第二章 白藤銀次は変身する(2)
結局、意識を失ったのは薬の効果だったのか、気を失ったのかは定かではない。
ただ、次に目覚めたとき、痛みはひいていた。
もっとも、右腕は変化したままだったが。それは今も治っておらず、銀次の右腕はメタリッカーのもののままだ。あの日以来、人前で手袋を外せないでいる。
渡されたあたたかいタオルで脂汗をかいた顔を拭き、あたたかい紅茶を飲み、一息いれる。
そこでようやく、落ち着いてシュナイダーに向き直ることができた。
「落ち着きましたか?」
「はい」
ずっと付き添っていてくれたらしいシュナイダーが、それはよかった、と微笑んだ。
「さて、説明をしますか」
有能なる執事長は、銀次が話を聞く体勢にあることを確認すると、淡々と説明を開始した。
「まず、現状ですが。銀次くんは突然、高熱を出し倒れた、ということになっています。今後、それに話をあわせてください」
「はい」
その対象は、アリスだろう。
さっき覚醒しかかった耳に届いたアリスの声を思い出す。
心配、させてしまった。あの、アリスお嬢様に。
「私が銀次くんを見つけたのは旦那様のお部屋でした。外出のご予定があるのに旦那様が姿を見せない。そこで伺ったら、旦那様の姿はなく、銀次くんが倒れていました。そしてあと、これが置いてありました」
彼が手渡して来たのは、一通の封筒だった。白いシンプルな封筒。
「これは?」
「旦那様が置いていったものです」
目で促され中身を出す。何枚もの便せんにわたって、つらつらと何かが書かれていた。ただ、
「……読めませんが」
鈴間屋拓郎は悪筆であった。
「でしょうね」
シュナイダーは顔色を変えず頷く。
「敦さんと一緒に解読しました」
主に旦那様についている男の名前をあげる。確かに彼ならば、この癖のある字にも馴染みがあろう。
「解読って」
「解読以外のなんだと言うんですか」
「ですよね」
存外、辛辣だ。
「これによりますと」
シュナイダーは有能で冷静な彼らしくなく、一瞬口ごもってから、
「旦那様は世界征服をたくらんでいらっしゃるそうです」
「すみませんもう一度お願いします」
間髪入れず聞き返した。
「旦那様は世界征服をたくらんでいらっしゃるそうです」
聞き返したところで返ってきた言葉は一緒だった。
「旦那様は世界征服をたくらんでいらっしゃる?」
「はい」
頭が痛くなってきた。額をおさえる。
何かの冗談かと思うが、この有能なる執事長が、こんなところで冗談を言うわけがないこともわかっている。
「すみません、続けてください」
「はい。世界征服をたくらんでいらっしゃる理由については、私には崇高な目的があるのだよはっはっは、としか書いていらっしゃらなかったのですが」
ああ、すごく、書いてありそうだ。
鈴間屋拓郎には心の底から感謝している銀次だが、その人間性というか、よく言えばお茶目さ、悪く言えば破天荒さには常々首を捻るところがあったのだ。
そんな人に渡された薬、いくら感謝しているからってなんで飲んじゃったよ、俺。
「旦那様はどうやら秘密裏に色々研究していたそうです。世界征服の手段として、改造人間をつくることなど」
「改造人間? ……あれですか、バイクに乗ってくるヒーロー的な」
「恐らくそういうことでしょう」
「……じゃあ」
右腕に視線を落とす。
「俺は……」
「端的にお伝えしますと、実験体、ですね」
シュナイダーの容赦ない言葉に、ああ、と喉の奥から声が漏れる。
ああ、なるほど。実験体。これほどわかりやすい言葉が、他にあるだろうか?
「……言いにくいのですが」
「言ってください、この際全て」
「旦那様が銀次くんを引き取ったのは、全て、このためのようです」
言われた言葉を理解すると、言葉にならないうめき声が漏れた。
左手で顔を覆う。
感謝していた。ずっと。身寄りがなくなった自分を、引き取って高校を卒業させてくれたことも。そのあと雇ってくれたことも。ずっと感謝していた。
それが全て、実験体にするためだった?
「若くて、健康で、身寄りが無くて」
「何が起きても文句を言う人間がいないから」
「ええ、そうです」
「……そうですか」
「銀次くん」
シュナイダーに名前を呼ばれる。気遣うように。
顔を覆ったまま、一つ大きく息を吐く。
ここで心が折れている場合ではない。
「続けてください」
顔をあげて、少し心配そうに表情を歪めているシュナイダーを見る。
「まだ話は終わっていませんよね?」
これで話が終わりなわけが、あるまい。
「……続けますね」
少しの間のあと、シュナイダーは話を続けた。
「旦那様は研究の過程で、異界の物質を手に入れたそうです」
「異界?」
「と、旦那様は名付けたそうです。正式な定義はわかりませんが、現代社会ではあり得ないもの、という認識でいいでしょう。その物質を、鼠に与えたそうです。鼠は体を変化させ、巨大化し、凶暴化した」
そこでシュナイダーは銀次の瞳をとらえた。
それで、理解する。
「俺が飲んだのはそれ、ですか?」
「はい」
異界の物質。体を変化させる。巨大化は、しなかったが。
「さまざまな動物で実験し、人間で実験することにした」
「それが俺だった」
「はい」
「……そうですか」
そっか、と小さく呟いた。
何を思えばいいのか、もうよくわからない。
「先ほど、私が銀次くんを見つけたとき、銀次くんだと判断できたのは、かろうじてお顔の半分がそのままだったからです」
少し時間をかけて、その意味を理解する。
「……それじゃあ」
声が震えていて、一つ咳払いしてごまかす。
「他の部分は、右腕みたいに」
「はい。変化していました」
はっ、と漏れた声がなんなのかは自分でもわからなかった。溜息なのか、笑いなのか。なんなのか。
「幸いにして、というべきでしょうか。人間の場合、その異界の物質に体をすぐにのっとられることはなかったようです。だから、旦那様は銀次くんを置いていった。とりあえず」
「とりあえず?」
「旦那様は」
シュナイダーはなにかがふっきれたのか、もう躊躇うこと無く、よどみなく話を続けた。
「その異界の物質に体をのっとられた、変化した状態に常時ある銀次くんを欲しています」
「世界征服に必要だから?」
尋ねた言葉の語尾が上がる。皮肉っぽく自分の唇が歪むのがわかる。
「はい」
「なるほどね」
軽い調子で頷きながら、次の瞬間には、思いっきり右手をベッドに叩き付けていた。何度も、何度も。
今度はシュナイダーは止めなかった。
「なんだよっ、それっ」
吠える。
「世界征服って、なんだよそれっ。ガキか! ガキの妄想かっ! なに考えてんだよ、旦那様はっ!」
こんなときでも、鈴間屋拓郎を旦那様と呼んでしまう。そんな自分にも腹がたつ。
こんな意味の分からないことに巻き込まれたことを理解しながら、それでも、
「ふざけんなよっ! 感謝、してたのにっ!」
それでも、これまで受けた恩をなかったことにできない自分に腹がたつ。
だってそんなこと、信じられない。
確かに、スズマヤコーポレーションの代表取締役の地位にありながら自ら率先して研究するぐらいの研究バカだし、些か変な言動が多かったけれども、信じられない。信じたくない。
あのとき、スズマヤコーポレーションの関連会社に勤めていた銀次の両親が相次いで亡くなったとき。頼れる親戚もいなくて、高校も辞めて働かなければならないのだろうかと、これからの生活を憂いていたとき、救いの手を差し伸べてくれた鈴間屋拓郎を忘れられない。末端の人間にも気を配ってくれるのか、と感謝した気持ちを忘れられない。
それすらも全て、嘘だった?
実験体にすることを見越しての、演技だった?
「ふざけんなっ!」
大声を出したところで、肺が引き攣れるように痛んで咳き込む。
「銀次くん」
シュナイダーがそっと背中をさすってくれた。
視界が滲む。
鈴間屋で過ごした二年間は、一体なんだったのだろうか。
泣くな。自分に言い聞かせる。
泣くな泣くな泣くな泣くな泣くな。
決めたじゃないか。両親の葬儀の時に。これからは一人なのだからもう泣かないと。世話になる鈴間屋のために精一杯頑張ろうと。
ああ、それさえも嘘なのか。
全部嘘だ。全部全部全部。この二年間。
ぽたり、と涙が落ちた。
嘘だった。全部。旦那様は嘘をついていた。だから、全部嘘だ。二年間の全てが嘘だ。
「銀次くん」
そっと名前を呼ばれる。
嘘だった。
……本当に?
背中をさすってくれる、皺だらけのあたたかい手は、実際にここにある。
視線をあげる。
机の上に置いてある、一冊の本。
「面白かったから貸してあげる」
娯楽に殆ど興味を持たない自分に、アリスが押し付けるように渡してきた本。
咳き込む口元をおさえるフリをして、目元を拭った。
大きく深呼吸する。
鈴間屋拓郎は嘘をついていた。だけど、鈴間屋での二年間全てが嘘だったわけじゃない。落ち着けばわかる。落ち着け落ち着け。
振り返り、シュナイダーの顔を見る。心配そうな顔。
この厳格で有能な執事長が、自分のことを心配してくれているのは本当だ。
我が侭で小生意気なアリスお嬢様が、我が侭で小生意気ながらも自分を慕ってくれているのも本当だ。
本当のことだってある。
そう思わないとやっていられない。
そして、本当のことまで失うわけにはいかない。
家族を失って、次に手に入れた場所まで失うわけにはいかない。
「どうぞ」
差し出された新しいお茶を受け取ると、それを一気に飲み干した。
「シュナイダーさん」
有能で頼りになる執事長を見つめる。
「俺はこれから、どうしたらいいんですか?」
現実は消えない。だから、打開策を要求する。
シュナイダーは銀次の瞳を見つめ返すと一つ頷いた。
「まず、旦那様はこの屋敷に戻って来るご予定は当分ないそうです」
「それはよかった。さすがに、殴ってしまいそうです」
ぐっと拳を握りしめながらぼやくと、
「次に会ったら殴って差し上げるといいと思いますよ」
シュナイダーが言う。それが少し意外だった。
「意外ですか? 私がこんなことを言うのは」
「ええ」
「私だって怒るときは怒ります。それが例え、旦那様相手であっても」
と、ちっとも怒っていなさそうな顔で告げる。
それがなんだか、嬉しくておかしくて、小さく笑んだ。
「続けますよ?」
「あ、はい」
「先ほども申し上げましたとおり、旦那様は完全に変化した状態の銀次君を欲しています。だけれども、人間が完全にその異界の物質……、面倒ですね、この際Xとでも呼びましょうか。それに乗っ取られるのには時間がかかる、そう判断したそうです」
ここまではいいですね、と確認される。
「旦那様の研究成果によると、XとXは共鳴し合うそうです」
「共鳴?」
「ええ、共鳴というのは、もしかしたら適切ではないかもしれませんね。日本語は難しいです」
と、どこ出身なのかいつ聞いても教えてくれない外国人執事が言った。いや、そんなに日本語ぺらぺらで今更難しいとか言われても。
少し肩の力が抜ける。
もしかしたら、シュナイダーなりの冗句なのかもしれない。
「呼び合う、引き寄せ合う、そういう性質があるそうです。Xを埋め込んだ実験の鼠同士、どんなにお互いを遠く離しても近くに寄っていったそうです」
「磁石みたいに?」
「そんな感じでしょう。ただ、磁石と違うのは、XとXはお互いを亡ぼさんと欲する」
「……見つけて争うと?」
「ええ、そうです。さらに付け加えるならば、Xを完全に破壊することが出来るのはXだけだそうです。旦那様の研究によると」
自分の腹部をそっと押さえる。銀次の体内にあるXなる物質は、別のXと引き寄せ合い、争う性質がある。
「旦那様は今後、銀次くんの体内にあるXを活性化させるために、Xを送りつけて来るご予定だそうです」
「はい?」
「動物などにXを埋め込み、世間に放つ予定だそうです」
「……バカですか」
呆れてものも言えない。
「Xを埋め込まれた鼠は、巨大化して凶暴化したんですよね? それを世の中に放つって世界征服って、悪の怪人の方になるつもりですか、あの人は」
「旦那様がそのおつもりならば、さしずめ、銀次くんは正義の味方、ヒーローですね」
「正義の味方?」
首を傾げる。
「XとXは引き寄せ合い、争う。近くにXが現れると、それは銀次くんの中のXを呼び寄せることになる。バイクに乗って来るヒーローの話を、さきほどしましたよね? それと一緒です。銀次くんは先ほどの銀色の姿になり、Xを埋め込まれ凶暴化した動物達と戦うことになる」
「なんですかそれ」
「それが旦那様が現在、思い描いているシナリオだそうです」
シュナイダーが手紙を指差す。
「……なんですか、それ」
溜息。もう、溜息しかつけない。
「大体、そんなことして、旦那様になんのメリットが?」
いや、もうメリットとかデメリットとか、そんな次元を超越している気もするが。根本の、前提条件がおかしいんだが。
「銀次くんの体内にあるXを活性化させるため、です。他のXと呼び合えば呼び合うほど、銀次くんの体内にあるXも活性化する」
言われて、思わず腹部を見る。
「そうしていつか、銀次くんを乗っ取ることを、旦那様は望んでいらっしゃるようです」
「つまり……」
言われた言葉を自分なりに整理すると、
「旦那様は怪物Xを世間に放つ悪の軍団の幹部役をやる。俺は、それを救う正義のヒーロー。だけど、正義のヒーローは戦えば戦う程、怪物に近づく。悪の軍団の幹部はそれを狙っている?」
「……まあ、そういうことになりますね」
渋い顔でシュナイダーが頷いた。
大きく息を吐き、額に手を当てる。
「なるほど、わかりました。つまり」
そこで一度言葉を切る。またため息をつきながら、苦々しく吐き出した。
「どうあがいても、俺の人生どん詰まりってことですね」
「……何も、旦那様が望むとおりにする必要はありません。銀次くん」
「いや、それは無理っしょ」
思わず軽い口調が口から漏れる。普段、こんな口をきいたら、シュナイダーにどれだけ怒られることか。だけどさすがに、彼も何も言わない。
「手術かなんかでXを取り除けるかどうか、とか、シュナイダーさんなら、もう検討したんでしょう?」
優秀なんだから。
「その選択肢を提示してこないっていうことは、無理だっていう結論に達したんですよね? か、旦那様が無理だって手紙に書いていたか」
シュナイダーは答えない。
答えないということは、肯定ということだ。
「仮に、この俺の体内にあるXっていうのを取り除くことが出来たとしても、それは旦那様が送ってくる怪物達に対抗する手段がなくなるっていうことですよね。それって結局下手したら死ぬってことじゃないですか」
これをどん詰まりと呼ばずに、なんと呼ぶ。
また、絶望か。
はっと鼻で笑って、それからゆっくりと顔を覆った。
どん詰まりの絶望だ。
両親が死んだとき、これ以上のことはないだろうと、思っていたのに。
「……銀次くん」
躊躇いがちにシュナイダーが声をかけてくる。
「……お嬢様は」
それにゆっくり顔をあげながら、問いかける。
「このことは?」
「ご存知ありません。会社のこともありますし、旦那様が帰っていらっしゃらないことについては、きちんとお伝えしないといけませんが。一度、銀次くんに話してから、と思いまして」
「じゃあ、お嬢様には伝えないでください」
シュナイダーを見据え、はっきりと告げる。
例え今、絶望の淵に立たされていたとしても、それだけは迷いのない感情だった。あの子を、巻き込むわけにはいかない。
「旦那様が変なことたくらんでいることも、俺のことも」
そこで一度言葉を切り、
「俺が変身することも」
「……変身するおつもりなんですね」
「逃げようがないじゃないですか」
おどけて笑う。
納得したわけじゃなかった。理解したわけじゃなかった。
ただ、受け入れざるを得なかった。
今、手に持っているものを失わないためには、それしかなかった。
どん詰まりの中で、唯一絶望に対抗出来る手段だと思ったのだ。
だから、白藤銀次は、後にメタリッカーと呼ばれる存在になることを決意した。
それ以外に、彼に出来ることはなかったからだ。
メタリッカーは正義の味方でヒーローだ。アリスにはそう言った。少なくとも今は。
いずれどうなるかは、まだわからない。もしかしたら、メタリッカーはXの仲間になってしまうのかもしれない。
その前に、手を打たなければならない。
それでも、銀次にはどうしたらいいかわからない。
シュナイダーや研究所の人々が、いろいろとやっていてくれるらしい。
実際、最初の頃はXが現れるだけで、銀次の体内のXはそれに反応し、銀次の体をメタリッカーに変えていた。それを銀次の意思で制御できるようにした、デバイスを作ってくれたのが研究所の人々だ。
ベルト状のそれは、いかにもヒーローを連想させて、最初のとき、銀次はふざけて変身ポーズをとったぐらいだ。その後、空しさに襲われたけど。
銀次の体内のXをどうするか、彼らは真剣に考えてくれている。
Xの研究については、専門家に任せておこう。そういった方面に疎い銀次にはどうしたらいいかわからない。
だからただ、彼はメタリッカーに変身し続けている。
それしか、できないからだ。
メタリッカーは正義の味方だ。ただ、そのヒーローは、とても受け身で消極的だった。
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