2-4 #彼の日#彼ごはん#ありがとダーリン#愛してる

お昼に起きてシャワーを浴び、軽く身支度。

そのあとは松岡さんが来るまで少し仕事。

最近はこのリズムが整ってきて、起きるのが苦じゃなくなった。


考え事をしながら見ていた窓の外、また人影が横切っていく。


「だからあれは猫……じゃない」


一度は猫だと納得したそれは、確実に猫じゃなかった。

しかも、なんとなくよく知っている人に似ている。


「どうする?

行って確かめてみる?」


けれど行ってどうするのだろう?

そもそもなんで、隣家に用が?

考えても考えてもわからない。


「こんにちはー」


結論が出ないうちにガラガラと玄関が開き、松岡さんがやってきた。


「本日もよろしくお願いいたします」


「あの」


台所に向かおうとしていた松岡さんの足が止まる。


「なんでしょうか」


「その。

さっき、……隣の家に入っていきませんでしたか」


「どうしてそのようなことを?」


松岡さんはなんでもないように聞いてきた。

が、一瞬、驚いたように目が大きく見開かれたのを私は見逃さなかった。


「さっき、松岡さんらしき人が隣の家との間の道を歩いてるの、見ました」


「はっきりそれが私だと、言えるのですか」


一歩、私の方へと松岡さんは距離を詰めた。

間近で冷たい銀縁眼鏡の奥から見下ろされると……怖い。


「そ、それは……」


情けないことに私の声は、か細く震えていた。


「……見間違いかもしれない、……です」


似ているようには見えた、が距離があってはっきり確認したわけじゃない。


「見間違えであなたは、私を責めるのですか」


「……はい。

……すみません。

……ごめんなさい」


俯くと涙がじわじわ滲んでくる。

さすがに泣くなんて情けないことはできなくて顔を上げたら、松岡さんと目があった。


「まるで私が泣かせたみたいじゃないですか」


そっと松岡さんの手が私の顔に触れ、目尻に僅かに溜まる涙を拭ってくる。


「お詫びに今日はあなたの好きな夕食を準備しますので、なんだって仰ってください」


「……ハンバーグが食べたいです」


「かしこまりました」


珍しく目を細めて優しげに笑い、松岡さんが離れる。


心臓がまるで自分のものじゃないみたいに鼓動が速い。

なんだかちょっと、胸も苦しい。


これは……不整脈、なんだろうか。


最近は少し健康的な生活をしているとはいえ、いままでめちゃくちゃだったからなー。

ちょっと、気をつけないと。


「お茶の準備ができましたら、お声をかけますので」


「あ、待って!」


今度こそ、台所に向かおうとしていた松岡さんが怪訝そうに振り返った。


「あ、あのね?

これ、買ったから使ってもらえますか……?」


台所に置いたままだった、ケーキスタンドの入った紙袋を松岡さんに押しつける。

中を見た彼は右の口端をちょこっとだけ上げて笑った。


「わざわざありがとうございます」


「その、あなたのためとかじゃないし、でもアフタヌーンティを楽しむためだったらちょっとくらい協力してもいいかな、とか」


熱くなった顔で早口で捲したてながら、自分でもなにを言っているのかわからない。


「では今日はこれを使用させていただきます」


右手を胸に当て、松岡さんが恭しくお辞儀をする。


「……そうしてください」


顔を上げられなくて、俯いたまま返事をした。


今日は玉子サンドとスコーンそれにオレンジと桃、二種類のプチケーキ。


「本日はアイスティにいたしました。

先ほどずいぶん、汗をかいておいででしたので」


意地悪く右の口端だけでにやりと笑う。

気づいていても黙っておくとかいうことはできないんだろうか。


またもや熱くなってしまった顔で、黙ってストローを咥える。

ベルガモットの香りがするアールグレイのアイスティが、熱を持つ身体を冷やしていく。


「……やっぱり、おいしいんだよなー」


玉子サンドは隠し味のマスタードが利いていておいしいし。

スコーンは相変わらず、しっとりとさくさくを両立している。

ケーキもスポンジふわっふわだし。

もうコンビニスイーツには戻れそうにない。



夕食は約束通り、ハンバーグだった。

しかもスキレットに入れてトマトソースで煮込み、さらにはチーズをのせて焼いてある。


「おいしそう」


じゅるりとよだれが垂れてきそうになるのをかろうじて抑え、携帯で写真を撮る。


「よろしいでしょうか」


ぎくりと、携帯を持つ手が震えた。


「な、なんですか……?」


油の切れたロボットのようにぎくしゃくと松岡さんを振り返る。


「以前から気になっていたんですが、夕食の写真を撮ってどうなさるのですか?」


「ど、どうって……」


つい、視線を逸らして床を見てしまう。

そこにはなにもないのに。


「そ、そう!

小説の資料にするんですよ!

ときどき食事のシーンを書くときなんか、メニューとかそういうので困るので」


我ながらうまい言い訳だったと思う。


――ただし、心臓は早鐘のように鼓動していたし、脇の下にじっとり汗をかいていたが。


「さようでございますか」


興味がなさそうにそれだけ言い、松岡さんはまた洗い物をはじめた。


……バ、バレてない、よね?


料理の写真はもちろん資料としても使うが、目的はそれだけじゃない。

それには絶対に、気づかれるわけにはいかないのだ。


「それでは本日はこれで失礼させていただきます。

次回は来週、月曜日に」


「はい、ご苦労様でしたー」


ガラガラぴしゃっと玄関が開いてしまった音がして、そーっと廊下に顔を出す。

……帰った、よね。


松岡さんがいないことを確認し、携帯を掴む。


……えーっと。


画像投稿型SNS、Nyanstagramニャンスタグラム――通称、ニャンスタのアプリを立ち上げ、夕食の写真を選ぶ。


【今日は彼が来てくれる日。

夕食はじゃーん!

ハンバーグ!

彼のハンバーグはほんとにジューシーでおいしいんだよ♡

#彼の日#彼ごはん#ハンバーグ#ふわふわ#ありがとダーリン#愛してる】


「なーにが愛してる、だ」


シェアのボタンを押しながら苦笑いが漏れる。

画面の中には知り合いのイラストレーターさんに書いてもらった可愛いイラストアイコンと、大藤雨乃の文字。


【小説書いています】


自己紹介かシンプルにそれだけ。


いままでは出す小説の宣伝用アカウントとして活用していたが、ここ最近はこうやって松岡さんが作ってくれた夕食の写真を上げている。


――ようするに、恋愛ごっこ。


いままでは妄想の恋愛を小説にしていた。

いまはちょうどモデルにするのにちょうどいい人間がいるから、仮装恋愛をしてみようってわけだ。


――って、やっぱり妄想恋愛には違いないんだけど。


なので彼にはぜーったいにバレてはいけない。


「さてと。

今日も投稿したし、仕事しますか!」


気分を切り替えて私は、デジタルメモの蓋を開いた。

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