも否定はしない。
ともあれ雇った曾孫じゃったがこれが案外かわいくて――――いや、そんなことはどうでもよいのじゃ。
ある日、暖炉でチーズを焼いていると曾孫がうら若い女を連れ込んできたのじゃ。
最初はあたしに黙って女でも
曾孫のガジェ坊が連れ込んだ女に目をやれば、茶髪に緋色の瞳、端正な顔立ちをした背のやや低い少女だった。
じゃが、その見た目に反して行商人でも背負わぬだろう盛大に膨れ上がった真ん丸い背負鞄を背負った姿は魔物が人に化けているのではないかと思わせるには十分じゃった。
かつて出会った大恩人ジュラを思わせる容姿に馬鹿力。もしやジュラの言っていた娘ではないか?
その可能性に思い至り、久方ぶりに高揚した。名を聞けば、少女はアスピと名乗った。
大恩人の告げた娘の名は確かアスピーニャ・オリエンティール・アルケミスタ。そして目の前の少女の名は最初を
「で、こんな辺鄙なところへ何しに来たんだい?」
「エインヴェルズの街に行こうと思いまして――――」
「ほぅほぅ、街へ行きたいと?面白いことを言うねぇ。街に行きたいにも関わらず、わざわざこんな辺鄙な牧場にやってくるとはお前さん、どんだけ方向音痴さね?」
街へ行きたいと宣いながらも全くの逆方向――――それも誰もが知り誰もが寄り付かぬ森へと自ら足を運ぶという矛盾を抱えた言葉は誰もが聞けば理解不能の一言に尽きるじゃろう――――じゃがジュラの娘なのだとすれば納得じゃ。
後ひと押し、何か確信たるひと押しがあれば――――そんなもどかしい感覚に見舞われていた矢先、ガジェ坊が少女が森から来たと言うではないか。ここまで情報が揃えば確信しても良いはずじゃ――――ジュラの言っていた娘だと。
ダメ押しに、どこの森か聞いてみようかと思ったあたしゃ自然な流れで聞くべく、驚く振りをすることにしたのじゃ。ガジェ坊に笑われたのが殊の外いらついたがまぁよい。
アスピは案の定『大森林の森』から来たと答え、背負鞄からクシャクシャな色褪せた地図を取り出した。その地図は見覚えがある。色や所々破れていることを除けばそれは昔、ジュラが見せてくれた地図そのものだった。
ならばあたしの成すことは唯一つ――――アスピのこれからを影で見守ることじゃろう。じゃが無闇矢鱈に手助けはしないでほしいと言われている故、どうすればよいか考える必要がある。
「ふむふむ……」
こうしてあたしは思考の海へと沈んでいったのじゃった――――
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