知らない設定

 ずっと考えていることがある。


 ゲーム内のベルナルドは、無口で寡黙なキャラだ。

 表情差分なんて、無表情、服従、困惑、悲痛の4パターンしかないんじゃないかと疑うくらい、表情に乏しかった。


 ちなみに服従の顔は、無表情の目を閉じさせただけしか違いがない。

 瞬きかよ。


 話す声も、物静かというより平坦で、そもそも滅多に喋らない。

 音も気配もなく動くため、ベルナルドを攻略するためには、ヒロインにも忍者になってもらわなければならなかった。


 それだけ本来のベルナルドは影が薄く、非社交的な性格で従属に徹している。

 間違っても僕のようなお気楽能天気ではない。


 そんな明らかに闇を抱えていそうなベルナルドだが、仮にも乙女ゲームの攻略キャラだ。


 これだけ毎日暗い顔をしているのに、スチル絵でふわっと微笑んでみたり、あどけない顔で眠ってみせたりすれば、多少なりともどきりとする。

 何度攻略中、「もっと笑えよ、お前なら出来る!」と思ったか数知れない。


 ……僕に乙女の繊細な心は備わっていなかった。

 風情が壊滅している。


 元々ベルナルド自体が大人しい人物なのだと思っていた。

 けれど、仮に彼の幼少期の性格を、現段階の僕のようなお気楽な子どもに当て嵌めてみたら、どうだろうか?


 ベルナルド視点でゲームの筋書きを辿ってみれば、生々しさに気づいた。



 拾われた当初は割愛する。

 この頃はミュゼットお嬢さまのご両親もご健在。

 後にお嬢さまはリヒト殿下とご婚約され、不安はない。


 次に8歳、星祭りの事件だ。


 お嬢さまが暴漢に襲われ、奥様が帰らぬ人となる。

 ベルナルドから見て、懐いていた先輩のアーリアさんがいなくなり、お嬢さま、奥様をお守り出来なかったことを、心から悔やむだろう。


 これよりコード家には不和が生じ、お嬢さまと旦那様のお心が磨耗する。


 推測だが、ベルナルドに対してお嬢さまからの冷遇もあっただろう。

 ゲーム内のミュゼットお嬢さまは、ベルナルドを完全に服従させていた。

 ストーリーの後半には、ベルナルドくん平気で頬叩かれてたし。

 あっ、今心が痛んだ。


 9歳。

 養子として、アルバート坊っちゃんが迎え入れられる。


 そしてアーリアさん不在のため、お嬢さまの傍仕えはベルナルドが務める。

 恐らく僕がこの状況に立たされたら、塞ぎがちなお嬢さまの御心が休まれるよう、叩かれようが罵られようが、手を尽くすと思う。

 僕の心が重傷になろうとも、その程度でお嬢さまへの信仰心が揺らぐことはない。

 舐めてもらっては困る。


 その上で自覚しているお節介が、坊っちゃんへも向くだろう。

 但しミュゼットお嬢さまは嫉妬心が強くなっているため、ベルナルドの勝手な干渉を快く思わない。

 結果として孤立する坊っちゃんに対し、ベルナルドは手をこまねく。


 そして坊っちゃんは、気まぐれに与えられるお嬢さまからの干渉に依存する。

 歪な義姉弟愛の完成だ。


 10歳。

 リズリット様の件に、恐らくコード家は関わっていない。

 なのでクラウス様が疲弊した後、ウサギ男が現れたとする。


 星祭りの件もあり、ベルナルドは決死の思いでお嬢さまをお守りするだろう。

 それこそ刺し違えてでも。

 二度と失態を犯せない。

 何としてでもウサギ男の息の根を止めようと足掻く。

 僕のように、あっさりと負けたりしない。


 もしここで、ベルナルドがウサギ男を仕留めたと仮定する。

 ウサギの被り物を剥いだ中から現れるのは、絶命したヒルトンさんだ。


 ……僕なら、耐えられない。

 初めて奪った命が自分の養父だなんて、考えただけで気が触れそうになる。


 もしもそんな場面に遭遇してしまったら?


 僕ならウサギの被り物を処分して、「ヒルトンさんが不審者と交戦し、殺されてしまった」と証言するだろう。

 自分で奪った命の重さに耐え切れそうもない。

 ヒルトンさんがお嬢さまを襲撃した事実も理解出来ない。


 それなら「不審者」という、いもしない存在に罪を着せて、愛する養父を失ったことにしたい。


 現実から目を背けたい。

 知らなかった、中に養父がいただなんて知らなかった。

 ……そう訴えるだろう。


 ベルナルドにとって、ウサギ男は禁句となる。

 公爵家にとっても、執事が不審者に殺害されたとあっては、権威に関わる。

 彼等の口から、ウサギ男の存在は消え去る。


 こうして完成されたのが、感情を削ぎ落としたベルナルドか。


 こわっ!! 殺さなくて良かった!

 いや良くないけど、改めてぞっとした!!



 ひとごとではないのだと、現実が我が身に降りかかっているのだと、自覚した瞬間、心臓を冷たい手で握り締められる錯覚に陥った。

 混在する仮定と現実。

 本来あるべき筋道と、蛇行した現在とに呼吸が狭まり、急速に不安感を抱く。


 ――もしかすると今までの出来事は全て夢で、本当はアーリアさんも奥様もいなくて、坊っちゃんと旦那様は不仲で、お嬢さまに手を上げられるのかも知れない。


 咄嗟に部屋を抜け出し、暗い廊下を走る。

 窓から覗く月は細い細い三日月で、嘲笑うかのようなそれに、シャツの胸元を掴んだ。

 ノックもなく向かったのはヒルトンさんのお部屋で、夜遅くまで書類と向き合っていた彼が、驚いたように顔を上げた。


「こんな夜更けにどうしたんだね? ベルナルド」

「……ッ」


 椅子から立ち上がったヒルトンさんが、僕の目線まで腰を折って、頭を撫でる。

 荒い呼気のままその手を掴んだ。


 動いている。温かい。

 ……空想じゃない。


 呆然としている僕に、困ったような笑みを浮かべ、彼が背筋を正した。

 通り過ぎる優雅な足運びを、慌てて服を掴んで引き止める。


「何か温かい飲みものを作ってこよう」

「いい、です」

「怖い夢でも見たのかね? 顔が真っ青だ」


 震える僕の右手を見下ろし、ヒルトンさんが眉尻を下げる。

 抱き上げられた身体はあっさりと宙に浮き、ソファに座った彼の膝の間へと下ろされた。


「……お仕事、してたのに、ごめんなさい」

「構わない。終わったところだ」


 緩くお腹の前で組まれた、皺の目立つ大きな手に視線を固定する。

 じんわりと背中からしみる、あたたかな他人の体温に、曖昧になった境界線が分離していくのがわかった。

 時間帯のせいで他の人の部屋を回ることは憚られるが、明日確認しようと思えるまで心情が回復する。

 ほっと息をついた僕に、頭上の吐息が笑った。


「おばけでも見たのかね?」

「……そう、みたいです」

「そうか。私も是非一度お目に掛かりたいものだ」


 くつくつ笑う老紳士が、眠りに誘うように僕のお腹をとんとん叩く。

 そんな幼子にするみたいなこと……。

 羞恥心から彼の手を握って止めると、ますます笑みが深まった。


「落ち着いたのなら、もう寝なさい」

「……ヒルトンさん」

「何かね?」


 ぎゅっと握った皺だらけの手。

 僕の首を絞め、同時に優しく撫でてくれる手。

 両極端なそれを片手に閉じ込め、分離出来ない思いを口にした。


「お嬢さまを危険な目に遭わせたあなたを、僕は許せません」

「うん」

「僕のことからかいますし、意地悪ですし、いつも試すようににやにやしてますし。このやろうと思ったことなんて、一度や二度ではありません。……ですけど、」


 頭上で微かな笑い声が聞こえる。


 変質していく毎日は、綱渡りのようだ。

 ともすれば、いとも容易く踏み外してしまう。

 正解がゲームのシナリオ通りなのだとしたら、この温もりは既に失われている。

 正解を辿れば、お嬢さまに不幸が訪れてしまう。


 はじめはお嬢さまだけで良かった回避も、日々に愛着が生まれると同時に、守りたいものが増えていった。

 思いだけが先行するのに、僕の手はこんなにも小さい。


「そんなヒルトンさんですけど、……あなたがおとうさんで、本当に、嬉しいんです」

「…………」


 正反対の感情はちぐはぐで、どう扱えばいいのかわからない。

 不安に駆られ、真っ先に頼った先は養父だった。

 例え普段どれだけ意地悪されようとも、彼しか頼れなかった。

 真実を共有しているのは、彼しかいなかった。


 ヒルトンさんの片手が僕の目許を覆い、緩く抱き締められる。

 暗くなった視界に頭を振るも、その手は離されなかった。

 か細く彼の名前を呼ぶ。


「君は純粋だ。無垢とも言う。それは魅力のひとつだが、ひどく脆く出来ている」

「またなぞなぞですか?」

「かも知れないね。……ありがとう。思いつきで君を養子にしたが、私は良い息子を持った」

「!」


 暗闇の中でヒルトンさんの声が聞こえる。

 穏やかなそれは、笑みが混じっていた。


「もう寝なさい。睡眠不足は、余計に悪いことを考えるよ」


 それきりヒルトンさんは口を噤み、再びとんとんと僕の身体を叩いた。

 背中に感じる温もりと心音。

 秒針の跳ねる音だけが暗い視界に響き、いつの間にか眠っていた僕は、翌朝自室で目を覚ました。


 昨日の行動は夢だったのか?

 疑いながら身繕いを整え部屋を出ると、にこにこ笑顔のヒルトンさん、寝起きの悪い坊っちゃん。

 アーリアさんお勧めのリボンに、ご機嫌なお嬢さまと、いつもの日常が待っていた。

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