第247話力の一端

「それにしてもまるで光に集まる虫みたいだね」


 ソールがボソリと呟く。彼女が言うように先程の少女に続くように30代前半ほどの男が現れた。彼の足取りも先の少女のように覚束なく、吸い込まれるように瘴気の方へと歩み寄り、そしてそれに触れて命を奪われた。


「もう少し近くで見てみるぞ」


 ジンはソールの返事を聞かずに建物の陰から陰へと移動する。ソールも彼に付き従い、二人は結界から300メートル程あった距離を100メートルまで縮めて結界内の様子を伺った。


「何か見えるかい?」


 しかし、黒いモヤが充満しているせいで何も見えず、ジンは首を振る。それからもう一度目を凝らして何か見つからないか探す。だが彼が見つけるよりも早く、ソールが何かを見つけた。


「あれ、人じゃないか?」


 彼女が指さした方向を見た瞬間、ジンの体が凍りついた。否、凍りついたと錯覚した。その事に彼が気づいたのは、思わず強く拳を握り締めすぎて、爪が皮膚を突き破った痛みを感じたおかげだった。目が合ったわけではない。アスルが完全な力を取り戻したわけでもない。それなのに理解してしまう。その存在が全てを遥かに超越する存在だという事を。使徒や四魔など比べる事すら烏滸がましい。


「な……んだ、あいつは? あ、あれがアスルなのか?」


「そうみたいだね。ん、大丈夫かい? 顔色が悪いけど」


 だが、そんなジンとは異なってソールはアスルに対してなんの恐怖も抱いている様子は無かった。


「あ、あんたにはあれが分からないのか?」


「ん? だからあれがアスルってやつなんだろう。それがどうかしたのかい?」


 その一言でジンは混乱する。自分よりも遥かに長く戦いに身を投じてきた戦士が、彼我の戦力差に気が付いていないからだ。確かに彼の感覚は正しい。しかし同時に間違ってもいた。彼が感じていたのはアスルという存在そのものが持つ波長であり、現有戦力では無かったのだ。だからこそソールはジンの感じた恐怖に気づく事が出来なかった。一方で、ジンは正確な戦力差を理解出来ず、しかし、だからこそジンは最善の決断を下す事ができた。


「……一旦退こう」


 その言葉に今度はソールが驚いた。


「何を言っているんだ? このままだとあの結界の中にいるやつはどんどん強くなるのだろう? 放置は愚策じゃないか。神々でさえ完全に倒しきれなかった最強の神なんだろう?」


 現有戦力を正確に把握しているソールは、今でも十分にアスルを倒せると考えていた。確かに少し厄介な相手かもしれないが、彼女の見立てではまだアスルはこの砂漠に生息する100メートルにもなる巨大ムカデの魔獣ナガーシカ程度だ。つまり一人で十分に討伐が出来るという事だ。


「確かにそれはそうだが……今のままじゃ確実に……」


 ジンが負けると言おうとしながら改めてアスルの方を向くと結界内にいるアスルと目が合った。ジンはゾッとして一気に駆け出した。後ろでソールがジンを引き止めようとする声が聞こえてきたが、それを無視する。次の瞬間、結界を取り巻いていた瘴気に火が点いたように爆ぜた。


 ジンは咄嗟に体を強化し、背後に分厚い岩の壁を創り出し、さらに熱から可能な限り守る事が出来るように分厚い氷の球体で自分の身を包んだ。その直後、爆風がジンの創った岩壁に激突する。しかし壁は容易く破壊された。さらにその勢いはそのままジンを覆った氷球に直撃し、その熱が一気に氷を溶かしていく。それを見たジンは爆風で体を揺らされながらも、氷を張り直していった。


ようやく全て収まったのを感じたのはそれから5分後の事だった。ジンは恐る恐る術を解除する。彼の目の前には凄絶な光景が広がっていた。


何もかもが溶けていた。先ほどまで途中で折れていても立っていた柱は爆風により吹き飛び、大地は熱によって溶解し、マグマのようにドロドロになっていた。建物の残骸も消し飛び、結界を起点として周囲数百メートルがまるで地獄のようになっていた。


ジンはすぐにソールがいた所を確認する。するとそこには彼女らしき炭化した人型のものと沸騰した水溜りがあった。恐らくジンとは異なり、彼女は氷神術を完全に発動しきれなかったのだろう。


急いでジンは彼女に駆け寄る。生きているならば救うためだ。ソールへの怒りはあるが、アスルを倒すには協力者が必要だった。だが近づいてみると、彼女は既に事切れていた。ジンは思わず唇を噛む。声を掛けることも出来たし、協力して身を守る事も出来た。もっと良い場面でソールの命を有効活用出来たはずだ。


だが結果として、彼は最悪の選択をした事になる。これからアスルを一人で倒さなければならないのだ。それは何よりも困難な事に感じられた。


「チッ、使えねえな」


 自分の口からこぼれ落ちた冷酷な言葉に、ジンは気づかない。それからジンはすぐにその場を立ち去る事を決断する。残っていれば、またあの攻撃が来ると考えたからだ。事実、結界周辺の瘴気は先ほど全て吹き飛んだが、また結界内から漏れ出た瘴気が辺りに満ち始めていた。


「あの瘴気に近寄る人間に共通点はあるのか? それに、彼らは全員力を奪われて死ぬのか? それなら何故アルツは操られただけで済んだんだ? それと、これ以上あいつに近づく人間は増えるのか?」


 疑問がいくつも浮かんできて、思わず口に出す。だが答えはない。


「ミコトがいればこの街全体を覆う結界を張ってくれるんだけどな」


 ラグナより【領域】の権能を与えられたカムイ・アカツキの血を色濃く受け継いでいる彼女は結界術のスペシャリストだ。彼女であれば漏れ出る瘴気も、それに惹きつけられて命を捧げにくる人々の流入も防ぐ事が可能なはずである。しかし現在彼女は恐らくアカツキに帰っているはずだ。また、ジンとしてもハンゾウの件もあってあまり会いたい相手では無かった。


「一先ず物理的な壁を……いや、堀を作るとするか」


 先程の術が再び放たれれば、壁など容易に破壊されるだろう。壁は無意味に等しい。それに確かに人の命を簡単に奪う瘴気が漏れ出るのは防ぐべき事ではあるもののその侵食速度は非常に緩やかだ。放置してすぐに大変になるものではない。つまり、ここで警戒すべきはアスルが力を取り戻す事である。それならばそもそもこの土地に人がたどり着けないようにすればいい。そこまで考えたジンはソールを置いてその場から走り出した。




「ここまで来ればいいかな」


アスルの視線を感じなくなった所で、ジンは足を止めた。アスルからおよそ2キロほど離れている。ジンの感覚としてはアスルが観察を止めたのは追い切れなくなったというより興味を無くしたという方が近かった。


「使いたくはねえが、仕方ない」


 ジンはボソリとそう呟くと体の内側に封じていた力に意識を向ける。溢れ出そうなほどに強大な力の波動をなんとかコントロールし、必要な分だけを自分が今から発動しようとする術に送り込む。ジンの体を黒く細い稲妻が何本も走る。


「はああああああ!」


 裂帛の気合とともにジンは両掌を大地に叩きつける。次の瞬間地面が激しく揺れて横にひび割れていき、幅がおよそ30メートル、深さが20メートル、長さが1キロの断層が生まれた。直後、ジンはその中に飛び込んだ。彼の頭の上を炎が通り過ぎていった。恐らくアスルが放ったのであろう。爆発音がジンの耳に届いてきた。


「早く終わらせないとな」


 結界の中心から2キロにある現在地を軸にして円周をざっくりと計算すると、およそ後12回同じ作業をする必要があった。攻撃が来るのを交わしながら、入ってくる人を止めながら迅速に行動しなければならない。


「『強化』の権能があっても、疲れんな」


 うんざりしたような顔を浮かべながらも、ジンは穴から飛び出して、肉体を闘気で覆うと次の地点に向けて駆け出した。結局彼の作業はそれから1時間ほどで終了した。


「とりあえずはこれで時間を少し稼げるはずだ。何人を最終的に吸収するかは分からないが、行ける人がいないんじゃどうしようもないはずだ。瘴気についてはまた別の事を考えるとしよう」


 ボソリと言うと、ジンはその場から駆け出した。具体的な話を各街に伝えなければならないからだ。そのため、彼はソールの死体を放置した。彼女の体を瘴気が包み込んだ事など、彼には知る由もなかった。

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