第七章 鈴間屋アリスは痛みに耐える(6)

「いやぁぁぁぁっ!!」

 自分の悲鳴が、うるさい。アリスはどこか他人事のように、そう思った。少しでも意識をよそにやらないと、耐えられない。

 内臓で何かが暴れている。

 飲み干した薬は、体内のXを消滅させるためのもの。Xも苦しいのだろう。自分の体の中で暴れている。

 初日に感じた痛みと、近い。でも、あの時と違うのは、今回は痛みの原因がわかっていること。そしてこれに耐えきれば、この痛みとも、不快な存在であるXとも離れることができること。

 だから、あの時よりは、マシだ。

「あああっ」

 そう必死に自分に言い聞かせているけれども、悲鳴は止められない。

 痛い痛い痛い痛い。

 痛みは和らがない。

「お嬢様」

 誰かの手が、丸まったアリスの背中をそっと撫でる。熱を感じる。

 痛い。痛い、苦しい。

 ねぇ、助けて。

「ゆ、りぃ」

 唇は自然と彼女の名前を紡いだ。

 風邪をひいたりして寝込んだ時は、絶対に彼女がそばにいたのに。優しく撫でてくれたのに。

 今自分の背中を撫でるシュナイダーの手だって、優しい。でも、違う。ずっとそばにいた優里のものじゃない。そう思ってしまう。

「たすけ、て」

 ずっとずっと、そばにいてくれたのに。どうして今、優里はここにいないんだろう。

 物心ついたころから、ずっと優里はアリスのそばにいた。ずっとずっと、変わらずに。

 今から思うと本当に変化がなくって、宇宙人だという話をちょっと納得してしまうぐらいだが。それでも、アリスは優里が好きだし、頼っていた。存在を、当たり前のものとして認識していた。

 使えない足の代わりになってくれたし、困った時はいつでも相談に乗ってくれた。ちょっと感情表現がズレているところがあったから、相談相手として必ずしも正解だったとは言い切れないけど。

 それでも彼女は優しかった。大好きだった。

 なのに、あれは全部、

「嘘だったの?」

 今零れた涙は、体の痛みによるものじゃない。

 喪失の、涙だ。

 嘘なら嘘で仕方ない。

 優里が宇宙人だというのならば、仕方がない。宇宙人とやらに、自分と同じ価値観で行動しろというのが、ナンセンスだということも分かっている。国が違えば価値観や風習は変わるのだ。星が違えば、理解できない行動をとることもあるだろう。

 そんな風に、割り切っている部分が、自分の中である。ある程度、合理的に考えられるのは、自分の利点でもあり、欠点でもある。

 それでも、納得できないことだってある。それは、優里が突然消えたことだ。自分に何の断りもなしに。

「いっ」

 突然の激しい痛みに咳き込む。

 せめて、何か一言でいいから言葉が欲しかった。恨みごとだって、構わないから。

 だって、優里のこと、大切だし、大好きだし、頼りにしていたんだから。

「ゆりの、ばかっ」

 思わずつぶやいた言葉は、再度上がった自分の甲高い悲鳴にかき消された。


 一連の騒動から、二週間後、ようやく銀次は鈴間屋の屋敷に戻れた。

 少し長引いたが、アリスの治療は無事に終わったのだ。

「久しぶり、白藤」

 久しぶりに直接見る彼女は、また一層小さくなったように見えた。腕からの伸びた、点滴の管が痛々しい。

 それに対して、銀次の方は……、

「なんかあなた、少しマッチョになった?」

「あー、することなくて、ずっとトレーニングしてたので」

「何それ」

 くすくすとアリスが笑う。いや、本当、なんなんだろうな。

「ずっとご飯も食べられなくって。やんなっちゃう」

 口調はいつもの彼女そのままで、少し安心する。

「頑張りましたね」

「そうでしょ?」

 気の利いた言い方ができずに、素直に感想を述べた。でも、それにたいして、少し嬉しそうに微笑む。

「でもこの薬、一般には使えないわね。しんどすぎた」

 痛みに悲鳴をあげる彼女が、死んでしまうのではないかと心配したと、シュナイダーから聞いてる。Xが体内で暴れる時の痛みは、よく知っている。半年の付き合いで慣れている銀次ですら、意識を失うことが未だに多い。そんなXを消滅させるための薬は、どれだけ苦しいものだったのだろうか? 代わってあげられなかったことが、そばで励ますことも慰めることもできなかったことが、残念でならない。

 でも、一つだけ銀次にできることがある。銀次にしか、できないことがる。

「心配いりません。その薬を、一般に使うことはありえませんから。一般の誰かがXを植え付けられるようなことなく、俺がどうにかしますから」

 そう告げると、彼女は少し安心したように笑った。

「ありがとう」

 そしてなぜかお礼。なぜ、ここで?

「私、白藤がいるから、頑張れたの。約束のおかげで」

 怪訝な顔をする銀次に、アリスが内緒話をするような小さな声で言う。

「あの約束、有効よね?」

「もちろんです。もう少し、お嬢様が元気になられてからですが」

「ああ、じゃあ、もうちょっと頑張らないとね」

 残念そうにアリスは笑った。

「……お嬢様、先日の話なんですけど。テレビ電話の」

 アリスと会えない間、ずっと考えていたことがある。

「うん?」

「ひとつだけ、お嬢様に背負っていただきたいことがあります」

 そういうと、アリスの顔が引き締まる。体を起こそうとするのを、慌てて止めた。

「そのままでいいので、聞いてください。私が乗っ取られたらそのときは」

「そんなことない!」

 言いかけた言葉を、アリスの悲鳴が遮った。

「そんなことないありえないさせないつ」

 怯えたように叫ぶ彼女の手を、そっと左手で握る。手袋越しでも、小さな手のひらは、あたたかくて、柔らかい。命の温かさに、ほっとする。

「お嬢様、万が一、です」

 一人でいる間ずっと考えていた。その中で、これだけは絶対に彼女に言おうと決めておいたことだ。

「そんなことがあったら殺してください。貴方を傷つける前に」

 そんなこと、耐えられない。

 アリスは大きく目を見開き、銀次の顔を見つめる。やがて全てを飲み込むような沈黙のあと、

「……億が一、そんなことがあったら」

 少し泣きそうな顔をしながら、銀次に告げた。

「私がやるわ。貴方は私のものよ、全て」

 そうして銀次が握った手を、アリスがそっと握り返す。指が絡まる。

 そのまましばらく見つめ合う。

 アリスが軽く握った手のひらを引っ張ると、それに吸い寄せられるように銀次の顔がアリスに近づく。

 どちらからともなく瞳を閉じたところを、

「失礼します!」

 妙にはきはきした声がして、飛び退くように二人、距離を取り直した。

「おや、おじゃまでしたか」

 飄々と呟いたのは、有能なる執事長だった。

「……シュナイダー」

 アリスが苦々しく呟く。

「なんの用?」

「はて、なんの用でしたか。わたくしとしたことが、忘れてしまったようですね」

 微笑む。

 そんなわけあるまい。優秀な彼が用事を忘れることなんてありえない。おおかた、外で聞き耳でもたてていたのだろう。

 アリスもそれはわかったらしい。アリスの柳眉が吊り上がり、なにか怒鳴ろうと口を開きかけて、

「……ああもう、いいわっ!」

 投げやりにそういうと、怒鳴るのをやめた。

「ここで怒ってもばかばかしい! でも腹立つ! だから私はもう寝ます! 二人とも出て行って!」

 それだけ早口で言われるので、男二人部屋を後にする。病み上がりとも思えない大きな声に、ちょっとだけ安心したのは内緒だ。

「いいとこだったのにっ」

 ドアが閉まる直前、アリスのそんな声が聞こえた。

 いやはや本当にまったく。

「銀次君」

 低い声で名前を呼ばれて、ざわっと肌が粟立った。恐怖で。

「清い交際以外認めませんよ」

 睨まれた。怖い。ことによるとXよりも怖いかもしれない。

「わかっています」

 だから頷いた。

 わかっている、本当は。

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