筋の通し方
賭博試合という格好の遊び場があるというのに、セイマという男は外で派手にやらかすのが常だった。
相変わらず人目も憚らず拳を出し、しまいにゃ野次も集まるような大乱闘。相手は寄ってたかったチンピラ風情共だ。
一体なにがどうして喧嘩になった。そんな疑問なんざ周りは一切気にしない、興味だってありゃしない。喧嘩とあれば楽しむだけ楽しむのが、鬱憤溜まる彼らの流儀。理由なんざいらんのだ。
事実、この喧嘩はなかなかに楽しませてくれる。
チンピラ風情はセイマ一人に対し三人ほど、数の上では奴らが有利だ。しかし、このセイマという男、数の有利などものともしない。羽交い締めに殴られても、馬鹿にした顔で唾を吐く。
どころか、羽交い締めた輩をそのまま力任せに背負い投げにするや、握った拳で顔面を抉り抜く。さあ、そんなことをしては仲間のチンピラもこれまで以上に黙っちゃいない。
「てめ、二度とこの往来歩けねえようにしてやらァ!」
懐からナイフを取り出すや、激情に任せてセイマの胸に向かって刃先を突き立てる。
しかし、そんな凶器もセイマは慣れっこ。刃先が己が身を貫くその前に、拳が奴の鼻先を叩き潰す。その勢いにナイフは手から離れ、さらにはトドメとばかりに駄目押しの一発。これには堪らず昏倒だ。
残る一人は、仲間内の二人が呆気なくやられた光景を前に腰が竦む始末。実力差はあまりにも明白が過ぎた。
流石、賭博試合において幾戦もの修羅場をくぐった男よ、そこらのチンピラが数になったところで構やしない。ましてや凶器相手の喧嘩など、飽きるほどやってきた。
「つまらねえ喧嘩させるんじゃあねえぜ。まあ、喧嘩売ったのは俺の方なんだけどなぁ」
なんて、かったるく首を鳴らしていると、途端に聞こえてくるはやかましい犬の吠え声。ああ、この吠え声は至極面倒な輩どもだ。
「貴様達そこで何をしている! ……って、またお前か! 何度ここで喧嘩を起こせば気が済むんだ!」
そこに立つは、顔馴染みとなってしまった警官ども。青筋たてて、歯をぎしりとたててこちらに向いていた。
「どうやらチンピラどもが乱闘を起こしてるというから来てみれば……どれだけ逮捕したら気が済むんだ貴様は! ええい、奴らを縄に繋げ!」
警棒を振るや否や、奴の部下と思わしき者がセイマを含め、昏倒しあるいは腰の抜け切ったチンピラどもに対し、よって掛かりにくる。仕事を増やされた鬱憤からか、その振る舞いは乱暴極まりない。
しかして、セイマといえばそんな警官どもに対しては手も足も出しやしなかった。
むしろ、「いつも迷惑かけるなぁ」と困ったように笑う始末。それが顔を一発殴られても、である。先ほど見せた大立ち回りがまるで嘘のように思える光景だ。
「まーた、ブタ箱行きかぁ……ま、自業自得の極みだな」
つい溢れてしまった苦笑いに、苛立ちおさまらぬ警官がまた一発。これにもセイマは笑って応える始末であった。
……
痛みという痛みには慣れっこだった。それに憂さ晴らしまがいの拷問なんざは、賭博試合で貰う一撃に比べれば幾分かマシだ。
ただ、セイマに不満があるとすれば、あまりに一方的が過ぎるというところであろう。だが、同時に文句を吐く資格なんてものもこれっぽちも無いということを、彼は重々承知していた。
留置所の一角に、またしても痛ましい音が弾けてやまない。手錠で繋がれ吊り下げられたセイマの体に、竹刀は幾度も浴びせつけられる。執拗に、苛烈に、それこそ猛烈に。
この国の警官どもは、正直に言って腐りに腐り切っている。逮捕した罪人共は、それこそ犬畜生と同列に扱う始末だ。しかも、それを抜きにしたって上官の下っ端いびりが酷い事。鬱憤は休む事なく溜まり続ける始末。
したがって、このような憂さ晴らしまがいの拷問も当然黙認される始末。
「ほぉらぁよッ!」
遊び半分、なんて言葉では済まされぬ一撃がセイマの頭蓋に浴びせられる。これには流石にセイマも白目を剥きかける。辛うじて堪えるが、しかしその意地っ張りさが警官どもは気に食わないらしい。
「さっきは大人しく捕まったくせに、なんだ此奴。そんな根性見せなくてもいいんだ、よッ!」
彼らにとって、それはもはや遊びだった。誰がこいつの意地を折ってみせるか、そんな遊び。
竹刀の嵐はなおもセイマを打ち付ける。そろそろ顔面も崩れてきて、視界も酒を二、三杯飲んだくらいに歪む始末。きっと鏡で自分の顔を見たら、あまりの酷さに笑ってしまうだろう。
体中は生々しい青痣だらけ。打ち付けられれば打ち付けられるほど、痛みの重さは増してくる。いつだったかの蹴りの猛襲に比べれば、やはりどおってことは無い。
まあ、街中で乱闘起こしたらこれくらいされてもしゃあねえ話だ。だけどな、あんたらの遊びに付き合ってられるほどお人好しなんかじゃあねえんだよ。
こんな意地なんぞ張ったところで、セイマにはなんの益もありゃしない。どころか、奴らは余計に怒り心頭にセイマを痛めつけるだけだ。
だというのに、こいつは不敵な笑みを浮かべずにはいられなかった。縛り上げ、吊し上げ、身動きが取れなくなってようやく殴りに行けるような、そんな腰抜けどもを馬鹿にしたような笑みを。
故に彼らの遊びは終わらない。
「クッソ、いい加減おっ死んじまえよ……こノ野郎がッ!」
とうとう、それは遊びでは済まされなくなってきた。殺す気だ。
一人二人死んでもそれは、牢の中で発作でも起こして死んだことにすればいい。事実、そうやって亡き者にした犯罪者は数知れず。それが女であれば、犯りに犯って闇に葬ったこともある悪徳警官どもである。
たかが一人死んだくらいで、自分達の立場が揺らぐことは無いと分かっているが故に、歯止めなんぞききやしない。竹刀では軽いと、ついには焼鏝なんぞを持ち出してきた。
さしものセイマもこれには、なんて顔はしない。背中に冷や汗が吹き出し、心臓がドクンと高鳴ってもなお、顔はそんな弱さを見せやしない。拷問で憔悴仕切ってもなお、この男は笑みを張り続ける。
だが。
「いい加減にしろ! 取り調べは終いだ! そいつはもう釈放だ、釈放! わかったらとっとと失せろ!」
その一喝に遊びに心を奪われていた警官どもも、はっと目が覚めたかのような顔をする。振り向いた視線の先には、眼光鋭き髭面の男。その瞳と顔に刻まれた生々しい傷痕は、彼もまた修羅場を潜り抜けてきた者であることが窺えられる。
故に、鬱憤ばらしに精を出す警官どもでは、この男には逆らえやしない。口答えしようと口を開くも、この眼光に射抜かれては言葉ひとつままならない。結局は鼠のようなか細い返事を返すと、そそくさと退散して行く始末だ。
そんな背中を見送って、ようやく男はセイマを一瞥する。鋭き眼光は、いまだ健在。
しかし、セイマとしては竦むどころか、むしろ親しみすら感じられる。それほどに、彼にも世話になりすぎた。
「……よう、旦那。今回も世話になっちまった、ぜ」
「相変わらずな奴で頭が痛いよ。まあ、頭が痛いのはお前さんのことだけじゃないがな」
一つ溜息を吐くや、満身創痍のセイマに近寄ると彼の手に繋がれた手錠を慣れたように外す。
この男とこうしたやりとりをするのは、もう何度目だろうか。乱闘騒ぎで捕まるたびに、こんなことを繰り返している様な気もする。
「さっきも言ったが、お前さんは釈放だとよ。あんたが世話になってるという色男が、また大層な金を上につぎ込んだらしい。……こういうのが余計にここを腐らせる。やってられない話だ」
セイマに向けられた彼の顔は、まさに苦虫を潰したかのよう。きっと、スポンサアが裏から取引をしたんだろうな、というのは考えなくてもわかった。
毎度毎度、余計な事をしてくれる。
いい加減見捨ててくれたっていいはずなのに、しかし奴はどうにもこうして手を出してくる。奴曰く、俺は面白いからということらしいが、水を差されるのはやはり憎らしい。
だがそれ以上に、毎度そいつに世話になりっぱなしな自分も憎らしいわけで。
「……腐っちまうのは俺の方かもしれねェな」
「意味わかんねえことを呟くなぁ、オイ」
「別に……釈放されたくないってわけじゃあねえ。だけどよ、あんなことしちゃ捕まるのもしょうがねえってえのは、わあってるつもりなんだぜ? 見てる奴らの中にゃ、怖くって街中歩けなくなる奴らもいるだろうがよ」
「だから、乱闘を起こして警察が来たなら律儀に捕まってやっている……とでもか? 随分な自己満だなァ、オイ」
自己満、そう言われてしまうとセイマとしては確かに痛い。実際、余計な仕事を彼らに増やしてしまってるのはセイマ自身。
それでも。
「自己満だって言えばいいさ。実際自己満だ。……俺なりの筋ってえやつさ」
そうさ、男ってえのは筋を通してこそ。
だからこそ、幾多の生傷を背負おうが、幾度も愚かと嘲笑われようが、セイマはこの生き方はやめられやしない。
筋を通す為なら、いくらだって意地を張ってやる。
そんな気負いさえある。
「ふん……筋、か。くだらないな。くだらないものに拘ってるから、そんなボロ雑巾みたくなるんだ」
「あんたとは何度も話してるが、やっぱりこの話題は合わねえときた。あんただって、曲がりなりにもサツとしての筋があるみてえだってのに」
「筋があったら、お前に対する拷問なんざさっさと止めてたよ。もうこの国のサツは腐り切っちまっている、腐った蜜柑箱とおなじさ。そんな中にいちゃ、俺だって腐っているに違いない」
「どうかねぇ。あんたはまだ、芯までは腐り切ってねえように思えるけどよ。じゃなけりゃあ、あの眼光は出せねえっての」
「買いかぶりはよしてもらおうか。兎にも角にも釈放は釈放だ。さっさと出てって、二度とくるなよ」
「約束はできねえな、どうも俺ってのは短気な性分なんでね」
「もしかして、今回の乱闘もそれでまたキレたまったってえのか? 賭博試合で散々やり合ってるっていうのに、まだやり足りないのかよ」
「……別にそういうわけじゃあねえ。俺だってあんな喧嘩楽しくねえよ。……だけどな、なんとなく……」
なんとなく、訳は知らねえがガキが奴らにボコされてるのを見ちまったら、つい。
「……もういいだろ。俺は行くぜ。釈放っていうんなら、いつまでもここでくっちゃべってるのも迷惑だろうしな」
そう返すや、よっとセイマは立ち上がる。熾烈なんて言葉じゃ到底足りない仕打ちを受けたというのに、どこか余裕げの面持だ。
実際のところは、一歩踏み出すたびに痛みがひた走るが、この意地っ張りはおくびにすら出しやしない。
どこまでいっても愚か。だが、奴の愚かっぷりはきっともう何を言ったところで治りやしない。それをわかっているからこそ、この髭面はもう文句を垂れることもしなけりゃ、肩を貸すこともしやしない。ただ、幾多の生傷を背負った背中を見送るのみ。
「今度もまた試合するんだろ。非番の時なら見にいってもいいぞ」
「アンタが言うなよ、彼処はアンタらの取締るべき場所だろうがよ」
「腐っちまってる俺らに言ってくれるなよ」
「相も変わらずってか……俺としちゃそうしてくれた方が、アンタと譲れねえものをかけた拳の語り合いができるんだがな」
「テメェの方が相変わらずだな、ホントにそうなっちまったら、俺ぁ容赦しねえぞ?」
「たりめェさ、そうでなきゃ困るぜ旦那」
どこまでも不敵上等。傷だらけの意地っ張りは、そして娑婆へと帰っていく。
これが俺の筋の通し方だ、とでも言わんばかりの歩みぶりだった。
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