草萊の天

「大変ですっ」

 市ヶ谷にある防衛省庁舎の食堂に、ひとりの自衛官が駆け込んできた。システム通信隊に属する一等空佐だ。彼は、昼食のラーメンをすすっている航空幕僚長のまえに立つと、切迫した声で言った。

「自衛隊の無人偵察機が、ハイジャックされました」

「なにっ?」

 幕僚長は、ながめていたテレビ画面から目をはなし、空佐をギロリとにらんだ。

「無人の偵察機がハイジャックされるとは、いったいどういうわけだね?」

「ようするに、なに者かが偽のGPS電波を飛ばしてあやつっているのです」

 幕僚長は「ふむ」と考え込んでから言った。

「それは容易ならざる事態だな。よし念のためF2戦闘機のスクランブルを準備しておきたまえ」

「まさか撃墜なさるおつもりですか?」

「このさい仕方あるまい。米軍から大枚はたいて購入した高価なものだが、まあ訓練中の事故として処理すれば問題なかろう。くれぐれもマスコミにだけは知られぬようにな」

「あの、お言葉ですが、撃墜なんてとんでもないことです」

 空佐は泣きだしそうな声で言った。幕僚長が表情をくもらせる。

「どうしてかね?」

「だって、ハイジャックされているのは、アレなんですよ」

 空佐は、食堂のテレビを指さして言った。画面には、ちょうど自衛隊主催によるエアフェスタの模様が映しだされている。

「な、なんだと、あの式典の真上を飛んでいる機がハイジャックされたというのか」

「そうなんです」

「ばか、なぜそれを早く言わんのだ」

 今年からブルーインパルスのアクロバット飛行をやめて、代わりに遠隔操作による無人飛行機の航空ショーをとり行っている。日本のハイテク技術を世界に知らしめたいという総理大臣の意向からだ。

「あの式典には、各国の要人も大勢参加しているのだぞ」

「だから撃墜なんてとんでもないと申しあげたのです」

「……す、すぐに官邸へ連絡を」

「むだです。総理大臣も官房長官も防衛大臣も、みーんなあの式典に参加してるんです」

 幕僚長がオロオロ声で言った。

「おい、なんとかならんのか。もし我が国を訪問中の政府要人になにかあったら外交問題になるぞ」

「もっか追随装置を使い、電波の発信元を全力で捜索しておりますので……」

 テレビ画面では、きりもみ飛行をした無人飛行機が、地上すれすれのところで急ターンしてふたたび空へ舞いあがった。それを見ていた幕僚長と空佐が「ひっ」と悲鳴をあげて抱き合う。

「これは心臓によくないな」

「いやまったくです」

 そのとき食堂のドアが勢いよくひらき、べつの自衛官が駆け込んできた。

「たった今、犯行声明が出されましたっ」

「本当かっ」

 幕僚長が、自衛官につかみかかる。

「どこだっ、朝鮮中央テレビかっ、それともアルジャジーラかっ? えっ、犯行声明はどこから出されたのだっ?」

「あの……それがですね」

 自衛官は、言いにくそうに身をよじった。

「……2ちゃんねるなんです」

 テレビ画面では、飛行機が色あざやかなスモークを放ち、大空に無数の「W」の文字を描いているところであった。

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