パン屋のハリス(2)

 はぁ、甘くて香ばしい匂いにうっとりだぜ。ひと口くらいは分けてくれよ、相棒。


 それで、なんでお前までうっとりしてんだよ。さっきまで仔犬みたいにきゃんきゃん吠えてやがったじゃないか?

 お前、リーエを見て盛ってやがるな? 顔を見たかと思えば今度は胸のほうを見てんじゃないか。大人になり掛けの村の雄たちと同じだぜ?


 そもそもどうして雌の胸をそんなに気にするんだ? 確かに人間の雌の胸は成長するほど膨らんでいくし、相棒の胸も結構膨らんでるぞ。

 そりゃお乳が要るような子供なら、より膨らんでるほうが吸い付きやすいとは思うぜ? でもよ、お前、もうおっぱいを吸うような歳じゃないだろ? 気にしなくたっていいだろうが。前からどうにもその人間の雄の習性が分からない。

 それとも何か? その膨らんだ胸が、あの何とも言えない雌犬の尻尾の振り具合とか、艶かしい匂いとかと同じだってのか? うーむ、理解できないぜ。


「どうしてこんな田舎の村にこれほど綺麗な娘が……?」

 こんな、言うな。ひとに言われると腹立つじゃん。


 相棒は相棒で、呆然としているこいつを見てくすくすと笑ってやがる。それで自分の態度に気付いたのか真っ赤になっちまった。やれやれだ。


「同じ歳くらいよね? あなたは?」

「あっ、ぼ、僕はハリス。十七歳」

「わたしは十六歳。村のみんなはリーエって呼ぶわ。仲良くしてね?」

 優しくするから余計に赤くなってんだろ?

「ここを継ぐの? パン職人に?」

「そのつもりだけど……、そうだ! 父はデックス。ここはうちの店なんだ」

 そんなのは見りゃ分かる。舞い上がってんなー。

「よろしくね、リーエちゃん。良かったら贔屓にしてくれないか?」

「はい、そのつもりで様子を見に。パンを見せていただきますね、デックスさん」

「ああ、自信はあるぞ。じっくり見てくれ」


 言うだけのことはあるな。並べられているパンはそれぞれ綺麗に形が揃ってる。卵黄を塗って焼いたりして艶々と光ってるし、焼き色も見事だぜ。何よりこの匂いが堪らん。よだれが垂れちまいそうだ。


「えーっ! これ一個が15ガテ150円もするの? た、高い」

 そりゃ普段焼いてるパンは材料費でその五分の一以下で済むもんな、コストー。

「うーん、そうねぇ。でも良心的な値段だと思うわ。手間暇が違うもの」

「そうなんだ……」

 衝撃的だったみたいだな。

「ほら、モリックさんはあなた達に30ガテ300円ずつ持たせてくれたでしょ? それくらいはすると思っているのよ」

「おや、その子たちは君の弟妹じゃないのかね?」

「ええ、ルドウ託児院の子供たちです」

 似てないだろ?

「おお、院の子か! どこの子も行儀が良くて優しい子ばかりだ。それに大事なお小遣いを握りしめて楽しそうに買いに来てくれる。喜んでくれる顔が私には嬉しくてね」

「この子たちにもパンの味を教えてあげてくださいね」

「喜んで。いつもは無理だろうけど時々は来ておくれ。おまけしてあげるから」


 デックスがそう言うと、ちびたちは喜び勇んで陳列棚に食い付いた。見た目も華やかなパンはそりゃこいつらの胃袋を刺激しているだろうさ。もちろん俺の胃袋も切ない唸りを上げてるんだって。


「ゆっくりと好きなのを選んで良いのよ。今陽きょうは特別。少しくらい足りない分はわたしが出してあげるから」

 いつもは教育に悪いだろうが今陽きょうくらいはな。

「ほんとー! じゃーね、ルッキね、えっとね……」

「ふわぁ、すごいー」

「ありがとう、リーエ」

 こいつらには花畑が広がっているような感動もんに見えてるかもね。


 それぞれが迷いながらも一生懸命自分のパンを選んでる。相棒やハリスもその相談に乗ってやり、その様を主人が楽しそうに見つめてる。そろそろ決めろよ。俺の腹の虫も限界だぜ。


「美味しー! すごーい!」

「おいちー!」

「驚きだ。こんなにも違うものなのかぁ」

 まじまじとパンを見つめるな、コストー。そんなに美味いか?

「あら、これは思ったよりずっと……」

「どうしたんだい?」

「ええ、ご主人がこんなに素晴らしい職人さんだとは予想外でした」

 お、リーエが褒めるってことは?

「スリッツやザウバの有名店とでも肩を並べられるほどのパンですね。本当に美味しい」

「それは本当かい? やったぞ、父さん!」

「ありがたい褒め言葉だな。君は大きな都市を知っているんだね?」

 きょとんとすんな、ハリス。まずそこに気付けよ。

「父が交易商人をしています。幼い頃は一緒にイーサルとメルクトゥーを行ったり来たりしていたので、色んなお店の味を知っているんです。この五は父が買って帰ってくれたお土産に限られますが」


 相棒の経歴を聞いたハリスは目を真ん丸にしてやがる。こいつ、さんざんステインガルドを田舎だって馬鹿にしてたもんな。パンの味が分かる人間が居るとは思わなかったんだろうぜ。女神にでも見えてるか?


 そりゃ良いから、そろそろ俺にも寄越せよ。

「あ、キグノ、ごめんね。本当に美味しかったから忘れちゃうところだった」


 俺が前脚を上げてくいくいと招いていると、やっと気付いた相棒がひと口ちぎって俺の口に放り込んでくれる。


 うおお! 全開で指まで舐めまくるぜぺろぺろぺろぺーろぺろぺろ!

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