第14話独り占め、したい

「――ユウ、ユウ」

「……ん」


 強く揺さぶられて優は目を覚ました。ぼんやりと目を開けると、水色の瞳と目が合う。ポーンは優が目覚めたことを確認すると、どこかほっとしたように息を吐いた。


「大丈夫か? どこか具合が悪いとか?」

「いえ……この顔色は生まれつきです。紛らわしくてすみません」

「いや、大丈夫なら良いんだ。死体みたいに眠っていたから心配になっただけだ」


 ははは! とポーンは笑った。死体みたいって……と優は少し心外に思ったが、心配してくれた相手に文句を言うのは良くない。優は言葉を飲み込んで起き上がった。窓の外は薄暗い。どれくらいの時間、眠っていたのだろう。


「も七時だ。送っていこう」

「大丈夫です、隣だから平気です」

「そう遠慮するなって! ランスの奴、きっと心配してるぞ。俺が一緒の方が良い」


 その言葉に納得して、優は頷いた。

 二人してポーンの家を出ると、夜風が優の顔を撫でた。そんなに冷たく無い風だ。生温くてむしむししている。もうすぐ夏なのだと思い知らされた。

 早足で移動してランスの家のドアをポーンがノックした。途端にドアが開く。優は驚いて一歩下がった。すると、中から青い顔をしたランスが飛び出して来た。


「ユウ! ……とポーン」

「おいおい。人をついでみたいに言うなよ」


 ポーンは苦笑しながら、優の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。


「それじゃ、ユウ。いつでも来ると良いから」

「はい。ありがとうございます」


 ポーンは手を軽く振って自宅へと戻っていった。優とランスはしばらくその背中を見送っていたが、ランスの「中に入ろう」という言葉でそれを途中で止めて家の中に入ることにした。

 ドアを閉めて鍵を掛ける。途端に、ランスは優を抱きしめた。


「ら、ランスさん?」

「ユウ……心配したよ……。こんな時間まで帰って来ないから……」


 ランスの腕は震えていた。優はランスの背中に手を回して詫びる。


「ごめんなさい。ポーンさんの家で眠ってしまって……気付いたらこんな時間になってて。俺、すぐ寝ちゃうから……」

「いや、良いんだ。まだ七時だしね。門限には早すぎるよね……でも……」


 ぎゅっと腕の力を強めながらランスが言う。


「……怖かった。心配で心配でたまらなかった……」

「ごめんなさい。俺、行先をちゃんと言わないで出て行っちゃったから……」

「ううん。それも良いんだ。ちゃんと帰ってきてくれたから……ポーンのところなら安心だしね。でも……ユウ、明日からはもう少し早く帰ってきておくれ? これは僕の我が儘だ。許して欲しい。僕は、ユウが居ないと駄目なんだ……」

「ランスさん……」


 存在を確かめるように抱きしめるランスに、優は驚きを隠せないまま黙って身を委ねた。

 ――ああ、あたたかい。

 外はじめじめしていて気持ちわるいのに、ランスから与えられるぬくもりはこんなにも気持ちが良い。

汗で湿った身体をくっつけ合ってしばらく固まっていると、優の腹がムードを壊すように鳴った。


「あ……」

「……ふふ。お腹空いた?」

「すみません……俺……」


 謝る優の頭を、ランスは優しく撫でた。


「良いよ。ごめんね。僕は神経質になりすぎているようだ……ご飯は出来ているから、食べよう。今日は牛肉を焼いたんだ。きっと体力が付くよ」

「……はい」


 優の無い体力を付けようと、ランスは食事のメニューを細かく考えてくれていた。おかげで、優の体重はこの世界に来てからほんの少しだけ増えた。モデルなのに太ったことに罪悪感を抱いていると、ランスは「今は痩せすぎだからね」と優しく微笑んだ。なので、優は食事制限なく美味しく三食取ることが出来ている。

 食卓に着いて、手を合わせる。いただきます、と声を合わせてフォークを手に取った。


「……美味しい」

「それは良かった! いっぱい焼いたから、どんどん食べてね」


 牛肉には、しっかりと火が通されていて程良い固さだった。とてもスパイスが効いていて食欲をそそる。添えられたレタスと一緒に口に運ぶと、とても相性の良い味になった。


「……」

「……」


 いつもなら、談笑しながらの食事だが、何故か今日のランスは無口だ。心がどこか違う場所に飛んで行ってしまったかのような表情に、優は心配になる。けれど、何と声を掛けて良いのかが分からない。そう、分からない……自分は、ランスのことをあまりにも知らな過ぎると実感した。


「あの……」

「あのさ……」


 同時に口を開いてしまい、また二人は無言になった。しばらく見つめ合った後、息を吐いたランスが話し始めた。


「ユウ、僕が何故、新しい絵を描き始めたか気になる?」

「……なります。とても」


 優は正直な思いを口にした。どうして自分では無くリリィを選んだのか……。そのことをどうしてもランスの口から聞きたかった。

 ランスはグラスの水を一気に飲み干して、優の目を真っ直ぐに見た。緑色の瞳が不安そうに揺れている。それでも、優は目を逸らさずにそれを見据えた。


「……理由を聞いたら、ユウは僕を嫌いになるかもしれない」

「なりません」

「心が狭い奴だって、軽蔑するかもしれない」

「しません」

「ユウ……はあ……」


 ランスは大きな溜息を吐くと、両手の拳を膝の上に置いて下を向いて話し出した。


「王宮にはね、一般人が自由に出入りできる場所があるんだ。そこにはいろいろな芸術家たちの作品が飾られている……もちろん、僕の絵も。そこに飾ってもらえるというのは、とても名誉なことなんだ……自慢じゃないけど、僕の絵は数十枚飾られていてね……」


 ランスは顔を上げて優の目を見た。優は真剣な顔でランスの話を聞いている。その様子に心を動かされたのか、ランスは続けた。


「そこに飾られるということは、つまり……いろいろな人の目に触れることになるんだ。分かる?」

「はい」

「だから、そう……もしも、ユウのあの絵をあの場所に飾ることになったら、たくさんの人がユウのことを視界に入れることになる」

「分かります」

「僕は……それが耐えられなかった……」

「……へっ?」


 優は首を傾げた。いったいランスは何を言っているのだろう。そんな様子の優にランスは苦笑して、とてもとても言いにくそうに言葉を紡いだ。


「つまりだね……ユウ。僕は君のことを独り占めしたくて、他の誰にも見せたくなくて、あの絵を王宮に渡すことを止めたんだ……」


 優は呆然とした顔でランスを眺めた。

 ――それじゃあ、ランスさんは俺のことを飽きたとかじゃなく……? 単純に独り占めしたかったから……?

 優はがくっとテーブルに崩れ落ちた。その様子を見たランスが慌てて言う。


「ごめんね、ユウ。呆れちゃったよね……でも、これが真実なんだ。僕は……自分でも信じられないくらい心が狭くて大人げない奴なんだ。どうか……嫌いにならないで欲しい……」

「……そんな、理由だったんですか……」


 優は顔を上げて、眉を下げて情けない顔をしたランスを見つめた。

 ――ランスさん、何だか可愛いな……。

 その言葉を飲み込んで、優は笑顔を作って言った。


「俺、てっきりランスさんに愛想を尽かされたのかと思ってました」

「な、何だって?」

「俺なんかより綺麗なモデルが見つかったから……王宮には俺はふさわしくないからだって……そう思ってました」

「そんな! 誤解だ!」

「分かってます。今の、ランスさんの言葉に嘘は無いって、ちゃんと分かってます」


 優は立ち上がり、ランスの横まで歩いた。


「けど……とっても怖かったんです。ランスさんがリリィさんのことを特別に思うようになったらどうしよう、って」

「僕の特別は優だけだよ……ごめんね、ユウ。僕が保身に走らず本当のことをすぐに打ち明けていれば良かった……」

「いえ……誰だって、好きな人の前では格好つけたいですもんね」


 笑う優にランスは苦笑した。そして、長い腕で優を抱きしめる。どくどく、といつもより早い心音が優の耳に伝わった。


「でも、今度からは全部、ちゃんと言って欲しいです……」

「分かったよ。ユウ、今回のことは本当にごめんね」


 見つめ合ってキスをした。食事の最中だったので、くちづけはスパイシーな味がした。


「……俺の代わりなんて知ったら、リリィさんは怒らないかなあ」


 ぼそりと言った優に、ランスは笑ってみせた。


「大丈夫。リリィは全部知ってるから」

「えっ。そうなんですか?」

「今日、伝えたよ。ユウが恋人だってことも。全部ひっくるめてリリィはオーケーしてくれたんだ」

「へえ……リリィさんって、なんか格好良いですね……」

「そうだね。強い女性だ。僕なんか敵わない」


 抱擁を解いて、ランスは優の頭を撫でた。


「さあ、食事の続きをしよう。冷めないうちに」

「はい」


 優の心はぽかぽかと満たされていた。

 ――良かった。本当のことが聞けて……。

 天使の絵を変えたことが、まさか自分のことを独り占めしたいからなんて可愛い理由だったなんて想像もつかなかった。

 そんなところも好きだな、と優は思いを噛みしめた。自分には多すぎる愛情を与えてくれるランスのことを、とてもとても愛している――。


「あの、ランスさん……」

「どうしたんだい?」


 優は照れる心を抑えながら、思ったことを正直に言った。


「今夜……もっと俺を独り占めしてくれますか?」

「……っ! ユウ」

「俺、ランスさんのものになりたい……」


 優は赤くなっているであろう顔を俯いて隠した。ランスは困ったように頬を掻く。


「ユウ、前にも言ったけど、ユウのことは大事にしたいんだ」

「分かってます。それでも、つ、繋がりたいです……」


 小さな声で言う優の頭を、ランスは撫でた。ふわりとしたぬくもりが優を包む。


「身体を繋げるだけが愛情じゃないよ」

「……じゃあ、ちょっとだけ……その……触って欲しいです」


 もう自分でも何を言っているのか分からなかった。

 ランスはふ、と笑うと、手を頭から頬に移動させる。


「……分かった。ちょっとだけ、触れ合おう。その……誘ってくれて嬉しいよ」

「は、はい……」


 ちらりとランスを見ると、その頬は赤かった。

 ランスも照れていてくれるのだと思うと、ますます優の心もあたたかくなる。


「さあ! 今はご飯だ。それから、ね?」

「そ、そうですね。あの、ありがとうございます」


 それから、二人は他愛無い話をしながら夕飯を平らげた。いつものように明るい食卓に戻り、胃も心もとても満たされる。

 

「ポーンさんの家、防犯グッズが増えていましたよ」

「ふふ。また見せてもらおうかな。インスピレーションが湧くかも」

「ランスさんは、絵の方はどうですか?」

「ああ……下塗りまで済ませたよ。それが乾いたら塗るだけ。一か月くらいで完成かなあ……」

「俺の時より早いですね」


 ランスは苦笑して答えた。


「だって、ユウの絵は特別だから。時間も掛かっちゃうよ」


 照れ臭そうに言うランスのことを、優はまた、とてもとても愛おしく思うのだった――。


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