侵入!? 噂のトゲトゲ!

「――ぶへぇっくしょぉいっ!」


 吾輩のベッドの上で本を読んでいた先生が派手なくしゃみをした。唾やら何やらが飛んだらしく、ページを袖でごしごしと拭っている。


「風邪か、先生」

「いやー、どうだろ。こんな快適空間で風邪なんか引くかなぁ。まぁ、魔王君が菌的なものを持ち込んだんならわかるけど」

「また吾輩のせいにする」

「ふへへ。だってそれしか考えらんないじゃん? ここ、窓も開かないしさ」

「仕方あるまい、この部屋の外は危険なんだから」

「だよね~。でもまぁ大丈夫。これは風邪じゃないな。きっと誰かがあたしのこと噂してるんだよ」

「噂? 人間は誰かに噂をされるとくしゃみが出るのか」

「そうだよ。噂っていうのはね、実はこんっっっなちっちゃーなトゲトゲの塊でね。目には見えないんだけど」

 

 そう言いながら先生は、右手の人差し指と親指を触れるか触れないかというところまでくっつけた。それを顔の前に近付け、そのわずかな隙間からこちらを覗くように目を細めている。


「ほう」

「で、噂の相手の鼻の中にするって入っていくわけ。それで、くしゃみが出るって寸法よ」

「何と! この鉄壁の我が寝室に易々と侵入するとは! やるな! 噂のトゲトゲ!」

「すごいよね~。壁とかマジ無視だからね」

「むむぅ、これはゆゆしき事態……。これでは完璧とは言えぬではないか。至急、そのトゲトゲ対策をせねば。――おい、吾輩だ。研究主任はおるか」


 それが例え小さな綻びだったとしても、見過ごすわけにはいかない。こういう小さなことの積み重ねが大事なのだ。早速内線を研究主任のもとへと繋ぐ。


「うむ。そうだ。人間のみに作用する、というトゲトゲの物質だ。今後我々の身体に影響を及ぼさんとも限らんからな。いずれにしても、この鉄壁の我が寝室にも侵入出来るとは……え? なぜそれがわかったかだと? ぐむむ……、細かいことは気にするな! 吾輩にはわかるのだ! とにかく、実地調査に行け! 経費は好きなだけ使って構わん。吾輩の名で領収書を切って良い。但し書きは『研究費』でな」


 危ない危ない。危うくここに元勇者を匿っていることがバレてしまうところだった。あの主任め、なかなか抜け目ないな。よし、もう少し給料を上げてやろう。


 これで良し、と受話器を置き、元勇者の先生を見ると、彼女はベッドの上で足をばたつかせて笑っている。一体どうしたというのか。


「何がおかしいのだ、先生よ」

「ん~? べっつにぃ。魔王君は実に真面目でよろしいなぁ」

「不真面目で魔王が務まるものか」

「そうだね。そのとおりです、マジで」


 先生はそう言うと再び本を読み始めた。

 彼女は一応吾輩の先生であるわけだが、それと同時に生徒でもあるらしく、我々の言葉を学ぶのだといって、日がな一日本を読んで勉強しているのである。子ども向けのものであればもう辞書を引かずとも読めるらしい。言動はややふざけたところがあるが、彼女も基本は真面目だ。


 ジリリリリリ……とアラームが鳴った。


「おう、これは……」

「あらら、もしかしてってヤツ?」

「そのようだ。悪いが先生……」

「わかってるよ。隠れてれば良い?」

「そうだ、すまんな」

「良いよ良いよ。そんじゃとりあえず、ベッドに潜るかなー。あはは、魔王君の匂いがするー」

「かっ、嗅ぐな!」

「嗅ぐなって言われても無理だよ。息しなきゃ死んじゃうよ、あたし。何たって――」

「レベル1なんだから、だろう? 呼吸に関してはレベルなど関係あるまい。止めりゃ99でも死ぬわ、まったく……」


 そう返すと、彼女は布団の下で「あははー」と笑った。

 しかし、匂いか……。いままであまり気にしたことなかったんだよなぁ。もしかして、吾輩臭かったりするのかな?

 

 まぁ、いまはそんなことより――。


 吾輩はいそいそと玉座に座って開かずの魔法を解除する。だいたいの場合、はどんな扉でも開けられる『万能の鍵』を所持しているのだが、実のところ、吾輩の開かずの魔法の前には無力である。だからこうしてあらかじめ魔法を解除して、ただの施錠状態にしておかないといけないのだ。


 しばらくして、ガチャリ、という音が聞こえた。城下町の道具屋で買った、とりあえず一番それっぽい感じの鍵が開いた音である。

 

 ギィィという音を立てて開いたその扉の先に――、

 伝説の防具で身を固め、これまた伝説の剣を手にした男が立っていた。


「フハハハハハ! 良く来たな、勇者よ!」

 

 ふむ、今回はなかなか筋骨隆々の男勇者である。――男、だよな? まさかこれで女ってことはあるまい?


 勇者は吾輩の言葉に応えることもなく、ずかずかと入り込むと、辺りをキョロキョロと見回した。まるで何かを探しているかのように。


 もしかしたら、少々耳が遠いのかもしれん。


 そう思ってみれば、彼が被っている兜は耳垂れ付きなのである。成る程、それのせいで聞こえなかったのかもしれない。ならば。


「ファ――ハハハハハハァァッ!!!! よぉっく! 来た! なぁぁっ! ゆううううううしゃよぉぉぉぉおっ!」


 ちょっと本気出してみた。魔法無効強化窓ガラスもビリビリいってる。あれ、布団の中の先生は大丈夫かな? びっくりさせてないだろうか。

 さりげなくベッドの方を見ると、ふるふると小さく震えているのがわかる。ヤバい。これ後で絶対怒られるヤツだ。


 とりあえずこいつをさっさとどうにかして早めに謝らんと。こういうのは先手必勝なのだ。

 ていうか、いまのでもしかして死んだんじゃないか、勇者?


 しかし、彼は相変わらずキョロキョロと辺りを見回して――何なら、絨毯をめくってみたり、飾り棚の戸を開けたりして、何やら本格的に『何か』を探している様子である。

 うむ、さすがは伝説の兜を装備しているだけはある。


「おい、勇者よ。何を探している」


 思い切ってそう尋ねてみると、彼はようやく吾輩の存在に気が付いたとでもいうように、「あぁ」と呟いて視線を合わせてきた。何だ。何なんだ、この男。


「ここにいるのはわかってるんだ。返してくれ、僕のアウロラを」

「――は?」


 何がここにいるのだ? アウロラ? 何だそれは。


「アウロラ! アウロラ! どこにいるんだ! 僕の天使!」

「え……、ちょ……?」


 勇者とばかり思っていたが、どうやらこいつは狂人の類らしい。魔王の城に天使などいるわけがなかろう。


 でもコイツ、伝説の武器防具装備してるしなぁ。

 あれ? でもこないだ研究主任に先生が装備してたヤツ見せたら「うーん、興味深いですねぇ」とか言って何やら細工してたんだよなぁ。そのせいでもしかして誰でも装備出来るようになったとかじゃないよな? まっさかぁ、そんなことでへこたれるようなヤツじゃないよな? なぁ、伝説の武器防具よ!


「おい、とりあえず、ここにはアウロラなんてヤツは――」


 いないぞ、と言おうとしたその時である。


「――呼んだ?」


 と言って、布団から先生がひょこりと顔を出した。


 えぇ? 先生、アウロラって名前なの? 吾輩初耳ですけど?


「げ……っ! トマ!」

「何だ、知り合いなのか」


 まぁ、先生だって知り合いくらいはいるだろう。それくらい吾輩にだってわかる。何せ彼女がここに来たのなんてほんの数ヶ月前なのだ。

 しかし、何だろう、このもやもやとした気持ちは……。


「ししし知らない! あたし、知ーらない! じゃあね!」


 先生は再び布団をばさりと被ってしまった。

 しかし、いまさら『知らない』と言ったところで手遅れであろう。さすがにそれは吾輩でもわかるし、第一――、


「こんなところにいたんだね、アウロラ! さぁ帰ろう!」


 この男――先生曰く『トマ』という名らしい――が黙っているはずなどないのだ。

 トマはすたすたとベッドのところまで移動すると、あっという間に布団から先生を引きずり出した。何という素早さ。いや、吾輩が呆気にとられていただけかもしれんが。


「やっ! やだやだ! ほんとにこいつはやだ! 無理! 魔王君、ぼさっと見てないで何とかしてよぉっ! 先生のピンチだよぉっ?!!」

「え、えぇ? りょ、了解っ!」


 ――ちょっと待て。吾輩は何で元勇者に顎で使われているのだ?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る