シーン:階段

「まず、場所が確定してんのが『雨の降る階段』だろ」


 乱雑に頭をかいたギルベルトが、ピンと人差し指を伸ばす。

 廊下を歩く彼の後ろには、ギルベルトの従者であるユージーンと、青ざめた顔のノエルが続いていた。


「ベルナルドが倒れたとき、お前とあいつとリズリットが雨の音を聞いている」

「……まさかティンダーリアくん、それで俺のこと連れてきましたか?」

「あったりまえだろ? 俺はとっとと証拠を集めて、エリーをいじめた犯人を血祭りにあげる!!」


 歪みない大声が、静かな階段に反響する。

 すかさずユージーンが「授業中ですよ」と慌てた。

 ギルベルトが、やべっといった顔で口を噤む。げほん、咳払いがされた。


「今わかってる七不思議についてだが、『わらう絵画』は意味がわからん。見たら正気を失うそうだが、ものの指定がない」

「俺からしたら、オカルト全て意味わかんないですよ……」

「同様に、殺意満点な『異次元の鏡』も、鏡の設置枚数に対して場所の指定がない。調査は後回しだ」


 踊り場に飾られた人物画を指差し、ギルベルトが階段を降りる。

 ノエルの顔色は一層悪く、一瞥たりとて絵画へ視線を向けることはなかった。


「『トイレのメアリー』は、アルバートもいっていたが、名前からして女子トイレの怪異だ。俺たちに調査は無理だな」

「今、自分の性別に心から感謝しました」


 肩まで手をあげ、ため息をつくギルベルトに対し、ノエルが安堵に胸を撫で下ろす。

 彼の血色が若干よくなった。


「『死者の花畑』は屋上にあるらしいからな。リズリットたちにはここを調べてもらっている」

「いかにもなネーミングセンスですね。名付け親の元に、毎日馬糞を置いてやる……」

「いい肥料になりそうだな」


 恨みがましい声音でノエルが呪詛をつぶやき、ギルベルトが肩を竦める。

 彼の足が、階段の終着へたどり着いた。

 階段の裏にこじんまりとしたロッカーを置いたそこに、少年がふむ、腕を組む。


「『走る影人間』と最後のひとつもわからんからな。ひとまず雨音のしたこの周辺を調べるぞ!」

「あああああッ確かに調べ尽くさないと気が済まないといいましたよ!? でもだからって、誰が怪談詰め合わせパックを頼みましたか!? 俺の許容量考えてくれてます!? そんなんだからデリカシーがないって王女様にいじめられるんですよ、ティンダーリアくん!!!!!!」

「なっ、俺はエリーにいじめられてなんかないぞ!?!?!?!?」


 頭を抱えたノエルが叫び、ギルベルトが全力の声量で言い返す。

 突然くわんと響いた彼らの大声に、ユージーンは慌てた。

 おろおろとふたりの間に入り、わたわたと両手をあげる。


「お、おふたりとも、今は授業中で……!」

「大体!! こういう調査ってオレンジバレー先輩が適役じゃないですか!? 先輩はどこに行ったんです!? 先輩に会わせてください!!!!」

「大丈夫だ!! 俺とお前でも仲良くやれる!!!!!!」

「それ、俺が権力欲しがってたときに言ってもらいたかったセリフ堂々1位ですからね!? 今聞いても何ひとつうれしくありませんよ!!」


 ぎゃあぎゃあ騒ぐ彼らに、ユージーンが困り果てる。

 おっとりとした天然気質の彼は、荒事の対処が苦手だった。

 今に職員が駆けつけ、注意が飛びそうな状況に、従者が冷や汗をかく。

 忙しなく周囲を見回していた彼が、一瞬でその顔色を悪くさせた。

 慌てた様子で主人であるギルベルトの腕を引き、後ろへ突き飛ばす。


「おわ!? 何だどうした、ユージーン!?」

「ぎ、ギルベルト様! お逃げください!!」

「は?」


 ノエルとの口論を中断したギルベルトが、ユージーンの身構える方へ顔を向ける。

 怒声が静まったことで、さらさら、雨の音が聞こえた。彼らが目を瞠る。


 階段下の奥まった暗がりに、ロッカーがある。

 彼らはその手前で騒いでいた。

 そんな彼らを覗き込むように、のっぺりとした真っ黒な影が、ロッカーと壁との隙間から顔を伸ばしている。

 ノエルが即座に周囲を見回した。

 彼が確認した人影は、自分と、ギルベルトと、ユージーンの三人だけだった。

 ——では、このロッカーから伸びた影は、誰のものなのか?

 ひっ、彼が呼吸を失敗したような声を上げた。


 ずるり、壁に張りつく影が動く。

 丸い頭部が、首が、肩幅が、いやにはっきりと彼らの前へと現れた。

 持ち上げられた手の五指まで鮮明に、伸ばされる様が見て取れる。


 唖然としているギルベルトと、真っ青に震え上がるノエルへ、ユージーンが声を張り上げた。


「お逃げくださいッ!!」

「っ、ユージーン!?」

「うわああッなにやってんですか、ティンダーリアくん!! とっとと走ってください!!!」


 ノエルがギルベルトの手首を掴み、もつれる脚を無視して駆け出す。

 肩越しに振り返った主人の目に、コマ送りのようにぎこちない動作で従者に迫る影が映った。


 ……ティンダーリア家の従者であるユージーンは、コード家で育ったベルナルドやアーリアと違い、戦闘をしない一般的な従者である。

 よって彼は、迫りくる怪異に対抗する手段を持たなかった。


 通せんぼのように両腕を広げたユージーンが、ぎゅっと瞼と閉じる。

 大袈裟なほど震える彼の身体に、影が重なった。

 かくん、支えを失ったかのように崩れ落ちたユージーンが、床に倒れたまま動かなくなる。

 琥珀色の目を見開いたギルベルトが、従者の元へ駆け寄ろうと身をよじった。


「ユージーン!!」

「前見て走ってください!! あんた特に捕まっちゃダメな人なんですから!!」


 ノエルがギルベルトの腕を掴み直し、直線の廊下を走る。

 階段下から現れた人型の影は、切り抜き写真を重ねたかのような不自然さをともなって、廊下の真ん中に立っていた。

 真っ黒な影が動く。

 動作と動作の間に空白の違和感を残し、それが走るストロークを描いた。


「はちゃめちゃに速いな!?」

「ああああああもおおおおおおおおおッ!!!!! ティンダーリアくんのバカ!! 運動おんちいいいいいいいいい!!!!!」

「純粋に悪口だからな、それ!!!」


 音もなく駆けるコマ送りが、瞬きごとにふたりに迫る。

 泣き言を叫んだノエルがガラス戸を押し開け、校舎の外へと飛び出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る