帰宅当日、午の刻のこと

 しかし、にわかには信じがたい話である。


「お前、本当にイルヴァたんなのか?」

「ぱぽ!」


 吾輩の頭の上に乗った白毛玉は、機嫌が良いのか悪いのかぴょこぴょこと跳び跳ねている。落ちるなよ? 固定してないんだからな。


 信じがたい、というのは、イルヴァたんは一応、勇者なのである。呪いの類にかからないことでお馴染みの。

 ――え? 馴染んでない? 何? 勇者でも呪いくらいバシバシかかる? いや、そっちの世界ではそうかもしれんがな? こっちの世界では――って、吾輩は一体誰と会話しているのだ。怖い。


 まぁとにかくである。

 かからなかったのだ、記録によれば。

 長い長い勇者達の戦いの中で、歴代魔王――これはほぼほぼ親類縁者と言い換えられる――はありとあらゆる手を使って彼らを葬ってきた。

 その中には呪術を得意とする者もいて、先手必勝とばかりに城中に呪いを張り巡らして迎え撃った魔王もいたのである。結果はまぁお察しの通りだ。それが成功していれば、恐らく吾輩はまだ前線でバリバリ戦っていただろう。


 勇者は呪いにかからない。


 それが第58代魔王の最期の言葉だったそうだ。


 だから吾輩は――というか、59代目から、呪いについての研究はほぼされなくなった。一応、使える力は備わっているものの、それを研鑽しようとする者はいなくなったのである。ただ、対勇者でなければ有効なので、例えばどこかの村を丸ごと、であるとか、どうしても隠しておきたい祠に、みたいな使い方をする者はチラホラいたが。


 ちなみに、吾輩が歩いているのは城の廊下である。

 とりあえず図書室へと向かっているところだ。

 エキドナの話によれば、イルヴァたんは彼女にその本を見せた後、「ちょっとやってみる!」と言って、図書室にこもってしまったのだという。ずっと吾輩の寝室におこもりしていたからか、イルヴァたんは案外インドア派なのである。日の光は朝浴びればそれで良いらしい。たまにお出掛けしたいと騒ぐが。


 何かそこに手掛かりがあるかもしれない。


「なぁ、白毛玉よ」


 そう呼び掛ける。これがもし真実イルヴァたんならば、なぜ名前で呼ばないのだと怒られるのだが、違ったら違ったで問題なのだ。すなわち、「ちょっと、別の女(これ女なの?)と間違えないでよね!」という。怒られる。こっちの方が間違いなく。


「もし仮にお前がイルヴァたんだと仮定して、だが」


 図書室の前で立ち止まる。白毛玉は依然としてぴょこぴょこと跳ねていたが、吾輩の声が届いたのか、ぴたりとその動きを止めた。


「どうしてそんな姿になってしまったのだ。何がしたかったのだ」


 しかし、応えはない。

 あったとしてもどうせぱぽぱぽしかしゃべらないのだろうが。


 これがもしただの呪いなのだとすれば、解けば良いのだ。そうして、元の姿に戻ったイルヴァたんに聞けばわかる。けれども、それをして良いのだろうか。


 エキドナの話をまるっと信じるならば、この呪いは彼女自身が望んだことなのだ。まぁ、もしかしたらこの姿については想定外かもしれないが。


 ただ、いずれにしても、イルヴァたんは『魔物』になりたかったということなのである。

 

 なぜ? 

 何のために?


 確かに昔、死んだら魔族コッチ側に産まれ変わるからよろしくって言ってたっけ。でもそれは人間の体制に嫌気が差したから移住したい、というのが理由だったから、コッチ側にやって来たいま、それは叶ったことになる。だからもうその必要はないはずなのだ。


 ドアノブに手をかけ、ごくりと唾を飲む。

 図書室とはいっても、中は広く、あるのはもちろん本棚だけではない。椅子テーブルはもちろんのこと、何代か前の魔王の希望で簡単なキッチンやら風呂トイレも備え付けられている。


 夫婦喧嘩をした時の避難場所だったり、新作料理を試してみたり、それから、今回のようにちょっとした研究などが出来るようになっているのだ。


 だからきっと、痕跡が残っているはずだ。


 書物はもちろんのこと、例えば余った素材やら何やらが散乱しているだろう。それらを回収することが出来れば。


 がちゃり、とドアを開ける。

 諸々の理由で窓がないため、室内は真っ暗である。ぱん、と両手を打ち鳴らせば、それに反応して魔力を封じ込めたガラス玉がふわりと発光した。


「――む?」


 室内はきれいに片付けられていた。

 図書スペースはもちろん、その隣にある多目的ルームに至るまで。床はぴかぴかに磨きあげられ、塵ひとつない。


「現場はここじゃないのか……?」


 キョロキョロと辺りを見回してみるも、やはりここではないようである。もう何なら業者が入ってったのかなっていうくらいきれいなのだ。


「あら、魔王様」


 柱の影から現れたのは、何やら見慣れない服を着たエキドナである。真っ白い……作業服、というか……。


 何だ、もう何やら嫌な予感しかしないが。


「おぉ、エキドナ。ここで何をしている」

「何を、って。王妃様が色々散らかしちゃっていたので、クリーニングを」

「何?」

「わたくし、ここで働く前は特殊清掃会社に勤めておりまして。こういう系の掃除は大得意なのです。見てください、この新築かと見紛うほどの輝き! 塵ひとつ、髪の毛1本、指紋血痕匂いすら消してみせましょう! こちら『エキドナお掃除代行会社』! 内線番号093の2525! オクサンニコニコ! オクサンニコニコと覚えてください!」

「おまっ……! いつの間に会社を……!!? じゃなくて! お、おのれエキドナ!」

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