第四章 メタリッカーは非難される(3)
部屋を出た銀次がアリスを探すと、彼女は自分の部屋で仕事をしていた。
「お嬢様、よろしいですか?」
「どうぞ」
「失礼します」
アリスがパソコンから顔を上げる。
「白藤、具合悪いんじゃないの? 大丈夫?」
アリスが心配そうに首をかしげる。
「ご心配をおかけして申し訳ありません。少し休んだら治ったので」
「そう?」
なんだか納得していない口調でアリスが答える。それから、少しためらうような間を置いて、
「……昨日、ごめんね」
そのままこちらを見て小さな声で言う。知らずに上目遣いになっていて、それはなかなか可愛いからやめて欲しい。
そうだ、朝一でいろいろあったから忘れかけていたが、昨夜は彼女と微妙なやりとりをしたのだ。ああ、でも今日のことで改めて思った。自分は彼女の思いに応えてはいけない。こんな化け物の自分は。
そんな風に誓いを新たにした胸中は見せず、
「いえ」
首を横に振った。それから、少し考えて、
「……マグカップを片付けるぐらいなんでもないです」
何もなかった風を装うことを選んだ。それが、自分が取るべき道だ。
アリスは、おちょくられたとでもいいたげな顔と、スルーしてくれて助かったとでも言いたげな顔を交互にして、結局自分の中でなにか感情に折り合いを付けたのか、一度軽く頷いた。
「今日は出かける用事はないから、休んでてくれていいわよ」
「お嬢様はそう言って、私に声をかけずにお出かけになった前科をお持ちですから」
「やだ、根に持ってるの? ごめんって。次はちゃんと声かける」
どうだか。口ではなんだかんか言いながら、優しい彼女はすぐにこちらに気を使う。自分が具合悪いそぶりを見せたら、また一人で出かけてしまうだろう。
今の世の中は、危険なのに。
「えー、というわけでメタリッカーのせいで小学生の男の子が怪我をしたわけですが」
突然聞こえてきた声に、心臓が跳ねた。慌ててそちらを見ると、テレビがワイドショーを映していた。今朝の、報道だ。
「ああ。今朝のX事件。知ってる?」
テレビに釘付けになった銀次に、アリスが淡々と教えてくれる。それに曖昧に返事をかえす。
画面上には、「メタリッカー反対運動、勃発?!」などと書かれている。
「ちょっと怖いですよね。子供を怪我させるなんて」
「うちの子もまだ小さいから、心配で」
「正義の味方だって信じていたのに」
街角でインタビューに答えた人々が、次々に口にする。
SNSのスクリーンショットでは、「マジ使えねーwww」と言った言葉が溢れている。
ああ、そうか、これが、世間の評価なのか。それはそうだ。だってもしも、きちんと自分が気をつけていたらこんなことにはならなかったのに。
「馬鹿みたいよねー」
ぐっと拳を握った白藤には気づかず、パソコンに再び視線を戻したアリスが言う。
「え?」
思わずそちらを見ると、アリスはわずかに眉根を寄せながら、吐き捨てるように言った。
「だって馬鹿みたいじゃない? 頼んでもないのに、勝手に、タダで守ってくれていた人相手に、なんて恥知らずで恩知らずなの?」
そういうのほんと無理、なんて続ける。
恥知らずで、恩知らず?
「……それ、本気でおっしゃってますか?」
問い返した声は、思いがけず、かすれていた。
アリスは、メタリッカーを信用していないと思っていた。きっと信用はしていないだろう。それでも、今の言葉は、どちらかといえばメタリッカーを擁護したものに聞こえたのだ。
「え、うん」
何を当たり前のことを、とでも言いたげに、アリスはパソコンから顔をあげると首をかしげる。
「たった一回の失敗。それも、直接的にメタリッカーが何かをしたわけではないのに、よくもまあここまで叩けるよなーって思わない? そもそもメタリッカーがいなかったら、とっくの昔に私たちは死んでいるでしょう? 警察も自衛隊も役に立たないのだから」
アリスはメタリッカーが正義のヒーローだという話を信用していなかった。でも、彼女は、メタリッカーの功績を認めてくれている。
「大体、私は最初から信じてはなかったし。どこの誰かもわからない人間の、気まぐれかもしれない防衛活動に全幅の信頼を寄せるなんて、国家としてあるまじき行為だと思わない? その人の気が向かなくなったらどうするの? 第一、無償で体をはるなんてうさんくさいもの。何か、因縁とか恨みとか、他に守るものがあるとか。納得できる理由がないと」
「理由、ですか?」
「うん、メタリッカーが戦う理由。世界平和を願っている、とかよりは、Xに親を殺された恨み、とかの方が納得できるかな。あくまで個人的にはだけど。メタリッカーが頑張るのも無理はない、って思える理由があれば」
「なるほど……」
なんとか相槌を絞りだす。実に、アリスらしい考え方だとも思えた。
メタリッカーが戦う理由、それは一体なんだろうか。旦那様との因縁? 恨み? 元に戻りたいから? そうするしか他にないから?
「ま、メタリッカーが仮にテレビを見ていたとしても、これ気にしないでほしいよね。こんな一方的な意見が、日本国民の総意だと思われたら困るし」
言いながらアリスがチャンネルを変えると、そこではまた別のワイドショーがやっていた。こちらも、今朝の映像を流している。だが、
「ここですよ、問題は。ここでメタリッカーが助けを求めているのに、撮影スタッフは無視をしているんです」
「メタリッカーは、きちんと救護活動をしているようなのに」
中継していたカメラスタッフを責めるような番組構成になっていた。
「さっきの局、この中継カメラの局なの。自分のところに来ている非難を避けるために、メタリッカーを叩いてるって感じね」
SNSの反応もばらばらだしねー、と彼女は続ける。
「そう、ですか」
「くじけるなメタリッカーとか、いつもありがとうメタリッカーとか、なんかタグがたくさん発生しててSNS見ているとウケる。途中から大喜利みたいになってるし」
なんでもないようにアリスは言う。
「だからま、メタリッカーがテレビ見るならこっち見ててくれればいいなって感じ。何を考えているのかは知らないけど、っていうか人間なのかもぶっちゃけ知らないけど、世界を守ってくれているのは事実だし、落ち込んでいたら申し訳ないでしょ?」
そこまで言って肩をすくめると、アリスはテレビを消した。
「さて、雑談終わり。本気だして仕事するから、用がないなら出ていって」
「あ、はい、すみません」
なんとかそれだけ口にすると、アリスの部屋から出て行こうとする。ドアをしめる直前、
「あと、やっぱり白藤、顔色おかしいから、今日は休んでなさいね」
アリスの声が飛んできた。
銀次はアリスの部屋を出ると、早足で歩き出した。
離れて最初の角を曲がったところで立ち止まると、拳を壁に叩き付けた。何度も、何度も。
「くそっ」
拳が痛い。
だけれどもそんなこと、今はどうだっていい。
俺は、メタリッカーは、お嬢様が思っているような人間じゃない。
何か、理由があってメタリッカーをやっているわけじゃない。その事実に改めて直面した。
今までは、仕方がないから、とメタリッカーになっていた。そうする以外術がなかったから。
何かを守るのは、そのついでだった。仕方ないから、守っていた。
それは自分の義務だと思っていたけれども、義務も仕方なく課されたものだと思っていた。
なのにアリスはメタリッカーの功績は認めてくれていた。メタリッカーを信じて、応援してくれている人も世の中にいた。
自分はこんな、どうしようもない愚かな人間なのに。
そう思ったら、あれ以上彼女の前にいることが耐えられなかった。自分の小ささが見透かされる気がして。
もう一度強く、壁を殴る。
鈴間屋拓郎の一人娘の名前がアリスだと聞いたとき、正直そりゃあないだろう、と思っていた。名前負けしそうだな、と。
でもアリスは可愛かった。はじめてちゃんとアリスを見たとき、まあこの外見ならアリスっていう名前もありだな、と思ったものだ。
ただ、性格はよくある、お金持ちの甘やかされた我が侭お嬢様のものだな、とも思っていた。あの日までは。
鈴間屋にきたばかりのころ、まだ高校生をしていたころ、銀次は身の置き所にいつも悩んでいた。シュナイダーの仕事をたまに手伝ってもいたが、それは使用人ではなかった。だから、使用人として鈴間屋に居場所を見つけることも出来なかった。
かといって、客人でもなかった。そんないい身分でもなかった。
居候、それに近いと思っていた。
だからいつも人がいないところを探していた。
庭の隅で本を読むのは、人の居ないところを探しているいうちに見つけた、銀次のお気に入りの場所だった。
あの日、そこに突然アリスが現れた。
ちっとも話したことがない鈴間屋のお嬢様の出現に慌てる銀次に、アリスは、
「私、お兄ちゃんが欲しかったから、私のこと妹って思ったっていいんだからね!」
何故か高飛車に告げてきた。
高飛車な言い方だったし、意味がわからなかったけれども、あの言葉は凄く嬉しかった。居場所のない銀次に、居場所を与えてくれるような言葉だった。
ああ、彼女のことを妹と思って過ごして、兄として過ごしてもいいのか。
そう思ったらふっと気が楽になったのだ。そのことを強く覚えている。
あの後、なにを考えていたのか。実際にアリスは妹のようにつきまとってきていた。あまりに近過ぎて鬱陶しいと思ったこともあったが、今から思うとあれは貴重な時間だった。鈴間屋アリスに、鈴間屋の使用人としてではなく兄として接することが出来た、貴重な時間だった。楽しかった。
大事なお嬢様で、可愛い妹だと思っていた。
それは高校を卒業して、アリス付きの運転手になって、アリスとの接し方を明確に使用人としてそれに変えてからも変わらなかった。
いや、少しだけ変わっていた。
いつの間にか好きになっていた。
少女だった彼女が、少しずつ大人になっていくのを目の当たりにして、彼女のなかなか表に現れない優しさに触れて、気づいたら好きになっていた。
そんな彼女の期待しているような人間では、自分はなかった。そのことに絶望する、がっかりする、自分自身に。
今までは、仕方がないから、とメタリッカーになっていた。そうする以外術がなかったから。
何かを守るのは、そのついでだった。
口では正義のヒーローだなんて言いながらも、心根はそうではなかった。
メタリッカーが嫌いなことには変わりがない。仕方ないからメタリッカーをやっているだけ。アリスの期待にも、街の人の期待にも添えそうもない。
だけど。
「優里さん」
途中から現れた、背後に感じる気配に、振り返らずに声をかける。拳を壁にあてたまま。
「なんでしょう?」
少し後ろから返事がきちんとかえってくる。
「俺、これからは、ちゃんと戦います。お嬢様を守るために」
世界を守ることはできない。なんだかんだいって、自分は正義のヒーローにはなれそうもなかった。
だけれどももう、無目的でもいられない。
アリスを守るために、大切な彼女を守るために、そのために戦う。彼女に危害が及ばないように気をつける。それは結果として世界を救うことになるのかもしれないが、自分が守るのはアリスだ。
アリスのために、戦う。
「そうね。最初からそうしてればよかったのよ。銀次さんはどんなに難しいこと考えたってだめなんだから」
優里の声はなんだか楽しそうだった。
振り返ると、小さく笑っている。
「全部、優里の言ったとおりでしょう?」
そうして小首を傾げる。
「そうですね」
悔しいけれど、先ほど彼女に言われたとおりだ。
「目的があるから、俺はもう迷いません」
正義のヒーローである必要はない。世間の期待には応えられないかもしれない。ミニマムな目的意識で、公私混同しているかもしれない。でも、俺は、
「お嬢様のために、変身します」
誰に何を言われようとも、それは曲げない。曲げられない。
「いいお顔になったこと」
優里はそう呟いたあと、
「ついでに良い知らせです。シュナイダーさんからの伝言なのですが、あの男の子の怪我は、思っていたよりもひどくなかったようです。二、三日様子を見て入院するそうですが、すぐに元の生活に戻れるはずですよ」
「それはよかったです」
ほっと安堵の息を吐く。迷わないとは言ったものの、気にしていたことは事実だ。
「メタリッカーの応急処置が的確だったそうです」
「……救命救急講座、定期的に通っておくものですね」
運転手の職についてから、半年に一度ほど通っていたのだが、意外なところで役にたった。
「それから、あの男の子。メタリッカーが大好きなんだそうです」
「え?」
「ヒーローに憧れる年頃なのでしょうね。近くにメタリッカーが現れたというニュースを聞いて、親の制止を振り切って家を飛び出して、そのまま巻き添えになったみたいです。痛い思いをしたのは嫌だったけど、メタリッカーが助けてくれたのは嬉しかったって、語っていたそうです。これはシュナイダーさんからの伝言ではなく、先ほどテレビで母親が出したメッセージとしてやっていたものですが」
それに思わず、変な顔になってしまう。その子が、怖いだけの思い出としていないのは良かったが、なんだか微妙だ。憧れる、だなんて。
「なんにしても、よかったです」
心の底から呟いた言葉に、優里も小さく頷いた。
数日後、アリスが新聞に目を通していると、この前X絡みで怪我をした男の子についての記事が載っていた。無事に退院した彼の元には、メタリッカー名義でお見舞いが届いたらしい。
怪我をさせてしまったことの詫びと、Xがでているときは近づかない方がいいという警告。菓子折りと、傷跡を消すのに役立つ薬が入っていたという。
「うちの薬渡してくれるなんて、メタリッカーもいい人ね」
写真に写ったスズマヤコーポレーションの薬の箱を見ながら、近くに待機していた優里に話しかける。
それでなくとも、わざわざお見舞いを送るなんて、律儀な人だ。いや、本当に人なのかどうかは知らないけれども。
「そうですね」
優里が、彼女にしてはなんだか珍しく、楽しそうに笑いながら言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます