無口な皿

 一口食べたサンドイッチが腕ごと動かされ、坊っちゃんがそれにかぶりつく。

 そのまま解放されるまで静止していると、唖然とした顔で、リヒト殿下とクラウス様がこちらを見ていることに気がついた。


 ……あー、すっかり忘れてた。

 ここ、王都だった。


 すっかり慣れてしまった環境に、思わず遠くを見詰めてしまう。

 殿下が苦笑を浮かべながら口を開いた。


「中々パンチのある光景だね」

「殿下の口から、パンチなんて単語が出るとは思いませんでした」

「うん、ぼくも驚いてる」


 物凄く言葉を選んだのだろう。

 あののほほん殿下が、発言内容を長考している。


 ふと腕が解放され、ほとんどなくなったサンドイッチを返された。

 あとこのくらい食べません? 振り返り坊っちゃんに提案する。

 食べにくい……小さな声で返された。


 指が邪魔なんですね。

 彼の口に残った分を放り込む。むぐむぐ動く頬に安堵した。


 しかしリヒト殿下とクラウス様のご様子に、お嬢さまが困り顔をされてらっしゃる。

 何と説明したものか、そんなお顔ですね。



 王都にある別邸にて、いつものお庭でお昼にしていると、今期の主役であるリヒト殿下とクラウス様が遊びに来られた。


 この方々、近々誕生日を迎えられるのだ。


 クラウス様が今月生まれで、リヒト殿下は来月ご生誕祭を迎えられる。

 名称が物々しくてこわい。

 この人王族なんだと、しみじみ思う。


 その誕生会の招待状を、お二人とも毎年律儀に送ってくれる。

 そのため、空気に寒さが混じりだしたこの時期は、こうして王都に滞在している次第だ。


 手紙のやり取りは続けていたが、やはり目で見る違いは大いにある。


 お二人とも実際にアルバート坊っちゃんとお会いするのは初めてだし、活動的になられたお嬢さまに驚かれた。

そして、身長の伸びた僕に驚いたりとされていた。


 ふふん、また一段と伸びたクラウス様にはまだまだ届きませんが、殿下とはいい勝負になりましたからね!

 これでちびっ子扱いともおさらばですよ!



 さて、僕たちは昼食をとっていた。

 新たに増えた客人にもサンドイッチを勧めながら、僕もサンドイッチに手をつける。

 一口かじったところで横へ動かされる腕にも慣れたもので、けれどもこれは屋敷内での常識だった。


 何と説明したものか……。

内心頭を抱える。

 お二人とも懐の広いお方だから、説明すればわかってもらえるだろう。


 しかし僕もお嬢さまも、坊っちゃんが何故このような方法を取っているのか、原因を知らない。


「……少し、長くなりますが」


 僕のすぐ隣に座る坊っちゃんが、ぽつりと言葉を落とす。

 テーブルを囲んだ面々は一様にきょとんとした顔で、まじまじと坊っちゃんへ視線を向けていた。

「アル?」お嬢さまが首を傾げる。


「食事中に話す内容では、ありません。でも、今なら言えると思う。ベルナルドに、……周りに沢山迷惑をかけているので、ちゃんと説明したい」

「えっと……、続けて?」


 名指しですか?

 動揺に疑問符が大量に並ぶが、覗き込んだ坊っちゃんの顔には淡い笑みが浮かべられていた。

 出会った当初よりも遥かに顔色の良くなったそれに、内心ほっとする。


 殿下の促しを受け、ぽつぽつ、坊っちゃんが話し始めた。


「……母が亡くなって、父親を名乗る人物に連れて行かれました。『新しい母親』は、殺したいほど僕を憎んでいたようで、毎日洗剤入りのスープを持ってきました」

「それって……」


 さっと皆の顔色が悪くなる。

 やんわりと微笑んだ坊っちゃんは僕等に構わず、教科書の朗読のように淡々と続きを口にされた。


「無理矢理食べさせられて、毎日吐きました。それから食べものが『食べられるもの』に見えなくなりました。

 ……今は、ベルナルドが食べたものだけ、食べものに見えます。皿に載っているそれらは、僕には食べものに見えない」


 視線で卓上のサンドイッチを指し、坊っちゃんが緩く首を横に振る。


「練習はしているのだが……」

 自嘲とともに吐き出された言葉は、フォークを持つところから始めている。

 ひとりで触れた銀食器は、震えて床へ落ちることが多い。


「なあ、それ、コード卿は知ってるのか?」

「ご存知です。執事の人と、義姉さんの母親も。だからあの人は、不用意に僕に近付かない」


 クラウス様の質問に、坊っちゃんが頷く。


 彼はいつも、旦那様のことを「義姉さんの父親」、奥様のことを「義姉さんの母親」と呼ぶ。

 壁のような線引きに大人が介入しなかったのは、このような事情があったとは。


 坊っちゃんの語った内容は衝撃を受けるものばかりで、お嬢さまに至っては両手で口を塞いで涙目になられていた。

 クラウス様とリヒト殿下が、難しい顔で沈黙する。

 震える声で隣を窺った。


「……えっ、初耳なんですけど……?」

「『今なら言える』と言った。僕も初めて喋った」

「坊ちゃま、その者たちのお名前はご存知ですか? ご命令をいただければ、直ぐにでもお話に参ります」

「アーリアさん!? その『お話』の読み方は『消す』で合ってますか!?」

「無論です」


 淡々、控えていたアーリアさんが影のように坊っちゃんの後ろに立つ。

 静かな声には、目に見えない圧が加わっていた。

 坊っちゃんが小さく首を横に振る。


「顔は見たら思い出せる。名前は知らない。それどころではなかった」

「畏まりました。坊ちゃまにそのようなご負担はおかけしません」

「アーリアさん!? 『秘密裏に調べ上げて吊るし上げる』としか聞こえないんですけど!?」

「ベルナルド、あなたの成長を喜ばしく思います」

「ひえっ」


 今の意訳は「今日を命日にしたいのか?」だ。間違いなくそうだ。


 青褪めて口を噤んだ僕を苦笑い、立ち上がったクラウス様が僕の頭をぽんぽん叩く。

 声無き悲鳴に隣を見れば、頭をわしわし撫でられている坊っちゃんがいらっしゃった。


 驚いたように、クラウス様から逃れようとしている。


「なんつーか、……助かって良かったな」

「なにっ、は、離せ……ッ!!」

「ははっ、元気元気!」


 爽やかに笑ったクラウス様が両手を上げる。

 乱れた髪を押さえた坊っちゃんが、威嚇するようにフーフー唸った。


 基本的に人見知り……人間不信なんだよなあ、坊っちゃん。

 僕自身の頭は放置して、坊っちゃんの髪をちょいちょい整える。


「事情はわかった。……けど、ベルは15歳になったら寮生になるから、それまでに何か対策立てないとね」


 リヒト殿下の難しそうなお顔に、一同がそちらへ顔を向ける。


 ……そうか、そうだった。

 僕、あの魔窟に行かないといけなかったんだ。


 勿論お嬢さまの今後を忘れた日など一日もないけど、重要なことを忘れていた!


 坊っちゃんも攻略対象である以上、必ず魔術は発現する。

 現時点でその兆候は見えないが、学園へは確実に入学するだろう。

 ……一年後輩として。


 うわっ、一年間の坊っちゃんのお食事どうしよう!

 ようやくここまで回復したのに!


 顔色を悪くさせた僕とお嬢さまが、坊っちゃんを凝視する。

 坊っちゃんは考え込むように唇に手を当て、小刻みに震えていらっしゃった。

 ……振動がこちらまで伝わってきそうだ。


 まさかここまでの反応をされるとは思っていなかったらしい、リヒト殿下が焦った顔をしている。


「え、えっと、まだ入学まで時間あるし! 大丈夫だよ、余裕余裕!」

「料理! アルが自分で料理してみたらどうかしら!?」

「それだ!!」


 お嬢さまの提案に、リヒト殿下がテーブルを叩いて身を乗り出す。

 瞬間、僕と坊っちゃんの表情が暗くなった。


「既に……試してあります……」

「あっ、芳しくない感じ?」

「辛うじて野菜サンド」

「あっ」


 全てを察したとばかりに、皆さんの表情が沈まれる。


 混ぜる、煮込む、の工程が禁じ手である以上、調理方法もレシピの種類も狭まる。

 いや、徐々に増やそう!

 やれる! 大人の力を借りて、少しずつ歩み寄ろう!


 労わりにわしわし撫でられる頭を、坊っちゃんは今度は振り払わなかった。

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