シーン:集合地点

「足元に気をつけな、嬢ちゃん」


 コツコツ段差をのぼり、エンドウが肩越しにノルヴァを気遣う。

 一方、ノルヴァは呼吸困難寸前だった。

 彼女は今、乙女ゲームの本気をその身に受けている。


 階段の終着には鉄製の扉があり、古びたそれは見るからに重量を感じられた。

 取手を捻って押し開けたエンドウが、差し込む光に目を細める。

 白んだ視界を数度瞬きで散らすと、そこには一面の赤色が広がっていた。


「はへー、従者の兄ちゃんが言ってたのは、この花か……」


 建物の四角い範囲に合わせて咲き乱れる赤い花々に、エンドウが感嘆の声を上げる。

 彼女が扉から手を離したことで、ギィ、錆びた音が尾を引いた。

 ガチャン、鉄扉が鈍く鳴り、元の位置へ戻る。


 赤い花は隙間なく空を向き、そよぐ風に合わせて細い花びらを揺らしていた。

 広げられた手のひらのような形状に、サッとノルヴァの顔色が悪くなる。


「彼岸花……ッ」

「おう? どうした、嬢ちゃん」

「ノルヴァさーん! エンドウさーん!! 見てー!!」


 彼女の小さなつぶやきが、無邪気な声にかき消される。

 にこにこ笑うリズリットは、赤い花畑の真ん中で両手を振っており、彼の白い髪色と相まって、現実感を喪失させていた。

 一本の茎に指をかけたリズリットが、容易く花を手折る。

 鞠のように弧を描く花びらが揺れ、嬉しそうな顔が笑みを深めた。


「これ、ベルくんが探してたやつだ! ねえねえっ、これベルくんにあげたら、喜んでくれるかな!!」

「おう、そうさな。おっさんには花のことはよくわからんが、雅でいいんじゃねぇか?」

「えへへっ、いっぱいあげたら、もっと喜んでくれるかなー!」


 年齢よりも幼い顔で笑うリズリットが、腰を屈めて赤い花を指で千切る。

 エンドウは頭の後ろで手を組み、軽い足取りで花畑へ足を踏み入れていた。

 慌てたノルヴァが、スカートをきゅっと握る。


「そ、その花! 毒があるの!!」

「そうなの? ノルヴァさん」

「ほう、嬢ちゃんは物知りだな」


 振り返ったエンドウが眉をひそめ、リズリットが摘んだ花をまじまじと見上げる。

 ふたりが顔を見合わせ、ノルヴァへ視線を向けた。

 彼女の顔色は悪く、カタカタと小刻みに震えている。


「ひ、彼岸花って、いって、強い毒性があるの……。もしかしたら、エリーたんに使われたのって……」

「王子の兄ちゃんとこに戻るぞ」


 表情から笑みを消したエンドウが足早に扉まで戻り、取手へ手を伸ばす。

 しかし、ガチャンッ、ひねられたそれは重々しい音を立てるだけで、開く様子はなかった。

 エンドウが顔をしかめる。ガタガタ、揺する音が響いた。


「ん? 開かねえぞ?」

「エンドウさん、貸して」


 ひょこりとやってきたリズリットが、エンドウと場所を代わり取手をひねる。

 ガタガタ、動かないそれを彼が蹴りつけた。

 がしゃああん!! 騒々しい音を立てた鉄扉は、びくともしない。


「……開かない。何これ、腹立つ」

「鍵でもかけられちまったか?」


 冷たい鉄扉を撫でるも、鍵穴は見つからない。

 エンドウは首を傾げ、再度ドアノブを揺すった。


 ——鍵をかけられたって、誰に……?

 ノルヴァの顔色が、一層悪くなる。


「はやく帰らないと、花枯れちゃう。ベルくんにあげるのに」

「お前さん、本当歪みねぇなあ……」


 不機嫌そうに頬を膨らませるリズリットが、床に右手をつく。

 青い光がちらばり、湧き上がった水が鉄扉目掛けて飛びかかった。

 しかし、鋭利な水流は扉を濡らすのみで、破壊痕すら残らない。


 ……この建物は、食堂と訓練場を内容している。

 訓練場には傷がつかないよう術式が組まれており、生徒たちがどれだけ暴れようと、壁を汚すことさえできない。

 その術式の影響をこの屋上も引き受けているのか、鉄扉はリズリットの攻撃を容易く受け止めている。


 むむっ! リズリットの眉間に皺が寄った。


「これ、キライ!!」


 苛ついた声が操る水の魔術が、人体であれば切断されていたであろう、えぐい音を立てる。

 けれども扉はひしゃげることなく、彼らの前に立ち塞がっていた。

 ——閉じ込められた。

 誰ともなく、その事実を痛感した。




 *


 リヒトは図書室にいた。

 彼の前には、新聞、機関紙、生徒作成の学園誌など、数多くの紙類が積まれていた。

 彼の碧眼が目的の文字列を求めて、左右に揺れる。

 不意に、眉間に皺を寄せて瞼を下ろした彼は、下がっていた視点を持ち上げた。

 ぐっと伸びをした体勢で、壁時計を確認する。


 ——三時間。


 リヒトが図書室へこもって、それだけの時間が流れていた。

 米神を指先で押さえ、不審そうに顔をしかめる。


 ……ギルたち、さすがに遅すぎじゃないかな?


 合流地点であるはずの図書室に、未だ誰ひとりとして戻ってきていない。

 探しに行こうか。立ち上がったリヒトの腕が、積まれた書類にぶつかった。


「あっ」


 音を立てて雪崩を起こした機関紙が、テーブルの下へと落ちる。

 面倒を働いたと肩を竦め、屈んだリヒトはまとめた書類を床で揃えた。

 不意に落とされた視点が、紙面を滑る。


「…………」


 険しい表情で機関紙を掴み、立ち上がる。

 足早に図書室を後にした彼は、久しぶりの校内を堪能することなく、階段を駆け下りた。


「失礼するよ、フィニール」


 横開きの扉を滑らせ、リヒトが保健室に顔を出す。

 銀髪の保健医は窓際におり、物憂げに磨りガラスの向こうへ視線を向けていた。


「……怪我ですか? 体調不良ですか?」

「聞きたいことがある。質問に答えてほしい」


 険のこもったリヒトの声にもどこ吹く風。

 フィニールは銀フレームの眼鏡を押し上げ、無表情に遠くを見詰めていた。


 ますます眉を寄せたリヒトが、ぴしゃりと扉を閉じる。

 はたと瞬いた銀の睫毛が、ようやく少年へ向けられた。


「質問いち、校内に怪談をばらまいた動機」

「さて、何の話でしょうか」

「質問に、エリーに毒を飲ませた意図。質問さん、学園でなにを栽培してるのか」


 矢継ぎ早の質問は断定的で、言葉の端々に攻撃的な色が見える。

 フィニールは呆れたように眼鏡を押し上げ、質問の終わりを待った。


「質問よん、ベルになにしたの? 質問ご、……あなたは誰?」


 リヒトが掲げた機関紙には、『新任の先生の紹介!』手書きの見出し文が踊っていた。

 丸い文字を縁取ったそれの下に貼りつけられた、モノクロの写真。

 見知った教員たちの、現在より少し若い姿を写したそれは集合写真で、そこに銀髪の保健医の姿はなかった。

『保健の先生 レーヴェ・フィニール』

 彼の名前のみが印字されている。


「写真に映っている人数と、名前の数は同じ。つまり、この中にいるのはあなたではなく、『本物の保健医』だ」

「言いがかりではないでしょうか? たかが写真一枚で、偽物呼ばわりなんて」


 薄らと笑みを浮かべるフィニールへ、リヒトが左手を上げた。

 煌めいた光が数多に瞬き、青年目掛けて一斉に照射される。

 弾き飛ばされた椅子が破壊音を上げて砕け、棚を、ベッドを抉ったそれが、真っ白に視界を奪った。

 光が落ち着き、明度を戻した頃、攻撃の中央にいたフィニールは、変わることなくその場に佇んでいた。

 ゆったりとした仕草で眼鏡を押し上げ、呆れたような息をついている。

 リヒトの眼光が鋭くなった。


「……いい加減名乗ったらどうですか、……セドリック兄上」

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