喪女の婦警がアポなし召喚! 「名ばかり管理職の魔王!」

玉椿 沢

第1話「喪女と魔王」

 似たような言葉だが、意味の違う言葉、対象の違う言葉がある。



 



 召喚とは自分と同等か下位の者に対して用いる単語で、降臨とは自分よりも上位の者に対して用いる単語だ。


 即ち神は降臨せれど、召喚されない。



 召喚されるのは、常に人間の下位にいる存在――つまり悪魔のような存在だけである。



 その日、甘粕あまかす亜紀あきが召喚した相手も人間より下位の存在だ。


 例え魔王を名乗っていても。


「ヨッド・ハー・ヴァル・ハー」


 教えられた呪文を唱えると、床に描かれた魔方陣に光が灯り――、


「……」



 呼び出された魔王ベクターフィールドは、大盛りご飯の茶碗と箸で掴んだトンカツを手に、呆然とした顔をしていた。



「……戻せェェェ!」


 それが魔王を名乗る男の第一声。


「自分が昼飯、食べてないからって、人が食べてないとは限らないだろ!」


「ごめんなさい。でも時と場合を選んでいる場合じゃなくて……」


 亜紀が謝るが、相手の事情を考慮していてはできないのが召喚である。


「もーどーせー。まだ食べ終わってないし、お金も払ってないんだよ!」


 そんな言葉が魔王の口から出てくる事は意外だろう。


 亜紀も大気混じりにいう。


「悪魔のくせに、何でそんな事、気にするの?」


 亜紀から見ても意外だ。悪魔が無銭飲食を気にするのだから。


 しかしベクターフィールドの役割からすれば当然の事。


「俺は契約を司る悪魔だぜ。そんな俺が対価を支払わないなんて有り得ねェだろ」


 ベクターフィールドは力説するが、言葉から受ける印象は一つしかない。



「……名ばかり管理職」



 ここまで怒鳴り続けられれば、亜紀の心証も悪くなるというものだ。


「……とりあえず、俺を店に戻せ。そこで話そうぜ」


 ベクターフィールドの言葉に従い、亜紀はもう一度、魔方陣に光を灯した。



***



 ベクターフィールドが昼食を取っている店は、郊外にある食堂だった。看板メニューであるトンカツを中心に、コロッケ、ミックスフライなどの揚げ物だけで30年近く営業を続けているのだから名店といえる。


 カウンター席とテーブル席を合わせて20人少々で満席になる店内は、窓を大きくしてあるから明るく、内装も温かみのある木調で、女性の一人客が多いのも特徴だ。


 そんな店だから、亜紀も入りやすい。


「あー、来た来た」


 味噌汁とご飯をお替わりしたベクターフィールドがテーブル席から手を振ると、亜紀は向かい合って座り、遅い昼食を注文する。


「ミックスフライ定食、お願いします」


 あまり食事をしながら話したい事ではないが、座っているだけというのは変な話だ。


「はーい」


 注文を取っている中年女は、愛想のいい笑顔で返事をした。厨房にいる店主も、顔こそ見えないが「あいよ」と威勢のいい声を発する。


「で、俺が呼び出される厄介事は、何だい?」


 トンカツに自家製ソースと七味を加えつつ、ベクターフィールドは亜紀の顔を見遣った。



***



 ドラマが好きだった父親の影響だろうか、亜紀は子供の頃から「刑事」という仕事に憧れていた。洒落しゃれた台詞と見栄えのいいアクション、サングラス、スーツ、「高級」と括弧書かっこがきするようなスポーツカーの世界は、女児に相応しい世界ではないが、兎に角、亜紀はその世界にハマった。


 しかし現実に銃を撃つような仕事があろうはずもなく、高校を卒業してすぐに奉職した亜紀の仕事は防犯課少年班。


 その仕事で一番、時間を使うのは、書類の作成だった事も皮肉といえる。


 ――他という字には、常用漢字表に「ほか」という読み方はない。


 そんな文言の修正が殆どというのも、亜紀の精神を削っていった。それらのミスに対し、必ず「でも」という亜紀につけられた不名誉なあだ名は、ショートボブの髪型と小柄な身体から「毒キノコ」だったというのも含め、消耗は激しい。


 当然、彼氏などいた事がなく、その日もスーパーで値引きのシールが貼られた弁当を買い、寝るためだけに帰る一人暮らしのアパートへと、トボトボと歩いていた時だった。


 見てしまったのである。



 高校の制服を着た女子生徒が、スーツ姿の中年サラリーマンとブティックホテルへと入っていく光景だ。



 ――放っとく訳にも行かないか。


 未成年者の非行は職務の範疇はんちゅうだ。


「警察ですけど、今、入っていったカップルの部屋は?」


 警察手帳を見せた亜紀は、受付の女に案内させた。


「商売でも、あからさまなカップルの入室は断って下さい」


 こんな事をいうのも煙たがられる理由であるが、本人に自覚はない。


 ――現行犯とか勘弁してよ?


 解錠してもらったドアを開ける亜紀は、内心、いかがわしい事が行われていないよう祈る。


 祈りながら見た室内では、幸い、そのような事はなかった。



 ただし想像を絶する光景が飛び込んでくるが。



「え……?」


 目を疑いたくなる程、荒れに荒れた室内。


 ――椅子で殴りつけた?


 凹んだ壁と、その下に落ちている椅子の残骸に、亜紀は眉を潜めさせられた。最近のブティックホテルであるから、少々の音は漏れない構造が幸いした――もしくは災いした形だ。


 灯りの点いていない部屋に、亜紀は警戒心を強くする。


 浅くなろうとする呼吸を、意識的に深くした時だった。



「来るなァッ!」



 心臓が飛び出すかと思う程、亜紀を驚かせた叫び声は、窓際から聞こえてきた。


 制服姿の女子だ。


「来るなァッ!」


 女子がもう一度、叫んだ。錯乱し、手にした椅子を振り回している。


「落ち着いて! 私は――」


 呼びかけても治まらない。


 そうしている内に椅子で窓を叩き割り、女子は窓の外へ身を躍らせる。


「待って!」


 伸ばした亜紀の手が届く暇もなかった。



***



「それは大変だったようで」


 ベクターフィールドは目をしばたたかせるだけで、すべき顔がなかった。


「結局、3階からの転落だったから、女の子は……重体だけど怪我で済んだ。意識が戻り次第、事情を聞くって方向らしい」


 味噌汁をはしで掻き混ぜるようにして飲みつついった亜紀の言葉に、ベクターフィールドは眉を潜めて首を傾げる。


「らしい?」


「上は、非番の私が、そんな現場に居合わせた事を問題視したの」


 これは防犯課の仕事ではなく刑事課の仕事だ、といわれたのは、この午前中の事だ。現場を離れ、資料整理を命じられている。


「資料整理なんて仕事、本当にあるんだな」


「そこじゃないから。大事な所は」


 亜紀の口調には苛立ちが含まれていた。


「その資料整理をしていたら、似たようなのがいっぱい出て来たの」


 未成年者の自殺、事故、失踪の数が増えていたのだ。単に自分が見てしまった光景とダブったため、多く感じているのではない。記録と統計は客観的だ。


「一ヶ月で11人。異常な数よ」


「……手伝え、か?」


 ベクターフィールドが片方の眉を吊り上げて挑発的な顔をするが、亜紀はそんな相手を真っ直ぐに見据え、



「私が、こんな調査をする時、何をおいても協力する事――そういうでしょ」



 ベクターフィールドとの契約は、亜紀が必要だと思った事件に関して、全ての能力を使って協力する事。


「珍しい事をいう奴だと思ってたが、実際は厄介だぜ」


 ベクターフィールドは態とらしく鼻を鳴らした。


「サングラスもスーツもないし、お互いダンディーでもなけりゃセクシーでもないけど、まぁ、コンビで動くか」


 しかしニヒルな顔は続かない。


「ほい、おまけ」


 横から伸ばされた店主の手が、ベクターフィールドの前に置いたのはミックスフライ。


「お、いいの?」


 ベクターフィールドが顔を上げると、店主はニッと味噌っ歯を見せて笑い、


「米粒一つ残さずに食ってるのを見ると気分がいいねェ。食べてくれ」


 大盛りのご飯を平らげ、付け合わせのキャベツすらも完食したベクターフィールドだからこそ、と店主はいった。


「ごちそうになります!」


 パンッと音を立てて手を合わせたベクターフィールドに、亜紀はやはり苦笑い。


 ――名ばかり管理職。


 手下の一人もいない事を揶揄やゆしているが、亜紀がいうのは悪感情からではない。


 人間が好ましいと思ってしまう魔王に、どんな悪魔が手下になろうと思うものか。

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