船と海賊
一枝 唯
港にて-1
そこで何をしているんだい、と声をかけると、振り向いたのはあまり顔色のよくない少年だった。
「僕は」
金の髪を風になびかせて、十五の成人をまだ迎えなさそうに見える少年は、じっと彼を見た。
「待っているんだ。ずっと」
「船を?」
港には毎日、船が出入りする。彼がここへやってきたのは初めてだったが、どういう場所であるかはよく判っていた。
忙しく立ち働く船員たち。怒号のような声が飛び交う活発な港。この賑やかしい場所で、少年の周りだけが静かに見えた。
それが気になって、彼は声をかけたのだ。
彼自身、ここにくるまでに何度も「邪魔だ」と怒鳴られ、押しのけられた。それでも、間近で見てみたかったのだ。
船。
大きな帆船。
話に聞いていたばかりで、十八のこの年になるまで見たことのなかったもの。
埠頭にぽつねんと立つ少年はもしかしたら同じようなことを考えてやってきた仲間ではないかと思った。
「いいや」
だが少年は首を振った。
「戻らぬ人を待っているんだ。果たされぬ約束が、果たされる日を」
やってきたのは、海で誰か亡くしたのだろうかと思わせる返答だった。
「……そう」
あまり踏み込んで尋ねるのも気が引ける。彼は相槌だけを打った。
「あなたとその誰かに、海神アリスレアルの加護がありますことを」
それから、船乗りたちが使うと教わった挨拶と、祈りの仕草をする。少年は黙ったまま、まだ彼を見ていた。
「君は?」
少しの間ののちに、少年は言った。
「えっ」
「君は何をしにきたの」
驚いたのは問い返されたことより、彼より年下に見える少年が「君」などと言ってきたことだった。
「俺は……」
彼は返答に迷った。
「船を見に」
「見にきただけ?」
「まあ、船出の予定はないかな」
彼はそんなふうに答えた。
「どうして?」
「どうしてって」
彼は目をぱちくりとさせた。
「別に俺は、船乗りじゃないし。船旅をする必要もない」
「船旅は『必要』があってやるものじゃない」
またしても思わぬ返答がやってきた。
「ええ?」
彼は顔をしかめた。
「趣味や娯楽で船旅をする人もいないんじゃないか? よっぽど金持ちなら別だけどさ」
船に乗るのは、必要があってやることに決まっている。多くは、荷を港から港へ運ぶため。なかには人を乗せる船もあるが、人が乗るのはやっぱりそうすることが必要な理由があるからだ。
「海に生きるために、船に乗る者もいるよ」
少年は言った。
「いるんだ。そういう人々が、稀に。陸にいると息が詰まってしまう。潮風を切って走る船だけが、自分の生きる場所だって」
「……ふうん」
それが少年の待ち人なのだろうか。だがそんな感性は想像しづらかった。
「生憎だけど、俺は稀じゃない方の人間みたいだ。船にもちょっとは興味があるけど、機会があれば乗ってみたいなって程度で」
「機会があれば?」
「陸は息が詰まるなんてことはない」――と続けようとした台詞は、少年に遮られた。
「――機会を、あげようか?」
「え?」
「望むなら、僕は君を船に乗せてあげられるよ」
金髪の少年は、かすかに笑みを浮かべていた。
「い、いいよ、別に」
何だかどきりとして、彼は一歩退いた。
(な、何なんだ、こいつ?)
もしも彼がもっと幼い子供で、言ってきたのが柄の悪そうな男であったなら、子供の好奇心を利用して拐かしてしまおうという人攫いだとでも思うところだ。
少年は彼より年下のようだし、彼は成人して三年経つ。人攫いだとは思わなかったが、妙なことを言う奴だとは思った。
「待ち人が現れるといいね。それじゃ!」
船をじっくり眺めるのはあとにしよう。彼はそう考えると慌てたように踵を返した。
「……待ち人」
その背中に少年が呟いた声は、彼には聞こえない。
「ついに現れた、みたいだけどな」
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