04

「対立がきみに見えたことは話したよね? 自分でも笑ってしまうのだけど、本物と偽者の区別は、すぐについたんだよ」


 自虐の混じるリヒト様の言葉に、無言でお話を促す。

 彼が笑みを浮かべた。苦くて複雑な表情だった。


「ベルが絶対に言わないことを言うんだ」

「例えば?」

「『コード家を辞めて、ぼくの従者になる』」


 い、言わないなあー……。

 茶化すにはあまりに空気が重たくて、曖昧な顔を作ってしまう。

 自嘲した彼が、くしゃりと前髪を鳴らした。


「相手はぼくの願望を喋っていただけなのにね。段々、偽者に対してむかついちゃって。

 ベルはそんなこと言わないって思ったら、根絶やしにしたくなっちゃった」

「一足飛びでジェノサイドじゃないですか」

「壊すだけなら、得意だから」


 悲しげに微笑んだリヒト様が俯く。

 開かれた両手が握り締められた。


「だから、きみを傷つけたのは、ぼくなんだよ」

「……誤魔化せなくて、残念です」

「ありがとう、気遣ってくれて。ベルはもっと自分のことを大切にしてね」


 ふたつめはね、彼が続ける。

 お行儀悪く、ソファの上で膝を抱えていらっしゃった。


「きみが第二階層へ落ちたとき、探しに行こうとしたんだ」

「その節は大変なご迷惑をおかけしました!!」

「いいんだよ、不測の事態だし。……でもね、ぼくは階段を下りられなかったんだ」


 遠くを見詰めるリヒト様を見遣る。

 光に透ける長い睫毛が、徐にこちらを向いた。


「ベルは、王族の魔術の傾向について、知ってる? 天使の名前を継承した血筋はね、光か闇の攻撃型しか生まれないんだ」

「何故でしょうか?」

「対立戦で使うための道具だからだよ。四属性と比べて、光と闇は独立した特性を持っているでしょう? 人が本能的に畏敬するもの。

 ぼくやエリーの魔術の威力がおかしいのも、そういったものとして作られているからなんだ」


 またそんな滑らかに自虐的なこと言って……!


 口を挟もうと呼吸するも、息継ぎしたリヒト様の方が早かった。

 やんわり、彼が微苦笑を浮かべる。


「陛下は王妃殿下を心から愛していらっしゃるけれど、お子はセドリック兄上おひとりだけしか設けなかった。

 出産はリスクを伴うものだけど、特に子どもが通常の魔術師よりも、遥かに強い力を持って生まれてくるからね。母体に相当な負荷がかかるんだ」


 ここまでが前置きだよ。彼が微笑み、肩を落とした。


「陛下は王妃殿下を愛していらっしゃる。例え彼女の心が壊れていても、あの人には彼女を解放するつもりがない。

 ……王妃殿下はね、闇の安息型なんだ。そして陛下は光の攻撃型。

 前にも言ったかな。毎日畏怖されて生きているとね、息が詰まるんだ。

 そんな中打算もなく優しくしてくれる人がいたら、ベルならどうする?

 陛下と王妃殿下は、本当に仲睦まじくされていたんだ。殿下はとてもお優しくて、あたたかいお方だった。あの方の周りだけいつも柔らかくて、息がしやすかった」


 以前にジル教官が、光と闇の属性は、朝と夜の関係だと言っていた。

 あのときはよくわからなかったが、今のリヒト様を見ていると、教官が何を示したかったのかがわかる気がする。


 リヒト様は、僕に依存している。

 そして僕も、彼に依存している。


 僕の持て余した奉仕精神を一身に受けているのは、リヒト様だ。

 彼がいなければ、僕は早い段階で駄目になっていた。


 こういうの、何ていうのか知っている。共依存だ。


「きみの傍は居心地がいいんだ。自分の中の欠落したものが埋まるような心地がする。

 ……きっとぼくは、きみに自由を与えられない。ぼくが兄上のスペアな以上、陛下が自分の将来図なんだって、嫌でも自覚した。

 あの階段を下りたら、ぼくはきみに陛下と同じことをする。そう確信してしまったから、下りられなかった」


 やんわりとした笑みは、とても悲しげなものだった。

 知らず、膝に置いた手を固く握る。喉がひりついた。


「ベル、ごめんね。ぼくはきみのことがすきだけど、きみの味方にはなれないみたい」


 彼はきみの嘘を許さないよ。養父の言葉が脳裏で響く。

 導き出される解に辿り着きたくなくて、これまで目を背けてきた不安感を突きつけられた気分だ。

 浅く息をする。

 飲み込みそうな言葉を吐き出した。


「……僕は、リヒト様が思われているほど、きれいな人間ではありません。違えることも、誰かを傷付けることもあります。聖人君子ではありません。ただの、一使用人です」

「知ってるよ。だから大切なんだ」

「僕には、あなたが僕に見ている理想図がわかりません。それに沿う気もありません。もしも僕が違えたとき、あなたはどうされますか?」


 じっと彼の目を見詰める。

 ほんの少しだけ、リヒト様が考える仕草をした。


「そうだな……。ベルにそうさせた外的要因を排除するかな。それか、いっそきみが外界と接触しないように隔離するか」

「すごい、極論!!」

「0か100だよね。中間の考え方って難しいな」


 苦笑を浮かべる彼は、普段と然程変わらない顔をしていた。

 ……きっと、普段と何も変わらないのだろう。

 始点から現時点の比較は相当の差異があるのだろうけれど、毎日は日々の積み重ねだ。

 何かをずらしたまま、重ね続けたのかも知れない。

 極論に達するこれまで、僕はそのずれに気付こうとしなかった。

 ……これは、その清算なのだろうか?


「この執念をミュゼットへ向けられたらよかったんだけど、ミュゼットとぼくは似たもの同士だから。そういう思いにはなれなくてね」

「リヒト様と、お嬢さまが、ですか? そんなに似ていらっしゃいますか?」

「意外かな? 泣き虫なところとか、ちょっぴり意地悪なところとか、そっくりだと思ったんだけど」


 にこり、リヒト様が微笑む。

 その顔は、なんだか寂しそうに見えた。


「でも、ぼくはミュゼットのことを、ずっと羨ましく思っているからなあ。優しい母親と、尊敬出来る父親がいて、信頼出来る侍従にも恵まれて。外へも連れて行ってもらえて、領地では自由に出来て。

 ミュゼットの周りはいつも明るくて楽しそうで、そんな彼女から全てを奪うことが申し訳ないんだ」


 膝を抱え直したリヒト様が、顔を伏せる。

 横髪が表情を覆い隠した。


「ぼくには叶えられない環境が、ミュゼットにはあるから。隣の芝生は青いというけど、ぼくが張り合えるものって、エリーが生意気だけどかわいいよってくらいかな。クラウスは共通の友達だし」


 いいな、ミュゼット。ぽつりとした小さな呟きが、余りに幼い音で胸が詰まった。


「リヒト様は、何故そこまでご自身を否定なさるのでしょう……? あなたはお優しくてかっこよくて、聡明なお方です。そんな愛されるお顔と文武両道の器用さを持ち合わせていて、何故そこまで卑下なさるんですか!?」

「ありがとう。隙を見せられない立場にいるから、努力が認められて嬉しいよ」


 やんわりと微笑まれて、彼の低い自己肯定力に、僕の言葉は届かなかったのだと察する。

 まず考え方に溝がある。

 どうすれば聞いてもらえるのだろう……?


「それに、共通のお友達でもいいじゃないですか! 数に加えてください。みんなそれぞれ、築いてきた関係性が異なります!」

「ベルの所属は?」

「……コード家です」

「そういうこと。何かを捨てなければならなくなったとき、きみの中に最後に残るのは、ぼくじゃない。どれだけぼくが必死に繋ぎとめようとしても、相手は手のひらをすり抜けてしまうんだ」

「僕たち液体じゃないですー! そんな0か1の境界みたいな考え方……!」

「無と有の壁って、大きいよね」


 小さく声を立てて笑ったリヒト様が、穏やかな笑みを浮かべた。

 彼の思想は、また偏っている。


 ……そうか。彼は今まで、ずっとひとりで片付けていたんだ。

 誰かを頼る環境になかった。

 ひとりで延々と考え込む癖が出来ているから、拗れてもそれに気付くことが出来ない。

 明かすこともないから、誰もそれに気付かない。


 お城の人! 殿下のこともっと可愛がって!! もっとお話して!!

 情操教育って大事!!


「リヒト様は、スペアなどでも道具でもありません。僕にとってのあなたは、たったひとりです」

「ありがとう。そういってもらえて、嬉しいよ」

「もー! じゃあ僕も、使用人なんて替えが利く道具って言います! 僕がいなくなっても、新しい従者が補填されます。僕個人の価値は、とても程度の低いものです!」

「どうしてそんなこというの? きみの代わりなんて、誰も務まらないんだよ?」

「そういうところですよ! 何で置き換えたらすぐおわかりになるのに、ご自身の場合になった瞬間ネガティブ爆発するんですかー!」

「ぼくのことはどうでもいい。お願い、ベル。いなくならないで。きみが欠けることが、なによりも恐ろしい」


 固く手首を握られ、真正面から顔を覗き込まれる。

 光の透ける碧眼は真っ直ぐで、彼の選択肢が極端に少ないことを実感させられた。


「いなくなる予定はありません。例え話です」

「……うん」

「リヒト様。僕はあなたのことがだいすきです。あなたは僕を否定しない。僕のわがままに、根気良く付き合ってくださる」


 彼の表情がふわりと綻んだ。

『その他大勢』の代弁は全く通らなかったのに、『僕個人』の言葉はこんなにもすんなりと聞き入れられるのだと、苦しくなる。


 言動には細心の注意を払わなければ。

 迂闊なことを口走ってはならない。


「従者としての存在価値を失えば、僕に生きる意味はありません。お嬢さまと坊っちゃんにお仕えし、尽くすことが僕の最上の喜びです。この生き方以外、僕は知りません。主人のいない、従者でない僕など、無価値です。

 僕にとって、自由は不安です。現状以上の自由など欲しくない。主人のいない時間は空虚です」


 ヒルトンさんが何を謝っていたのかがわかった。

 彼がウサギ男などという強攻策に、何故踏み切ったのかもわかった。


 彼は僕の拗らせた思想に気付いていたんだ。

 そしてそれを形作った自分自身を責めていた。

 手段はどうあれ、養父は僕を生かそうと必死だったんだ。


「僕はあなたに依存しています。……リヒト様。新しく下男を雇っては如何でしょう? 卒業までの残り時間でしたら、僕もお手伝い出来ます」

「聞き入れたくないな」

「では、他の方との交流を、もっと増やしましょう。昨年の収穫祭をお覚えですか? あのとき救いを与えてくれたのは、外部の手です。僕たちふたりだけでは、共倒れでした」


 あのとき、リヒト様を助けたのは、周囲の大人たちだ。

 僕は言うなれば通報しただけに過ぎない。

 僕ひとりの力はその程度で、あとは全て頼れる大人たちが対処してくれた。


「リヒト様は、もっと外部へ目を向けるべきです。意外とみんな優しいものですよ」

「それはベルだからだよ」

「そんなことありません。これでも校舎裏でいじめられていたんですから」

「……誰がそんなことをしたの? 名前教えて」

「忘れました。脅威になりえない存在でしたので」


 一気に剣呑へと変わってしまった空気から、そっと目を背ける。

 手首、ぎしってなってるよ?

 血流止まるやつじゃないかな? こわい……。


「現在の契約上、あなたは僕の主人です。主人の困りごとに、僕は全力で寄り添います。僕の存在があなたの足枷となるのでしたら、そのように対処しましょう。真綿で首を絞められる程度なら平気です。殿下、外へ出ましょう?」

「ベルって、結構ひどいこというんだね」

「この頃よく言われます」


 正確には本日二度目だ。

 手首を引かれ、背に腕が回された。

 精神的に絞められるのと、物理的に締められるの、どちらが楽なのだろう?

 こんな考えが出る辺り、僕は平常ではないのかも知れない。


「きみがぼくの従者なら、こんなに悩まなかったのに」

「もしもの話は、想像力に欠ける僕には難しいです」

「そんなこと、……あれ? ベル、もしかして、熱出てる?」


 密接した距離からがばりと離れられ、リヒト殿下が僕の額に手のひらを添える。

 ひんやりとしていて心地好い。

 返された手の甲を頬に当て、愕然としたお顔から耐えるように肩を震わせた彼が、勢い良く立ち上がった。


 ばたあんッ!! 扉が派手な音を立てる。


「クラーウスッ!! 氷のう持ってきて! ベルがぼくの想像を超えて無茶してた!!」

「何したんすか、殿下!?」

「熱出てる!! なんか涙目だなあって思ってたけど、熱だった!!」

「ああああッ、5分で戻ってきます!」

「3分!!」

「ここ最上階っすわ!!」


 何だ。殿下、僕がとやかく言わなくても、ちゃんと周りを頼れるじゃないか。


 ほっとしたと同時に、ソファの背凭れに体重を預けた。

 何だかぐるぐる回ってる気がする。

 ……ままならないなあ。


 ふと視界の端に、ぬいぐるみが映っていることに気がついた。

 そういえばベッドの下のぬいぐるみ、回収してなかったな。

 あとで持ち主探そう……。


 慌てる殿下を小さく笑う。

「笑いごとじゃないよ! ほら、ベッドに移動して!」切羽詰ったお声に従う前に、瞼が落ちていた。

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