二話 かみ合わない邂逅

「白羽さんの家?」

「は、はい。よかったら来ていただけないかなー……なんて思いまして……その……なんですか? わたしたち、付き合ってるわけですし……今日は両親とも帰りが遅いので……」

 長い髪の毛先をくるくるといじりながら、呟くように言う。

 伏し目がちで表情がうかがえないが、耳が赤い。

 断ったら露骨にガッカリしそうだ。

「わかった、行くよ」

「本当ですか!? 」

 彼女はサッとこちらを見上げる。顔が輝いて見えるのは気のせいだろうか。

「あぁ、嘘は言わないよ」




「今日は楽しかったです!」

 玄関先で、白羽さんは幸せそうな笑顔を浮かべている。

 彼女が作ったクッキーを食べて一緒に勉強しただけだが、そんなに良いことだったのだろうか。

「そうか、それは良かった」

 僕は適当に応える。

「もう暗いですから、気をつけてくださいね。では、また明日」

「あぁ、じゃあな」

 彼女はゆっくりと扉を閉める。

 僕はその場を後にした。




 吹き荒ぶ風は冷たく、夕闇に沈む街は陰鬱だ。

 切れそうな街灯が頼りなく道を照らす。人はおろか生き物の気配すらない。


「シニタクナイ……」

 その声は微かに、だが確かに耳に届いた。

 咄嗟に振り返ると、女が立っていた。身に纏う白装束はみすぼらしく汚れ果て、裾は無残にも引き裂かれている。

 僕は、なぜか腰に手を当てて刀の柄に手をかけようとしていた。


 死にたくないシニタクナイしにたくないシニタクナイ死にたくない死にたくないしにたくないシニタクナイシニタクナイ


 無数の叫び声が流れ込んでくる。頭蓋の内に無数の声が反響する。気持ちが悪い。思わず地面に手をつき、吐瀉物を撒き散らす。口に残る不愉快な酸味。

 がゆっくりと近づいて来るのがわかる。

 そこに明白な意思はなく、「生きたい」という強い想いのみが感じられる。

 やつを斬らなくては。斬らなくては?

 何を考えているんだ僕は。逃げなくては。

 逃げないと。足が動かない。気持ちが悪い。頭が割れそうだ。逃げないと。斬らないと。

 胃が再びキュッと縮こまるのを感じる。

 僕はもう一度吐いた。地面に白濁とした液体をぶちまける。

 喉がヒリヒリする。気持ちが悪い。思わずみぞおちを手で押さえる。

 やつはゆっくりと近づいてくる。こちらに手を伸ばす。無数の声がシニタクナイと叫んでいる――



「はっ!」

 透き通るような気合いが、叫び声を切り裂く。

 やつは言葉にならない叫び声を上げ、霧散した。

「君、大丈夫?」

 のばされた手は、綺麗な細い指が特徴的だ。だが、掌にはまめがある。

「あぁ、大丈夫だ」

 手を掴まず、自ら立ち上がった。

 どこかで見覚えのある顔だ。

「あ、二瀬くんじゃん」

「……委員長か」

 学年委員の委員長をしている、戸部舞だった。

 ポニーテールがトレードマークで成績優秀な上に容姿も整っており、溌溂とした性格で皆に慕われている。

 ついでに、下品な男子どもは彼女の胸が大きい点もポイントが高いとかなんとか言ってた気がする。

「二瀬くん、あれだけ取り乱してた割に冷静だね」

 彼女は心底驚いているようで、目が丸くなっている。

 よく見ると、彼女は片手にうすらぼんやりと光るを持っている。おそらくあれでやつを斬ったのだろう。

「なんでだろうな。なんだか初めてじゃない気がするんだよ」

 僕は正直に応える。実際、ぼんやりとした何か――予感のようなものが記憶の底で蠢いた。

「ふぅん……霊に二回も遭遇するなんて運がないのね」

 そう言いながら、彼女はブレザーのポケットから紙切れを取り出した。

「わるいけど、今回のことは忘れてもらうわよ」

 紙切れを真っ直ぐのばした中指と人差し指の間に挟み、僕の額へ近づける。

 紙切れが額に触れた刹那。

 バチッ、という音と共に火花が飛び、紙切れが燃え上がる。

「キャッ」

 彼女は小さく悲鳴を上げ、紙を投げ捨てた。そのまま燃え尽き、灰になる。

「……あなた、何者? 」

 彼女は後ろに飛び退き、薙刀の切っ先をこちらに向ける。

 『それはこちらのセリフだ』と言ってやりたい。が、言ったら叩き切られそうな剣幕なのでやめておいたほうが無難だろう。

「……わからない。僕は、一年以上前の記憶が無いんだ」

 正直に答える。刃の先を突きつけられているのに、不思議と恐怖は無い。

「一年前……」

 ハッとしたような顔をする。

 彼女は矛先をおさめた。

「明日、民間風俗研究室同好会の部屋まで来てちょうだい。あなたとは一度、きちんと話し合う必要があるみたい」

「拒否したら?」

「強引な手段に出ざるを得ないわ。それと、今日のことは他言無用で。例え白羽さんでも喋っちゃダメ。破ったら、強引な手段に訴えるしか無くなる」

 彼女はいつになく真剣な表情でそう告げると、薙刀を携えて街灯のむこうへ消えていった。

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